ドラクエ1 〜温泉〜



「ねぇ、勇者さま、このままラダトームへ帰りますの?」

 ドラゴンを討伐し、無事ラダトームの王女、ローラ姫を救出した勇者は、今その姫を抱きかかえて、ラダトーム城へ凱旋しようとしている。

「? はぁ、そりゃあそうでしょう。あなたを抱きかかえたままでは旅も出来ませんから」

「そ、そうですわね……」

 当然のように言われて、ローラは少しだけ落胆した。

「大丈夫です、ここからラダトームまでそう遠くない。二日もあれば着きますよ」

「まぁ……」

「どうしました? この辺りはさほど手強い魔物は出ません。心配しなくても大丈夫ですよ」

 ローラの浮かない表情を汲んだのか、勇者は慰めるように言ってくれたのだが、ローラの気持ちは少しも晴れなかった。

 出会ったばかりのこの勇者に、ローラの心は惹かれていた。このまま別れるのが、惜しかったのだ。

「……」

 いまだ、名前も教えてもらっていない。ローラはひどく切なかった。

「おっと。……魔物だ」

 不意に勇者が言って、ローラは近くの岩場に降ろされた。勇者はニヤリと笑って剣を抜く。

「ちょっと見物してて下さい。すぐ、片付けますから」

 そりゃあ、あのドラゴンを倒した程の腕なら、この辺りの魔物を倒すなんて造作ないのだろう。敵は、キメラ。

 案の定、勇者の剛剣はあっと言う間にキメラの翼を切り裂き、飛んでいたキメラは地上へ堕ちた。とどめとばかり勇者は剣を振り上げる。

 その時。

「!」

 最期の抵抗に、キメラが激しい炎を吐き出した。とっさに腕で庇ったが、炎はまともに勇者を襲った。

「くっ……」

 しかしそのまま剣を振り下ろし、堕ちた魔獣を両断した。断末魔をあげ、魔物はすぐに動かなくなった。

「……ちっ、油断した」

「だ、大丈夫ですのっ?」

 ローラは捻挫した足をひょこひょこさせながら勇者の元へ駆け寄った。

「あぁ、大丈夫……」

 勇者は火傷を負った左腕の患部に右の手の平を当てた。

「?」

「……ホイミ」

 ポゥッと、暖かい光が生じる。見る見るうちに爛れた肌が元の通りに治ってゆく。

「ま、まぁ……っ」

 勇者はニッと笑ってみせた。

「す、すごいわ……。あなた、呪文も使えるのね」

「まぁ、簡単な呪文なら」

「すごいわ……」

 ローラはつくづくと勇者を見つめた。しかしはた、とある事に気づいた。

「あら? その呪文って、ご自分にしか使えませんの?」

「いや。……使えますね」

 勇者は一瞬しまったという顔をして、ばつが悪そうに目を逸らした。

「まぁ、……じゃあ、私の足……」

「……。治せるけど……治しませんでした」

 とぼけたように勇者は答える。

「ま、まぁ……! どういう意味です!?」

「……俺に抱かれるのは嫌でしたか?」

「!」

「俺は抱いて行きたかった」

 ぼっと、ローラは自分が耳まで真っ赤に染まるのが分かった。

 しかし勇者は意地悪く、ローラを見下ろしてくくく、と笑った。

「……なんてね。仕方ない、治しましょう」

 勇者はかがんでローラの足首を掴んだ。

「本当はあの時、直ぐに治して差し上げようとしたんです。でも、あなたが無礼者呼ばわりするものだから、やめました」

「!」

「……ホイミ」

 疼いていた足の痛みは見る見る引いていった。しかしローラの胸には膿が溜まるようだった。

「……ひどいわ」

 ローラはその場から逃げだしたくなった。方角もわからずに、治った足で歩きはじめる。

「何処へ行くんです?」

「決まってるでしょう、帰るんです!」

 今はこの勇者と一緒にいたくなかった。

「一人で?」

「そうよ! あなたの助けなんて入りません!」

「あのなぁ……、あんた、もう何回俺に助けられてる?」

 ため息混じりの台詞。

「帰るのは勝手だけど、帰り道で間違いなく死ぬぜ?」

「……な、何よ……っ、ぶ、無礼者……っ」

 こんな事しかいえない自分が悔しく、ローラはぽろぽろと涙をこぼした。

 こんなひどい言葉を投げかけられた事は、今まで無かった。蝶よ花よと育てられてきた姫君なのだ。

「あ……、悪い、言いすぎた」

 勇者が頭を掻きながら近づいてきた。

「ごめん」

 言いながら、ローラの涙をそっと指でぬぐい、抱き寄せるようにしてローラの頭を撫でてくれた。

「……傷つけるつもりじゃなくって……すみませんでした」

 ローラの胸はどくどくと高鳴る。もうそれは、止めようも無かった。

「……勇者さま」

「はい?」

「私、真っ直ぐ城に帰りたくありません」

「はぁ」

「少しでいいから、旅のお供がしたいんです」

「……」

 勇者からの返事は無い。勇気を振り絞って顔をあげる。

「ダメですか?」

「……ダメです……」

 予想していた答えだが、それでも再び涙がこみ上げて、ローラは慌ててうつむいた。

「……と、言いたいところだけど……、はぁ……分かりました。ここからなら、マイラが近い。寄って行きますか」

 予想外の答え。

 驚いて勇者を見上げると、勇者は苦笑いしていた。

