ドラクエ2 〜真実の姿(ラーの鏡)〜



「あとは犬を探せばいいのかな」

 金の髪をうるさそうに掻き揚げながら、パウロがオレを振り返った。夕日をバックに微笑むその仕草は、厭味なほど優美だ。

 死ぬ思いで旅を続け、伝説の解呪の鏡――ラーの鏡を手に入れ、やっとのことでムーンペタの街へ帰り着いた。もう数日、風呂にも入ってねぇってのに、まだパウロの髪はサラサラとゆれている。全く、こいつは生まれながらの王子なんだろう。同じ王子どうしでも、オレとこいつは人種が違うに違いない。

「何頭いるだろう、結構な数だよね」

 俺たちが探しているのは、先日滅ぼされたムーンブルクの王女。噂では城に攻め込まれたときに、犬に姿を変えられたらしい。オレの予想じゃ8割方殺されたに決まっているが、パウロの奴はまだ信じている。

 ムーンブルク王女マリアの生存を。

「まぁとにかく、今日はもう宿へ泊まろうぜ。犬探しは明日からだ」

「ああ、そうだね。さすがに疲れたよ」

 もう2日、寝ていない。街の外へ一歩出れば、そこは凶悪な魔物どもの世界だ。3日前に交代で仮眠はとったが、もちろん野宿。ベッドで寝たのは思い出せないほど前のこと。

 宿に向かって歩き出したが、パウロが立ち止ったままなのに気づいて振り返った。

「……どうした?」

 パウロは神妙な顔をして大通りの脇に続く細い路地を見つめている。

「……犬が、居るな、と思って」

 犬なんかそこらじゅうに居る。

「なぁ、明日にしようぜ」

 どうせ無駄骨なんだ。

「……いや、だけど……。……気になるんだ」

「おい」

 呼び止めたが聞かなかった。パウロは吸い込まれるように細い路地へ駆けて行った。

「ちっ」

 舌打ちしてオレは後を追った。



「ねぇ、君だよね、今、僕と目があった?」

 野良犬の中でも酷く薄汚れてみすぼらしい犬だった。毛色は元は白かったのかもしれないが、そのせいで余計に汚れが目立っている。

 パウロはその痩せた犬の前にしゃがみこんで熱心に話しかけていた。しかしその犬はうつむいたまま、うんともすんとも言わず、ただ大人しくしている。とてもパウロの言葉を理解しているようには見えなかった。

「僕はサマルトリアのパウロです。あなたは、マリア王女ですか?」

 垂れた犬の耳が、ぴく、と一瞬動いた。だがそれだけだった。

「なぁパウロ、諦めよーぜ」

 見当違いだ。

 だがパウロは諦めなかった。

「ラーの鏡、貸してくれる?」

 切羽詰った表情で、パウロは振り返ってオレを見上げた。

「……」

 どうせ片端から試すつもりだったんだ。オレは道具袋から鏡を取り出しパウロに手渡してやった。

 まず、最初の一匹だ。

 パウロはごくりと喉を鳴らし、犬の姿を鏡に映した――。



 鏡に映った犬の姿が、ぐにゃりと大きく歪んだ。歪んだと思ったら、鏡はビシッと音を立てて大きくひび割れた。

「……!?」

 驚いて目を見張ると、目の前の犬が苦しげな唸り声を上げ、地に這いつくばった。

「王女!?」

 パウロが叫んで手を伸ばす。

 這いつくばった前足の先から薄汚れた毛が見る見る消えて、白く細い腕が伸びる。犬の頭部は紫色の長い髪に包まれ中には白く小さな輪郭が生まれた。白い足がするすると伸びていく。

 長い紫の髪がその背を覆って隠しているが、その身には何ひとつ纏っていない。そこには紛れも無い人間の少女の姿が横たわっていた。

「お、王女!!」

 パウロが少女の肩をゆすり、慌てて纏っていたマントを外して少女の身体に被せた。

――こんな、事が。

 長い紫の髪の隙間からのぞいた、同じ色の長い睫毛が力なく震えた。小さな唇がほんの少しだけ開かれる。

「……あ」

 それだけで、力尽きたように少女はぐったりと動かなくなった。

「大変だ、衰弱しきってる! 運ぼう、手を貸して!」

 言われるがまま、ただオレは呆然と王女の身体を抱き上げた。

 その肌のひんやりとした感触に、ハッとして息を呑む。

 腕に感じる、冷たい体温。軽すぎる、少女の重み。命の重み。

――助けたい。

――絶対に絶対に――助ける!

