五十二.
「……っ!!!」
楓は目を白黒させてその様子を見ている。幸宗は笑いをこらえるのに必死だった。同じように単姿になって、楓の目の前に腰を降ろす。
楓は真っ赤な顔で口元を押さえつつ、穴が開くほど幸宗の姿を見つめていたが、そのうちハッと我れに返ったのか、思い切り顔を背けた。
「あ……っ、なぜそっちを向くんです」
「だ、だって……っ」
楓は半分涙声になっていた。
「こちらを向いてください」
「……」
辛抱強く待っていると、ようやく少しだけ顔を上げた楓と目が合って、幸宗は思わず笑みを零す。
「そんなに、泣きそうな顔をしないでください」
「……だ、だって……あの、すみません。……き、緊張しちゃって……っ」
「私も緊張してるんですよ」
「う、うそ……っ」
「本当です」
そう言って楓の手を握る。
「……冷たいでしょう?」
先ほどまで緊張していたのは本当で、幸宗の手は冷たかった。逆に楓の手は眠っていたせいか酷く暖かい。
「……」
楓は上目使いに幸宗を見た。まだ、どこか困ったような、真っ赤な顔をしている。
「中将さま……。あの……」
「なんです?」
「あの……私も……。待ってました。今日になるの……ずっと……」
おずおずと消え入りそうな声が幸宗の胸に染み渡って愛しさがこみ上げる。
「……楓……」
「は……」
はい、と言い終わらないうちに、幸宗は楓を引き寄せて唇を塞いだ。
「ん……っ」
やはり驚くほどに甘い。以前のように重ねるだけの物足りない口づけでは止まらない。強引に進入して、深く唇を交わらせた。全てからめとるかのように、深く深く味わう。そのうち楓は苦しげなうめき声を上げたが、それでも放しがたく幸宗は少しづつ唇をずらして、しつこく楓を貪った。
「……っ」
やっと解放して楓を見つめると、うっすら涙のたまった瞳ではぁはぁ息をついている。
「楓……」
もう一度、と顔を寄せると、楓は幸宗の胸に手を当てて顔をそむけた。
「ちょ、ちょ、ちょっと、待ってください」
「……あんまり待てませんよ」
幸宗は意地悪く言って、当てられた手を外して引き寄せてしまう。
「ち、中将さまっ」
「……楓。私の名前は知っていますよね」
幸宗は毎日かかさずおくっている文の最後に、名前を書いている。当然楓は知っているはずで、こくりとうなずいた。
「……呼んで頂けますか?」
楓は顔をそむけたまましばらく黙っていたが、そのうち、ようやく小さく口を開いた。
「……ゆ……、幸宗さま……」
胸が高鳴る。こらえ切れずに幸宗は楓を強く抱きしめた。
「んん、ちょっ、苦し……っ、幸宗さまっ」
ついつい力が入りすぎてしまい、慌てて腕を緩める。
「すみません」
「はぁ……」
ほっと息をついている楓の髪に手を差し入れて、今度は抱え込むようにして優しく抱く。
「……楓」
名を呼んで、顔を上げた楓に、すぐに口づけた。
「!」
二度目の深い口づけ。楓が苦しげな声を漏らすまで長く吸い続けて、やっと解放する。
楓はぐったりして、幸宗の胸にもたれ掛かってしまった。息切れしている楓の髪を撫でてやりながら、
「大丈夫ですか?」
とたずねる。楓はゆるゆると首を横に振った。
「もうだめ……」
「駄目?」
幸宗は楓の髪を撫でながら笑った。
「これくらいで音をあげてもらっては困ります」
「こ、これくらいって……」
幸宗がふっと含んだ笑みを浮かべると、楓は真っ赤な顔をますます朱に染めて、幸宗の袖を掴んだ。
「……っ、ゆ、幸宗さまぁ……」
鼻にかかった泣き声が幸宗の胸をくすぐる。
「楓……」
どうしようもない愛しさに身を任せて、幸宗は楓の身体を横たえた。怯んだ顔の楓をあやす様に髪を梳いてやる。
「――恋ひ恋ひて 命あやふき 我が袖に けふは留まれ 楓狩る夜……」
「……幸宗さま……」
楓の長い睫毛が何度も上下した。
「……愛してます」
真剣な面持ちで言うと、楓はばっと袖で顔を覆ってしまった。しかし直ぐに袖をずらして瞳を覗かせる。
「あの……わ、私も……です」
おずおずと言ってから、また顔を隠してしまった楓の腕を退かして、幸宗はにっこり笑った。
「ありがとう……」
ゆっくりと、唇を落とす。
こうして幸宗はとうとう楓を手に入れた。
二人は幸せな夜を迎え、その後も幸せに暮らしたとか――。
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