「本当!?」

「……ホントです」



 2人は温泉街のマイラへとやって来た。

「まぁ、私、一度ここの温泉へ来てみたかったんです! 嬉しい!」

「はいはい、良かったですね」

 勇者は無感動のようだ。そりゃあ、あちこち旅していて、この村にも何度も訪れていると言っていた。ローラは一人ではしゃいでいるのが恥ずかしくなった。

「勇者さま……私、温泉に、入って参りますわね」

「ああ、行ってらっしゃい。宿で待ってますよ」

 ローラは一人、温泉へ向かった。

 ドラゴンに囚われてからこちら、湯に浸かることなど一度も無かった。体中の垢を洗い落とし、髪を洗い、湯に浸かるとローラはやっと本来の自分に戻った気がした。

 しかしローラの気持ちはどこか、晴れなかった。

 ――勇者さまは、竜王を討つために、旅をしているんだわ……。離れるのが寂しいからといって、こんな風に寄り道させてしまうなんて、なんてワガママ……。

「勇者さま……」

 ぽつりと呟くと、きゅうっと胸が切なく詰まる。出来ることなら、旅に付いて行きたい。少しでも、助けになりたい。しかしどう考えても、足手まといにしかなら無い事は明白だった。

 温泉から出て、髪を拭っていると、がさがさと茂みが揺れた気がした。

 ここの脱衣場の周りは竹を束ね合わせた天然の目隠しで、覗こうと思えばすぐに覗かれてしまう。ハッとしてローラは身体にタオルを巻きつけた。

「ローラ姫……」

「……勇者さま……?」

 宿で待っていると言ったのに、一体どうしたのだろう。

「あの、すぐ着替えて行きますから」

「や、あの……できればそのまま来てもらえませんか」

「えぇ!?」

「やましい気持ちじゃない! 決して振り返らないから、ここまで来てくれませんか」

 入り口の辺りは竹を編み合わせた御簾を二重に下げてある。勇者はその途中まで来ているようだった。

 身に着けているのは、タオル一枚。ローラは恥じらいながらも勇者の背後へ近づいた。

「これを……」

 勇者は紙の包みを差し出した。

「え……なんですの?」

「……外で待ってます」

 ローラが包みを受け取ると、勇者は慌てて去っていった。 

 包みを開けてみると、白いひとつなぎの服が入っていた。

「まぁ……」

 ローラの持っている服は攫われた時に身に着けていた白いドレスのみ。それも、何日も着通しで泥だらけ、裾は大きく破れていて、もう一度身に着けるのはためらわれるようなモノだった。

 ローラは勇者の心遣いが嬉しかった。

 貰った服を着て外へ出ると、勇者が道の端の岩に腰を下ろして待っていた。

「……勇者さま、ありがとう……」

 勇者は眩しそうにローラを見上げ、優しげな笑みを浮かべた。

「ああ、……美しいですね。本当はもっと高級なドレスを差し上げられると良かったんだが。この村じゃそれしかなくってね」

「まぁ……」

 ローラはぽっと頬をそめた。

 確かに貰った服は丈も膝下までしかなく、生地も麻だった。いつもローラが身に付けているのはシルクで、引きずるような長い裾のドレスばかりだった。

「私、今まで着たどんなドレスより、この服が一番嬉しいです」

 言うと、勇者は優しく微笑んで立ち上がった。ローラの前まで来ると、その手を取って膝を付き、白魚の甲にキスをした。

 今まで数多の貴族達に同じようにされてきた。しかしこんなにも胸が高鳴って、めまいの様にくらくらした事は初めての事だった。

「……これで、無礼者のレッテルは外してもらえますか、姫」

「まぁ、やだ。それは、もちろんです……」

「良かった」

 勇者は笑って立ち上がると、ローラの手を引いて歩き出した。

「あの……、勇者さま!」

「はい?」

 ローラは勇気を振り絞った。

「私……勇者さまをお慕いしてます!」

 勇者は驚いたように目を開いた。胸が早鐘を打っている。

「そりゃ……どうも」

 驚いた顔のまま、勇者は言った。その言葉にローラは落胆した。

「あの……迷惑ですか?」

「いや……」

 勇者は困った顔をしている。やはり、迷惑なのだ。ローラの胸は苦しくなって、涙がぐっとこみ上げた。

 勇者の大きな手の平が、ぽんぽん、とローラの頭に乗せられる。勇者は優しく笑っていた。

「姫……」

 ひょいっと、抱き上げられた。救出されたときと同じように。

「きゃ」

 勇者の顔が、酷く近くへ迫った。

「え……っ」

 唇が、額に触れた。一瞬だけ。

「さ、早く宿へ行きましょう。湯冷めしちまう」

「え……っ、あの……」

 ローラは額を押さえ、かっかと熱い頬を押さえた。とても、湯冷めどころではない。

「明日はラダトームへ帰りますよ、今夜はよく寝てください」

「……は、はい……」

 熱に浮かされたように、ローラは答える。

「よろしい」

 勇者は満足げに笑うと、ローラを抱きかかえたまま宿へと向かった。



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