ドラクエ1 〜救出〜



「グァオオオオーーーーッ」

 怒り狂った獣の咆哮が、洞窟中を掛けめぐり、激しさに洞窟全体が震えるように揺れた。

「何?」

 囚われの姫は鉄格子に駆け寄って外の様子を伺う。

 この牢獄へ囚われてもう二月。何処とも知れないこの洞窟は暗く陰鬱で、水辺に近いのか湿気が多い。牢の外には巨大な魔物――ドラゴンの高いびきがいつも聞こえていた。

 今の咆哮は、まさかあのドラゴンの……?

 ローラはベッドの下へ隠し持っていた唯一の武器、聖なるナイフを取り出した。地盤の柔らかいこの洞窟で、密かに掘り続けた鉄格子の下の穴は、ローラの細身ならもう潜り抜けることができる。見張りがドラゴンだけだからこそ出来た芸当だが、あのドラゴンが居るからこそどうしても逃げだすことが出来なかった。

 魔物同士、いさかいでも起こしたのかもしれない。逃げるなら、今……!

 ローラは身に纏った白いドレスの長い裾を、ざっくりと膝上まで切り裂いた。布の切れ端で金の頭髪を束ね、ナイフを大事に胸元へしまう。

 意を決して鉄格子の下を潜り抜けた。



 勇者は荒い息をついた。さすが、ドラゴンは手ごわい。近づけば鋭い牙に爪。離れれば炎だ。

 しかし勇者は確実にドラゴンにダメージを与え続け、状況はいまや優勢。あと、一息だ。

 その時、勇者はドラゴンの背後に信じられないものを見た。

「な……っ!」

 驚いて鈍った勇者の動きを、逃さずにドラゴンは爪で襲った。

「く……っ!」

 勇者の肩口から血飛沫が上がる。しかし勇者もすぐに剣で応戦し、その前足を切り落とした!

「グァアア……ッ」

 苦痛にのたうつドラゴンの、背後にあったその影が、ドラゴンの脇をすり抜けるようにしてこちらへ向かって駆けて来る。

 ドラゴンの尻尾が高く上がった。

「危ない!」

 勇者は飛び込んでその影を庇った。

 ――ズシィッ!

 尾に殴られるようにして勇者の身体が壁にたたきつけられる。庇った影も一緒に壁に向かって飛んだ。

「あぁっ」

「く……っ、あなたは、ローラ姫か!」

 庇った影……泥だらけの、切り裂かれた布に身を包んだ華奢な身体の女性。束ねられた金の長い髪も白い頬も、今は泥にまみれている。しかし……その美しさは隠しようも無かった。

 女性はすぐに立ち上がった。

「そうです。あなたはラダトームの兵士? こんなドラゴンに一人で挑むなんてとんでもない馬鹿だわ! でもその勇気のお陰で助かりました。私はこの機に逃げます! 悪いけど、あなたはこのドラゴンを食い止めてちょうだい! あなたの命、無駄にはしない!」

 言いながら、もう姫君は走り出していた。

「ま、待っ」

 慌てて後を追おうと立ち上がったが、ドラゴンがそれを許さなかった。

「く……!」

 攻撃を避けて飛び退る。

「待て! 姫! この先も魔物は多い! 死ぬぞ!」

 しかしもう姫の姿は見えない。

「何てこった」

 早々にドラゴンを片付けて後を追わねば、せっかく助けに来たというのに全てが水の泡になる。

 大人しく待っていてくれればよいものを――

「ちくしょう、とっととかたずけるぞ……! ぉらぁぁーー!!」



「はぁ、はぁ、はぁ」

 ローラは裸足のまま狭い通路を駆け続けた。普段運動などほとんどしないため、胸が苦しい。でも、急いで逃げなければ……!

