こばなし.
(本編18,19話の裏話です。先に「恋さくらふるふる」を読んでいた方がお楽しみ頂けるかと。)
「やれやれ…」
今上・時孝は梨壺から清涼殿に戻る途中で、くすくすとまだ笑っていた。
「何が、やれやれですの?」
「おや、中宮」
清涼殿の付近まで戻ったところで、中宮に出くわした。
中宮は供も連れず、扇で顔を隠しただけで、渡殿の真ん中に立っていた。
「中宮の貴女がそんな風に一人で歩き回っていては、他の女御や女官達に、示しがつきませんよ」
「まあ! それは貴方もですわ、主上。お一人で何を楽しそうにしてますの?」
中宮・咲子姫は一見すると非常に気取った人なのだが、どこか子供のようにあどけない部分もあって憎めない、可愛い人だ。
時孝はにんまり笑った。
「いや……幸孝がね。なんだか昔の時平を見ているようで、おかしくて」
「あら。何かありましたの?」
「今、あの二の姫が、桐壺を訪ねて来ているだろう? その話をしてやったら、慌てて梨壺を駆け出して行ったから」
「まあ」
咲子姫は一緒になってくすくすと笑った。
「『入内は止めだ』なんて言ってましたけど……やっぱり二の姫を気に入っているんですわね。どうにかしてあげられると良いのですけれど。……私達の子にしては、なんだか頼りないようですわね」
「……しかしあの様子では、二の姫を入内させたら尻に敷かれるかもしれない」
「まあ。先の春宮は、そりゃあ桜の君ばかりに夢中でしたけど、尻に敷かれるなどと言う事はありませんでしたわよ。大丈夫ですわ」
「それがね……。実はさっき二の姫にちらっと会ってきたんだけど」
「えっ?」
「あの姫は、ちょっと桜の君とは、違うようだったよ」
「あ、会うって……! ど、どういう事ですの!?」
「いや、どんな姫なのかと気になったもので……ちょっと桐壺まで行って、挨拶を」
「まあっ! 主上が、わざわざ、桐壺まで会いに!? わざわざ春宮女御の住まいを訪ねるなんて、非常識ですわ! 桐壺だってお困りですわっ」
「いや、その、だから……。ちょっとこちらの身分は伏せておいて、二の姫とだけ、ひと言ふた言……」
「まああ! だから一人でふらふらと出歩いてらしたのね! なんて事でしょう! 春宮女御になるかもしれない姫を、たぶらかそうなんて!」
「えっ? な、何も私はたぶらかそうなんて」
「主上が身分を伏せて話しかけるなんて、それが既にたぶらかしですわ! お可哀想に、二の姫……!」
「ええっ?」
しまった、と時孝は後悔したが遅かった。どうも中宮の暴走が始まってしまったらしい。
「主上には昔から悪い癖がおありですわ、弟宮や皇子の想い人を困らせて楽しもうなんて、なんて情けないお心でしょう……!」
昔の話まで引っ張り出して恨み言を言われそうだ。
「まあまあ、咲子姫」
強引に腕を引っ張って清涼殿へ向かう。渡殿の真ん中で喧嘩などしていたら、女房達の良い笑い者にされてしう。
(……それにしても)
時孝は先ほど会った、息子の想い人である二の姫の様子を思い出した。
こちらの身分は伏せていたとはいえ、
『春宮はどちらにいらっしゃるの? 私、言いたいことがあるんです!』
物怖じもせずに目を見つめて、はきはきと、元気良く話していた。可愛らしい姫ではあったが、あれは少し手ごわいのでは……。
「ちょっと、ちゃんと聞いてくださってますの? 主上ったら、いつも私の話を話半分しか聞いてくださらないんだから……っ!」
まだ喚いている中宮を見下ろして、時孝はくすりと笑う。
もし二の姫が入内したら、この中宮の良い好敵手に……いやいや、にぎやかで楽しい後宮になるかもしれない……。
楽しいような恐ろしいような。とにかく退屈だけはしないですみそうだ、と時孝は一人でくすくす笑い、また咲子姫の怒りを買ったのだった。
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