待ちによせて




――冬こもり 春咲く花を 手折り持ち 千(ち)たびの限り 恋ひわたるかも

 薄い桃色の料紙の文を眺めながら、椿はうっとりとため息をついた。
 どくどくと、心の臓から伝わる熱が頬を染めるのが分かる。
(もう……一年も経つのに)
 まだ、こんなにも。痛いほどに胸は高鳴る。

 隆文と婚儀を済ませてから、ようやく、一年が過ぎた。
 世紀の大恋愛だと騒がれた都人たちの噂もどうにか落ち着いて、椿はやっと、隆文の所有している二条の邸へ住まいを移すことが決まった。
 生まれ育った右大臣邸を離れるのは少し寂しいが、それよりも期待のほうが大きい。

 近頃は少しずつ女房達に身辺を整理させているのだが、隆文に貰った文だけは、自分で大切に整理しようと椿は考えた。
 しかしついつい、文を広げては、見とれてしまうのだ。
 何度も、何度も。
 どの文もどの文も。
 愛しくて、たまらない。

 胸にかき抱くようにしてため息をついていると、不意に、耳元で声がした。

「……そんなに見つめられては……少々、恥ずかしいですね。姫」

「……っ」

 はっと背筋を伸ばして振り返る。振り返らなくても、その品の良い香で分かっていた。

「……た、隆文……っ」

「そんなに一々広げていたのでは、ちっとも片付かないでしょう。やっぱり安芸にでも任せてはどうですか」

「なっ……い、いつから見ていたのっ?」

 椿は羞恥で精一杯。隆文の提案に答える余裕も無かった。

「その文で、三通目でしょうか」

「や、嫌だわ……っ、趣味が悪いわ、隆文はっ」

 泣きたい気持ちになって顔を背ける。すると隆文の袖がふっと椿の前に降りてきて、優しく抱き寄せられた。

「姫のしぐさがあまりに可愛らしかったので……つい、声をかけるのも忘れて見入ってしまったのですよ。……姫が片づけを忘れてしまったように、ね」

「ま、まぁっ」

 返す言葉も無く、椿はただ不機嫌に口を尖らせた。

「お怒りにならないでください、姫」

 そう言う隆文はどこまでも幸せそうに微笑んでいて、椿は怒る気もうせてしまった。

「もう……そうやって人を驚かすのは、隆文の悪い癖ね」

 言いながら、微笑んで隆文を見上げる。すると隆文はたいして悪びれもせずに「すみません」と言いながら、文に目を落とした。

「この文は……ああ、それは右大臣様に渡したものですね。……あの頃は、まだこんな幸せが訪れるとは思ってもみなくて……。ただ、必死でした。……姫への恋しさだけが、私を生かしていたような気がします」

 言われて、椿も文に目を落とす。

 ……春咲く花を、ひたすら、焦がれていた……

 あの、長かった二年間。一度も、会うことも文も許されず……

「隆文」

 目の前にあるその美しい面差しに、そっと手を伸ばして頬に触れた。
 優しげな目がじっと椿の瞳を見つめている。

「あたくし達、もうずっと一緒よね……?」

 隆文がふっと笑みを零す。

「ええ、ずっと。千歳も供に……。離しませんよ」

「良かった……」

 椿も微笑んで隆文の胸にしがみつく。そしてほんの少し、悪戯心を起こした。

「千歳もあれば、その『姫』って呼ぶ癖も、なおるかしら」

 そう言って隆文の顔を覗き込むと、隆文は「おや」と眉をあげて苦笑いした。

「ええ、そうですね……そのうちに」

 あまり見ることの出来ない、隆文の困ったような表情に満足していると、不意に腰の辺りを抱き寄せられて、あっと思う間に横たえられた。

「……姫君の、この美しい装束を脱いでいただけると、呼びやすいのですよ」

「ま、まぁ……っ」

 言い返す言葉も見つからないうちに、ぐいっと腰紐をひかれた。そうされると、一気に装束ははだけてしまうのだ。

「ちょ、ちょっと、隆文……っ!?」

 思いがけず強引なやり口に、椿は焦って抗議しかけたのだが。

「……椿……」

 耳元に囁かれる、声。

 愛おしげに名を呼ばわる背の君の声に、どうして逆らう事などできるだろう。
 椿はただ隆文の首に手を回し、幸せに身をゆだねることにした……。


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