一.



 がらがらがら……。

 供の数は数人と少なめで、小さいながらも立派な牛車が都大路を下っていた。車中の人は牛車の揺れに眉をひそめつつ、直衣の襟元を緩める。長い足を放り出しながら、

「おい……、気持ち悪い。ゆっくり走ってくれ」

と不遜げにのたまった。

「はっ」

 牛飼いの短い返事の後、牛車の速度がだいぶ落ちたのは確認したが、気分は一向に良くならない。そっと物見(ものみ:窓)を開けてみれば、月明かりが青く冴え渡り、鈴虫の声も耳に優しい爽やかな夜。

「はぁー、くそ、飲みすぎた」

 左大臣家の末息子、頭の中将はまったく爽やかで無いため息をついた。

「もうすぐ三条に着きますよ。今夜はお邸の方にご帰宅でよろしいですか?」

 すぐ側を歩いている従者の吉政が声をかけてきた。三条の左大臣邸。自宅だというのに何日も帰っていないが……。

「いや……六条まで行ってくれ」

 やはり気分の悪いときは女に慰めてもらったほうが良い。

「分かりました。……具合、大丈夫ですか? そのご様子で、女とは……」

 吉政はまったく困った坊ちゃんだとでも言いたげにぶつぶつとぼやいた。

「大丈夫だ。六条のはもう歳で、眠るだけで満足なんだから。粥でも食わせてもらって寝るよ」

「はぁ……。あまり恨みを買うような真似はしないで下さいよ、幸宗さま」

「うるさいぞ」

 頭の中将・幸宗には家に帰りたくない理由がある。父・左大臣の小言だ。あちこちに女を作って遊びまくっている幸宗は、未だ正妻を持っていない。もう二十歳にもなろうというのに妻も持たず、ふらふら遊び歩いているとは何たること、と父は余計な気を回して、家に帰るたびあちこちの姫との縁談話を持ってくるのである。

(冗談じゃない、……縛られて、たまるか)

 あちこちに女はいるが、身分の高い独身女には手をつけないのが幸宗の主義だった。

 ちなみにこれから通おうとしている六条の女は備前の守の妻で、もう四十路にもなる年増女である。はっきり言って恋心は、無い。しかし話し相手には丁度良く、気も利くので居心地が良いのだった。

「しかしねぇ、幸宗さま。大臣(おとど)にも、言われているのです。あまり見込みの無い相手にばかり通わせてくれるな、と……」

「!」

 幸宗は吉政をひと睨みして、ぱしっと物見をしめた。

(……ったく、従者にまでそんな事を……!)

 幸宗はちっと舌打ちし、片膝を抱えてため息をついた。幸宗にも、分からないわけではない。いつかは自分とつりあう身分の高い姫の元へ通い、ゆくゆくは左大臣家を出る。しかしそうして得た姫がもし気に入らなければどうすれば良いのか。そこいらの女と違って縁を切ってやる事も出来ない。何人もの正妻を迎えて不幸にさせるなど、父には出来ても自分には到底出来そうもない。不幸な顔の女を見るのは嫌いなのだ。どうせ妻を迎えるなら幸せにしてやりたい。……それならば、妻を迎えるその前に。

(一度くらい、本気の恋をしてみたいじゃないか……)

 何人もの女と遊んできた幸宗ではあるが、未だかつて本気の恋は、無かった。

 意外にロマンチストなプレイボーイなのである。



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