「キ、キ、キィッ!!」

 突如、耳に障る高音が頭上で発せられた。

「何?」

 慌てて足を止めると、そこに浮かんでいたのは羽の生えた青い魔物。たしか……ドラキーとかいう。それに、いつの間に現れたのか目の前にはゴーストの姿もある。

「うぅ……」

 ――これらは、たしか弱い魔物の部類だったはず……。

 ローラはじっとりと汗ばんだ手で聖なるナイフを握り締めた。



 しかし当然のことながら、戦闘などただの一度も経験したことのないローラにとって、目の前の敵は手ごわかった。ローラのナイフは一度も敵を掠める事も出来ず、一方的に殴られ、倒され、今のど元に食いつかれようとしている。

 なんて事――私が、甘かった……!

 くやしさに涙を浮かべながら、歯を食いしばった、瞬間。

 ――ザンッ!

 目の前のドラキーが真っ二つに割れた。血飛沫がローラに降り注ぐ。さらに剣を振る音がして、ゴーストの悲鳴。

 身を起こすと、甲冑を身に纏った背の高い男が、長剣を振り下ろしたところだった。

「あ、あなた、さっきの兵士……! ド、ドラゴンはどうしたの!?」

 男はブンッと剣を一振りし、鞘へ納めて振り返った。

「倒したさ。……それにオレは兵士じゃあない」

「えっ……?」

 男はつかつか歩み寄ってきて、座り込んでいるローラに手を差し伸べた。

 一瞬ためらったあと、ローラは男の手を握った。助け起こされたが、足首に鋭い痛みが走る。

「痛……っ」

「ん?」

 男はしゃがんでローラの足首に手を触れた。ローラはカッと頬を染める。

「まぁっ、無礼者、気安く触らないでっ!」

「……」

 男は眉をぴくりと動かし……あろう事か、ローラの腰に手を回し、ひょいっと横抱きに抱き上げた。

「何するのっ!」

 ローラは男に触れられた事などない。皆うやうやしく頭を垂れて跪き、手の甲へキスをするだけだ。それが。

「……お姫さま。あんたの足、捻挫してるよ。まともに歩けそうもないからこうやって連れて行く」

「だ、ダメよっ、降ろしなさい!」

「……うるさいなぁ、アンタが大人しく待ってりゃ、こんな事にゃなんなかったんだよ、分かんない?」

「……な……っ」

 ローラの顔はカッと真っ赤に染まり、その後、青くなった。

 確かに男の言うとおりなのだ。この男は驚くべきことにあのドラゴンを倒した。あのまま大人しく待っていれば、自分はそのまま助けられたのだろう。

「……」

 浅はかなのは、自分自身だった……。

「……。じゃ、このまま行きますよ。ローラ姫」

 男はバツが悪そうに言って、目を逸らした。予想外にローラが落ち込んだ表情をしたので、急に気が咎めたようだった。

「あなた……、誰なの。うちの兵士じゃないって……」

「……勇者」

「え……っ」

「お前は勇者だから、ちょっと行って、あんたを助けて竜王倒して来いってさ、あんたのお父上が」

「ま、まぁ……っ」

 それでは、父がずっと探していた勇者ロトの血に連なる者が、やっと見つかったという事になる。

「……まぁ、言われなくても竜王は倒すつもりだったさ」

 男はフッと笑った。ずっと不機嫌そうだった表情が崩れて、優しい笑みでローラを見下ろす。

 ローラの胸が、どくん、と大きく高鳴った。

 この人……。

「あ、あ、あの、あなた」

「ん?」

「な、名前は……っ」

 勇者はまた笑った。しかし今度はどこか、ニヤリと意地の悪い笑みである。

「名乗るほどの者じゃございませんよ、お姫さま」

「まぁっ!」

「なにしろ一人でドラゴンに挑むようなばか者ですから」

「まぁ、まぁっ!!」

 ローラは頬を真っ赤に染めて怒った。

「ひ、ひどいわ! ひどいわ! そんな事言うなんて……っ、私だって悪いと思っていたのに……っ」

 目に涙を浮かべて悔しがるローラ姫を見下ろして、くっくっく、と勇者は愉快そうに肩を揺らした。



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