ドラクエ2 〜アンバランス〜
ぜぇ、ぜぇと、かすれたマリアの息遣いが気になって、俺は何度も振り返りながら歩いた。そのたびに、頭から被ったフードの奥の、赤い瞳ににらまれる。
砂漠の旅、三日目。
よりにもよって何で砂漠なんだ。旅慣れないマリアには、歩くだけでも辛いはずだっていうのに。
「ごめん、僕はもうだめだ。少し休みたい」
パウロが先に根をあげた。さすがのパウロの金の髪も、今は汗と砂にまみれて強ばっている。苦しそうに息をついて、流れる汗をぬぐう元気も無いようだ。
「そうだな」
言って、俺はちょうど近くにあった岩場の影を指差した。
「そこで一休みするか」
もうあと少し歩けばオアシスが見えるはずだ。しかし俺以外はそこまで持ちそうに無い。夜までにはオアシスへたどり着く事を目標にして、とりあえず今はここで休むことにした。
岩場の影に腰を下ろすと、パウロはすぐにマントを下敷きにして横たわった。
「おい、大丈夫かよ」
「……きついよ。……ちょっと、休ませて」
それ以上話す気力も無いのか、パウロはそれきり黙って腕で顔を覆った。
「……マリア」
マリアは岩を背にしてもたれ、がっくりと首を落としてうなだれている。返事を返す気力もなさそうだ。俺はマリアのそばに近づいて、顔を覗き込むようにした。
「……マリア」
閉じられていたまぶたが、わずかに開く。くちびるが『な』『に』と動いたようだが、声は出ていなかった。
「大丈夫……か?」
「……」
マリアはまた目を閉じて、浅い呼吸を繰り返している。
気の利いた言葉のひとつも言えない。俺は自分の頭の悪いのが腹立たしくて、たまらなかった。
「水、飲むか」
先日汲んで竹筒に入れていた水は、あとひと口分、これで最後。もう目と鼻の先にオアシスがあるから、良いだろう。
指一本動かす気力も無いのか、マリアはぴくりともしない。口元まで持っていってやったが、それでもマリアは動かなかった。
「……? マリア?」
浅かった呼吸は落ち着くどころか、先ほどよりも荒々しく苦しげなものに変わっていた。
「マリア!」
怖くなってマリアの頬に手を添える。熱い。砂漠の砂と同じくらい。マリアの唇がまた動いた。パクパクと動くその動きは『大丈夫』と見える。
「……っ、どこが!」
マリアの首に手を沿えて上向かせ、最後の水を口元から流し込んだ。白い喉がごくりと鳴って、はぁっと吐息が漏れる。
「……ありがとう。もう大丈夫だから……」
「何が大丈夫だよ! お前熱あるだろう、駄目だ、戻るぜ!」
こんな旅、やっぱり、無茶だったんだ。こいつを連れて歩いてもう三日。戦闘では呪文を使って役に立ってくれたこともある。
だけど、もともとこいつは城の奥深くに暮らしていた王女だ。俺みたいに幼いころから鍛え上げられて育った、体力の有り余っている王子とは訳が違う。おそらくあんなことさえ無ければ、城から出る事も滅多にないような、かよわい、王女。なんでこんな目に合わせなきゃならないんだ。
(くそ……っ!)