 余りに強く押し寄せる感情に、突き動かされるようにオレは駆け出した。



 宿の女将に頼んで少女の身体を拭いてもらい、なんとかベッドに横たえた。それでもまだ汚れていて、身体中のいたるところに小さな擦り傷、生傷が見える。顔色は酷く青く、頬はこけていた。

 死んでしまうんじゃないかと思った。

 医者は大丈夫だといった。

 パウロも大丈夫だといった。

 だけど眠っているその少女はあんまりにも細くって。あんまりにもボロボロで。どうやって生きていたのか。どうやって生きているのか。命はすぐにでも消えてしまいそうに見える。

――不安だった。

「ねぇ、僕はちょっと休ませてもらうよ。大丈夫、王女は眠っているだけのようだから……君も、少し休んだほうがいいと思うんだけど」

 何が大丈夫だ。

 どこが大丈夫だ。

 オレは不安でたまらなくって、一時も目を離す気にはなれなかった。

「オレはいい。お前だけ休みな」

 顔も向けずに言うと、背後でため息が聞こえた。が、そのうち諦めたのかパウロは部屋を出て行った。

 頼むから目を開けてくれ。

 まともに開いた目を一度も見ていない。

 あの時僅かに震えた睫毛を見ただけだ。瞳の色も覚えていない。

 無造作に投げ出された、埃まみれの長い紫髪の端をぎゅっと握った。

 その時、唐突に、パッチリと目が開いた。長い睫毛に縁取られた、馬鹿みたいにでかい目の、瞳の色は真紅だった。

「……」

 言葉を。かけようとしたが何も出てこない。オレは呆けたみたいに口を開けたまま少女を見つめた。

 少女はシーツに手をついて身体を捻り、何とか身を起こそうとした。しかし付いた手のひらが滑って、少女はうつ伏せに倒れた。

「…うぅっ」

 慌てて助けようと手を差し伸べる、と。

――バシッ

 伸ばした手を、いきなり払いのけられた。

 少女は怯えたような目でオレを睨み、伏せた格好で警戒している。その身体は小刻みに震えていた。

 獣のようだ。

 オレは酷く悲しくなった。切なくなった。一体いままで、この少女は、どんな。

「なぁ、……王女。……マリア王女」

 驚いたように見開かれる、真紅の瞳。

「あんたは、もう犬じゃない。……人間だ。人間に戻ったんだぜ?」

 まだ事態が飲み込めていないのか、王女はパチパチと瞬きをして、ただオレを見上げている。

「オレはローレシアの王子。……あんたを、助けに来た」

 王女は少しだけ首を傾けて、自分の姿を見下ろした。伏せた身体を起こして壁にもたれ、ようやく座った姿勢になると、マジマジと自分の両手を眺める。小さな白い、指の長い手。一枚着せられただけのシャツの裾から伸びる、棒のように細い二本の足。

 しばらくの間そのままで、王女は自分の身体を見つめていた。

 やがて、ゆっくりと口を開いた。

「……わ、たし……」

 声を出すと、自分でその声に驚いたのか、もう一度顔を上げてオレを見た。

「……わたし」

「ムーンブルク王女、マリア、だろ?」

 長い沈黙があった。

 マリアはオレから目をそらし、視線は空をさ迷っていた。

 そのうち再び口を開いた。

「……そう。わたしは、……マリア。……ムーン、ブルク、の……っ」

 そこまで言って、唐突にオレに飛び掛ってきた。

――!?

 余りに突然の事でオレは身動きも出来なかった。マリアはオレの腰の辺りに飛びついて、ぶら下げてあった鋼の剣を抜いた。

――シャリィィッ

 鞘から抜ける、金属音。

 マリアはオレから剣を奪い、床に立とうとした。しかし足がおぼつかず、剣を握り締めたまま床に倒れ込んだ。

――ドゥッ

「……!? おい」

 唖然とした。しかしそれは一瞬で、直ぐにおれはマリアに飛び掛った。

 マリアは抜いた剣を喉元に、その白い首筋に付き立てようとしていたのだ。

「っ! やめろっ!!」

 マリアの手首を叩いて剣を落とす。あっさりその手を離れた剣は、床に落ちてガツッと鈍い音を立てた。

 マリアは叩かれた手を抱えるようにして床に座り込んだ。

 慌ててその手をとり確認すると、白かった手首は真っ赤に腫れてしまっていた。もう、ほんの少しだって傷つけたくなんかなかったのに。

「……うぅ、どうして。どうしてわたしは生きているの……。わたしだけが、生きているの……?」

 うな垂れたマリアの、丸まった背中が、嗚咽に合わせて揺れた。

「……」

 何も、言うことが出来なかった。

 抱きしめてやりたい。せめて、背中を撫でてやりたい。……だが、触れたら壊れてしまいそうで、それすら怖くて出来なかった。



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