ドラクエ3 〜ルイーダの酒場〜



お嬢ちゃん、というその呼びかけに、少女は過剰に反応した。

男を気取るつもりはない。
しかし、短くざんばらな逆立ったこの髪。色気などカケラもないただ旅の便宜のためだけに仕立てられた服。
腰には大振りの剣をぶらさげた、一見では少年にしかみえないはずの、この自分に対するその呼びかけは。
からかっているのか、と少女はあからさまな不快を前面に、呼んだ男を睨めつけた。そして、低く、一言。
「……なんだ」

おそらく男にとってそれは好意的な呼びかけのつもりだったのだろう。
少女の表情に、おや?と眉をあげ一瞬驚いた顔をする。
しかしその男はあまり繊細な質では無いらしい。すぐに唇の端をあげ、にっと人懐っこい笑みを浮かべた。
「……なぁ、あんたが噂の勇者なんだろう?」
噂の。
その呼ばれ方も好きではない。
実際、噂になっている事は知っているが、それは英雄である父・オルテガの影響で一人歩きした、いやに立派すぎる噂だったから。
「……そうだが」
少女は苛立つ内心を押し隠して応える。
「それじゃ、あれだろ? 仲間探しに来たんだろ?」
そう言うと男は、どんっと手にしていた酒瓶をテーブルに置き、座っていた椅子から立ちあがった。
図体のでかい男だ。
少女よりも頭3つ分はでかい。それに屈強な体つき。いかにも、という戦士である。
「なぁ、俺を連れていかねぇか?」
役に立つぜ、などと愛想良く笑い、力こぶを作って見せる。
悪い奴ではなさそうだ。
――だがダメだ。
考えておく、と社交辞令で言ってやり、少女は、踵を返してカウンターへ向かった。
女主人ルイーダの元へ。

「あら、パエリアじゃないの。お久しぶり」
「……久しぶり」
近所なのに顔を合わせることは少ない。艶やな笑みで見つめられ、パエリアはすっと頬を染めうつむいた。
「アンタがここへ来るって事は……なぁに? いよいよ旅立ちってワケ?」
「……ああ」
パエリアは顔を上げ、真摯な眼差しを女主人に向ける。
「腕の立つのを、紹介してくれ」
ルイーダは、くっと小さく笑った。
「アンタって、……相変わらずね。もうそろそろ、イイ年頃の女だってのに」
「……」
こんな風に笑われるのが、パエリアには、死ぬほど、辛い。
顔を真っ赤にしてうつむくしかない。
仕方ないではないか。こんな格好をして。毎日剣を振る事しかして来なくて。
ルイーダのような、女の代表のような人間をみると、パエリアは普段は忘れているコンプレックスをありありと感じるのだ。
しかし、とパエリアは思い直す。
自分は勇者なのだ。女扱いされて、舐められるわけにはいかない。だからこれでいいのだ、と。
「……ルイーダ……」
「あらあら、ごめんなさいね。ちょっと勿体無いな、と思ったのよ」
すまなそうに言って、笑い顔のままウィンクをくれた。
「……」
「仲間ね。ちょっと待ってね……」
ルイーダは広い酒場をぐるりと見まわした。

酒場にはイロイロな職業の、いわゆる冒険者たちがいる。
大抵は近辺のモンスターを倒して金を稼ぐだけの、粗野な連中である。
ルイーダの目は1点で、はた、と止まった。
俺俺、というように、自身を指差し手を上げている戦士がいる。
ルイーダは迷わずその戦士の名を呼んだ。
「ライスー!」
「おう!」
嬉しそうにやってくる、その戦士。

パエリアはぎょっとしてルイーダの顔を覗いた。
ルイーダの、人を見る目は信用に足りる。この年齢不祥の妖艶な女主人は王からも絶大な信用を得てそこに店を構えている。信用に足りる人物だ、と母からもそう聞かされている。
しかし、その戦士はさっき自分をお嬢ちゃん呼ばわりしたアイツではないか……。
「ル、ルイーダ……」
不安にかられたパエリアのつぶやきに、ルイーダはにっこり笑って応えた。
「あの人は腕が立つわよ〜」
目の前までやってきた戦士はさっきの人懐っこい笑顔で自分を見下ろした。
「勇者殿、俺は戦士のライス。以後よろしく……」
ダメだ。
仲間として対等に付き合える奴でなければ旅をしていく事など出来ない。
女扱いされるのは煩わしい。旅の邪魔になる。噂の勇者などと過大評価する奴も困る。
だから言おうとしたのだ。ダメだ、と。

しかし。

パエリアが口を開きかけたとき、ライスはふっとひざまずいた。
そしてあっと思う間にパエリアの手を取った。

それは単なる挨拶だったのかもしれない。しかし剣を振る事だけに生きてきたパエリアにはいささか刺激が強すぎた。ライスはパエリアの手の甲に、その唇を押し付けたのだ。

頭を上げてにっと笑う、罪のないライスのその笑顔を。
気づいたときには殴り飛ばしていた。全力で。

ライスは壁まで吹っ飛ばされた。


どよめきと歓声。
ケンカっぱやい連中の集まる酒場では、乱闘騒ぎなどしょっちゅうだ。
野次馬に回る奴、ケンカなら混ぜろ、と張り切る奴。
パエリアとライスは酒場の視線を一挙に集めた。

しまった、と思う。
やりすぎだよ、とルイーダの咎める声。

「ぃっちち……、くぅ〜……」
不意の一撃を見事に食らったライスが、壁にもたれるような格好でうめいた。
たかが、こんな事、ぐらいで。なんて過剰に反応してしまったのだろう。自分が恨めしい。確かにやりすぎた。
歩み寄って、すまない、と声をかけようとした。その時。
ライスは弾けるように笑い出した。
「はっはっはっはっは!」
ぎょっとして足を止めるパエリア。
「お〜、痛ぇ。……ははっ、ますます気に入った!!」
ライスは殴られた頬を押さえ、立ちあがった。そしてパエリアの目の前で、今度は自分の右手を差し出す。

「そんじゃ、改めて。よろしく…………と、」
「パエリアよ」
口がきけないでいるパエリアに変わり、いつの間にやって来たのか隣にいたルイーダが応えた。
「パエリア」
ライスは切れた唇の端を持ち上げ笑おうとして、痛そうに顔をしかめた。

「し、しかし」
パエリアは混乱している。
ダメだ。こいつを仲間にするのはダメだ、と思うのに、殴ってしまった手前無下に断る訳にもいかない。なんとか上手い言い訳はないものか。しかし殴られて気に入るとは一体どういった了見なのだろう。自分の腕を認めてのことか?
それにしても異常だ。

「ほらほら、なにボサッとしてんの」
ルイーダはさっさとパエリアの手を取り上げ、ライスの手に握らせた。
「だ、だが……」
「なーによ、”だが、しかし”って。大丈夫、この人の戦士の腕はあたしが保証するよ」
ルイーダは自信ありげに笑う。
「しかし私は…」
なんとか切りぬけようと言葉を紡ぎ出す努力をする。ライスは、ぎゅ、とパエリアの手を握る手に力を込めた。
「なぁ、パエリア?」
ぎく、とした。なんて寂しげな顔をするのだ。さっきまで笑っていたその男の表情。唐突に寂しげに。自分が殴って腫れた頬が痛々しい。
……だからつい、握り返してしまった。そのごつい手を。言ってしまった。……よろしく、と。

ハメられたのかもしれない。

ライスはとたんに満足げに笑った。
本当に気に入ったんだ、と。

これから始まる旅路を思い、生真面目なパエリアは早くも後悔の念に駆られた。



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