……だけどこいつには帰る場所が、無い。
いたたまれない想いでマリアを横たえようとすると、赤い目がきっと音を立てそうな程に俺をにらんでいた。
「大丈夫って、言ってるわ」
「お前の『大丈夫』は信じられない」
俺は冷たく言ってマリアを横たえると、道具袋のキメラの翼を探った。
昨日の事だ。
マリアが突然倒れた。マリアは『大丈夫、ただ転んだだけ』と言い、俺たちもその言葉を信じた。しかしそれにしても何度もつまずくのを不審に思い、問い詰めてみればブーツの中は血まみれだったのだ。豆をいくつも、つぶしたらしい。
すぐに言えばパウロが回復出来るのに……自分で回復する事だってできるはずなのに、マリアはそれをしなかった。
「旅はほとんど歩きなんだもの。こんな事で、いちいち回復呪文を使って魔力を消費するわけにはいかないわ。すぐに慣れるから、大丈夫よ」
そう言って、きかなかった。
痛々しくて見ていられなかった俺は、嫌がるマリアに半分無理やり、薬草を巻きつけてやったのだ。
「大丈夫って言ってるのに……!」
「俺にはそう見えない」
「こんな事でいちいち戻るなんて……っ! これじゃあ、いつハーゴンの元にたどり着けるか分からないわ!」
ヒステリックに言って、俺をにらむマリアの真っ赤な目。俺が弱い、デカイ瞳の強い力。それでも負けるわけにはいかなかった。……これ以上、こいつがボロボロになるところを見るなんてごめんだ。
「だめだ。戻る」
きっぱり言ってやると、マリアは悔しそうに唇を噛んだ。
「……」
「パウロ起きろ、一旦ムーンペタへ戻るぜ」
ムーンペタの宿へ戻ると、案の定マリアは高熱を出して二日ほど寝込んだ。
俺は睡眠を取るのもそこそこに、ほとんどマリアのベッドの側に居た。
寝かせておけば大丈夫だと、医者も言っていたのに、どうしても目が離せない。パウロも呆れていた。
……俺だってバカみたいだと思う。だけど目が離せないんだ。
二日目にマリアはようやく穏やかな息遣いの中で目を開き、そこで見守っていた俺と目が合った。
「……よう」
「……」
マリアは視線だけであたりを見回し、ふっと息を吐いた。
「……看てたの……?」
「え?」
「わたしのこと。……ずっと?」
「あ、あぁ……」
「バカね……」
礼を言われるとは思っていなかったが、あんまりな言いように俺は少しだけ腹を立てた。
「お前が、熱なんか出すからだろ……!」
「……」
マリアは目を閉じた。
「……そうね」
眉間に皺がよって、またどこか苦しげな表情をしている。
「マリア? なんだよ、まだ苦しいのか」
少しだけ顔を背けて微かに首を振った。
「……一人にして……」
「だ、駄目……」
『駄目だ』と、最後までいえなかった。
「お願いよ」
閉じられた瞳の縁の長いまつげは、涙を含んで濡れていた。
俺は驚いて立ち上がった。何か俺は、悪いことをしたんだろうか。
「じゃ、じゃあ、おとなしく寝てろよ。何かあったら、すぐ呼べ。水はそこに置いてあるから。……夕飯は、運んでやるからな」
マリアは顔を背けたままでうなずいた。
俺は、後ろ髪をひかれながら、部屋を後にした。
日も沈んだばかりの時刻、用意した夕飯の皿を盆に乗せて、俺はマリアの部屋を訪ねた。
ドアをノックし、声をかける。
「マリア……」
……しかし返事はなかった。寝ているのかもしれない。俺は勝手に扉を開けて、部屋の中に入っていった。
「マリア……?」
ベッドは抜け殻だった。俺は乱暴にサイドテーブルに盆を置くと、シーツに手を当ててみた。……冷たい。
「……ちっ、大人しくしろって言ってんのに……!」
あいつはちっとも言うことを聞きやしない。だから目が離せないんだ。
「マリア!」
叫びながら部屋を飛び出すと、パウロと出くわした。
「どうしたの? 血相変えて」
「マリアが居なくなった」
「……そう」
「お前見なかったか」
「昼過ぎに部屋を覗いた時は、居たけど……。具合、良さそうだったからどこかへ出かけたのかな」
「出かけた!? 冗談じゃない、まだ熱がひいたばっかりなんだぜ!? あんな身体で何でふらふら出歩くんだよ! くそ……!」
パウロの横を通り過ぎようとすると、肩をつかまれた。
「確かに少し、無茶かもね……僕が探すよ。君はここで待ってて」
「はぁ!?」
「マリアが戻ってきたときに、誰も居ないと不安かもしれないでしょう?」
「じゃあ、お前がここで待ってろ!」
「……カッカしすぎだよ、落ち着いて。いま君、マリアと会ったら絶対怒るでしょう? 良くないよ、あんまりそうやってマリアを責めるの」
「な」
確かにいまマリアに会えば、俺は怒鳴り散らすかもしれない。だけどそれは、あいつが言うことを聞かないから……。
「マリアは君のモノってわけじゃないんだから。……僕たちは仲間だけど、縛ることは出来ないよ」
「だ、だけどあいつ、放っといたら倒れちまうじゃねぇか」
「……そうやって、心配し過ぎるのも迷惑かもしれないよ?」
「なんだと!?」
パウロは腰に手を当てて、大きなため息をついた。
「僕だったらプライドが傷つくね」
「……プライド?」
思っても見ない事を言われ、俺はバカみたいにパウロの言葉を繰り返した。
「とにかく、君は少し頭を冷やしたほうがいいよ。僕は外を見てくる。君はマリアの部屋で待ってて……戻ってくるかもしれないから」
「う……」
目の前を人差し指で差されて、つい俺はうなずいてしまった。
パウロが外へ出かけて行き、俺は大人しくマリアの部屋、ベッドの上に腰掛けた。
(プライドが傷つく……?)
