三十.
綾音と時平は、二人揃って宣耀殿へ戻った。夏木が泣きながら出迎えて、ひとしきり話した後退出すると、二人きり、ようやく結婚の夜となった。
「なんかまだ……信じられないや。……私、時平さまと……?」
綾音はつい先ほど時平から聞かされた真実を、まだ飲み込めないでいた。
「ああ、本当。俺も兄上にはいっぱい食わされた……。ごめんな、いっぱい泣かせちまったな……。あとで兄上には絶対仕返ししてやるから……」
綾音はくすくすと笑った。
「ううん、それは良いよ、時平さま」
「そうか?」
「うん……」
時平が綾音の手をそっと握った。
「時平さま……。春宮になるんだね……」
「え? ああ……まぁ、兄上に男皇子が出来るまでの、繋ぎだと思ってるけどな」
「……良いのかなぁ、わたしなんか……」
「何を今さら……! 俺は綾音が良いんだ」
「……でも、春宮さまになったら、そんなこと」
綾音が言い終わる前に、時平は綾音をぎゅっと引き寄せた。
耳元にそっとささやく――二首
春たてば消ゆる氷の 残りなく 君が心はわれにとけなむ
(春に氷が溶けるように、あなたの心もどうか残さず、この私と溶け合ってください)
君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな
(あなたと共に生きられるなら、惜しくもなかったこの命も、少しでも長くと、願ってしまう……)
「……あ……」
息を飲む綾音の返事も待たず、時平はささやき続ける。
「俺、綾音以外に女御とか迎えるつもり、無いから」
「……! で、でも、普通、春宮さまには、たくさん奥さんが……」
苦しいくらいに抱きしめられて、綾音は途中で言葉を詰まらせた。
「俺は! 絶対に綾音だけ。大臣に何言われても」
「……!」
やっと腕が緩められて、綾音は時平と顔を付き合わせた。
「あは……。時平さま……」
嬉しくて思わず笑うと、時平も嬉しそうに笑った。
「その顔。好きだ。……昔っから、全然変わんないな」
「え……」
時平の笑顔が近づいて、唇に、触れる。
「……好きだ」
「わたしも、好きです……」
晴れて時平と結ばれた綾音は、末永く幸せに暮らしたとか――。
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