マリアは、か弱い王女だ。心配して、何が悪い。当然じゃないか。国を滅ぼされて家族を失い、犬の姿で街をさ迷い歩いて……あんなに細い身体で、旅をしている。これ以上、ほんの少しだって傷つけたくない。俺はただ、守りたいだけなんだ。
だけどパウロは、プライドが傷つくと言った。
(俺はマリアを、傷つけてるのか……?)
分からない。俺はパウロと違って頭が悪い。言われた言葉の意味も、良く分からなかった。
「ちくしょうっ」
頭を抱えて後ろに倒れこむと、ぎぃ、と扉の音がした。
慌てて飛び起きると、そこには扉にしがみつく様にして、儚げに立つマリアの姿があった。
「マリア……!」
マリアはびくりと身をすくめ、辛そうに眉をひそめた。
「……ごめんなさい……」
「え」
怒って良いのか迷っているところ、先に謝られてしまった。
「……怒らないの? 心配、してたんでしょう……?」
「あ、あぁ……」
『心配するのも迷惑かもしれないよ』と、パウロの言葉がぐるぐると頭の中を回る。
「パ、パウロに会わなかったか?」
「会ってないわ」
「……そうか」
マリアはベッドまで来ると、サイドテーブルの冷めた食膳に手を伸ばした。
「これ、ありがとう……」
「あぁ……」
こう、素直に出られると対応に困ってしまう。いつも何かしてやっても、反抗的な赤い目で俺を睨んでいたのに。
マリアはベッドに腰掛けて、冷めたスープをすくって口元へ運びはじめた。何となく目で追うと、マリアの瞳からは涙がこぼれていた。
「えっ、なんだ、どうした!?」
「……」
マリアは何も言わず、ただ黙々とスプーンを動かして口へ運んでいる。機械みたいに繰り返される動作。ボロボロと零れ落ちる涙。
「おい!」
俺はスプーンを持つ手を握ってマリアの動きを止めた。
「……わたし」
マリアは眉根を寄せて、手元を睨んでいた。
「……足手まといね……」
「えっ」
「あなたに心配ばかりかけて、こうして旅を中断させて」
「そ、そんな風に思ったことはない」
「でも、そうだわ。……大人しく、ローレシアにでも引き取られていれば良かったんだわ……。分かるわ、わたしだって、分かるわよ……!」
「……」
俺は何も言うことが出来ず、ただ呆然とマリアをみていた。
マリアの手からスプーンが滑り落ちて床をたたき、乾いた音が響く。
「でも、一緒に行きたい、仇を討ちたいの。じっとしてたら死にたくなるわ。……お願いよ、わたしはどうなってもいいわ。どんな危険な目にあっても、放っておいてくれたらいい。死んだってかまわないのよ……!」
「ば、バカ! 放ってなんかおけるわけないだろ! 一緒に行くって言ったじゃねぇか! 俺は、守る! もう守るって決めたから……! 死にたいとか、死んでもいいとか、言うな」
マリアは両手で顔をおおって首を振った。
「わたし、庇護されたかったわけじゃないわ……!! ……一緒に、一緒に闘いたかった……」
がつんと、頭を殴られた気がした。
一緒に旅を始めて三日、おれはマリアのことが気がかりで、気がかりで。歩くときも何度も何度も振り返り、戦闘でもいつもかばうようにしていた。
それが、マリアの自信を失わせた……?
「自分の身は、自分で守るわ。だからわたしの事は気にしないで……居ないと思って、普通に闘っていいのよ……」
なんで、こんな台詞を言わせちまうんだ、俺は。
傷つけている。パウロが言っていた言葉の意味が、今ようやく、分かる。
「ごめん……。俺、そんなつもりじゃなかったんだ……。ただ、つい心配で……俺が、心配しすぎるだけなんだ……。ごめん。そうだよな、俺たち、仲間なんだから……どっちが守るとかじゃなくて、一緒に、闘うんだよな……」
「……」
マリアの目がこちらを向く。やっと涙は止まったようだが、うるうると潤んだでかい瞳に真っ直ぐ見つめられて、俺は身動きができなくなる。息が詰まりそうな沈黙が続き……やがてそれは、ぎぃ、という扉の音で破られた。
「あれ? 戻ってたんだ」
パウロだった。
「良かった。マリア? 駄目だよ、あんまりこの心配性を刺激しちゃ」
パウロはそう言いながらこちらへ来て、俺の頭をコンと小突いた。
「キミの事になると、頭に血が上るみたいだからさ」
「お、おい……っ」
俺は小突かれた頭を抑えてパウロを睨んだ。
「事実でしょ」
さらりと言われて、それ以上言い返せない。
マリアはパウロを見上げた。
「……わたし、足手まといになっていない?」
不安げな声。
パウロは意外そうに目を見開き、それからいつもの優美な笑顔を浮かべる。
「いや? 助かってるよ。回復魔法の使い手が増えただけでも、僕は大助かり。誰かさんと違って闇雲に突っ込んだりしないし、呪文の攻撃は僕なんか全然足元にも及ばない程だしさ」
「でも……なんだか闘いにくそうだわ」
「それはこの人がキミを意識しすぎてヘンな動きしてるから。キミが悪いわけじゃないよ」
また頭を小突かれそうになって俺は慌ててかわした。
「歩くのも遅いし……体力もないわ……」
「そんなの。まだまともに旅をしたのは三日だけだもの、すぐ慣れるよ。それに、急げば良いってもんじゃない。じっくり進んで、僕たちも力をつけていかなきゃ、絶対に勝てるような相手じゃないからね」
「……」
マリアは何度も瞬きしてパウロを見つめ、それから俺に視線をうつした。
「な、なんだよ。全部パウロの言うとおりだ」
何一つ上手く言えない俺と違って、パウロはマリアの不安を消す言葉を、するすると綴る。全部、その通りなんだ。
「そう……良かった……」
うつむいたマリアはまたパラパラと涙をこぼした。
「えっ、おい!? マリア!?」
慌ててマリアの顔を覗き込もうとすると、襟首をぐいっと引っ張られた。
「ぐっ」
「だーから、そうやっていちいち大げさに反応しない!」
俺はげほげほと咳き込んで涙目になりながらパウロを睨んだ。パウロは呆れ顔のままため息をこぼしている。
……と、くすくすと、笑う声が聞こえる。
見れば、マリアが目尻をこすりながら、微笑んでいた。
笑顔を見るのは、……六日ぶりだ。
俺は心底ほっとして、泣きそうな気分になる。
「でもマリア、この心配性の事は気にしなくていいけど、無茶のし過ぎは、駄目だからね。旅は長いんだから、焦らないで。熱があったら休まなきゃ」
「分かったわパウロ。ごめんなさい」
笑いながらそう言って、俺にも笑顔を向けた。
「……」
口に出したら怒られるかもしれないが……、俺はやっぱり、この笑顔を守りたいと、このとき強く思った。
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