麗しき公達の誘い 七.


 すっかり夜も更けた戌亥の頃(夜九時頃)。
 なぜだか千夜子は寝付けずに、寝返りを打っていた。すると、きしきしと、簀子縁のほうに人の気配がする。

(やだ……。何……?)

 無用心なこの屋敷でも、どうせ何も取られるものなどないと今まで安心して暮らしていたが、千夜子は何か身の危険を感じた。

「お姫ぃさんや……」

(この、声……!)

 それは、今日とぼとぼと帰っていった、もう会うことは無いだろうと思っていた、受領の声だった。
 受領はさっと部屋の中へ侵入すると、千夜子の被っている衾(ふすま:布団代わりの衣)を剥ぎ取り、千夜子を抱き起こした。そして、ぎゅうっと抱きしめる。

「や、嫌……っ!」

 恐ろしさに総毛立つ。受領の息遣いが耳元に聞こえ、でっぷりとした肉の感覚が千夜子の身体にまとわり付く。

「お姫ぃさん。本当はこんなに急いた真似はしとうなかったんじゃが……、仕方ないんじゃ、許しておくれな。さぁ、わしの家へ行きますぞ。なぁに、後であんたの母君さんもちゃんとお迎えを寄越すから、心配せんでいい。さ、さ」

 受領はその太い腕で無理やり千夜子の身体を抱きかかえた。あまりの恐ろしさに、喉がひりひりとして、上手く声が出ない。

「嫌ぁ……っ! は、母上……っ、誰か……!」

 誰か、と言ってもこの屋敷には母の他には誰もいない。受領は千夜子を抱きかかえると、さっさと簀子縁に出てゆく。

(やだ、こんなの嫌だ……っ!!)

 千夜子は恐ろしさでがくがくと震え、ボロボロと涙を零した。

「曲者……っ!」

 男の叫ぶ声がして、簀子縁の上に誰かがどんっと音を立てて登り、立ち塞がった。

「んん……っ!?」

「貴様、何者だっ、姫君をどうする気だっ!?」

「な、そっちこそ何者じゃ、わしゃあ、この姫さんとはかねてより結婚の約束をしておる者じゃ!」

「……っ、う、嘘を申すなっ! ならば何故そのようにコソ泥のような真似をしているのだ!」

「な、何を……! ええい、とにかくそこを退かぬか!」

「俺は左近の中将! この俺に意見するからには相応の覚悟があろうな!」

「……っ!」

 急に、受領の手が離れ、千夜子は簀子縁に落ちてわき腹をしたたか打ちつけた。

「きゃっ」

「姫! 大丈夫ですか!?」

 呼ばれて男のほうを見ると、なんと太刀を手にしている。

「あ、あ、ああ……っ」

 千夜子は恐ろしさが先立って、まともに男のほうを向くことも出来なかった。千夜子の怯えに気づいたのか、男は慌てて太刀を捨てた。

「ええい、そこのお前、名を名乗らぬか!」

 丸腰になっても男の威勢は衰えない。とうとう受領は諦めたのか、簀子縁を転げるように飛び降りて、走って逃げ出して行った。

「ちっ、下郎が!」

 男は吐き捨てるように言うと、千夜子の方に走りよってきた。

「姫君! 大事ありませんか!?」

 千夜子はがくがくと震えが止まらない。目の前に男がいる。受領でなくても、見知らぬ男が、何の隔ても無く目の前にいるのだ。

「あ、あ……」

「姫君……」

 男は一歩後ろへ下がると、膝を突いて頭を垂れた。

「貴女をお助けするためとは言え、このような突然の無礼、お許しください。……俺は、左近の中将。貴女に懸想する者です……。今夜は、その……姫のお姿をちらとでも拝見できぬものかと、こうして忍んで参った次第です。……どうかご無礼、お許しを……」

 千夜子はようやく少しだけ、落ち着きを取り戻しはじめた。左近の中将。それは今日、米と歌をおくり、庭先の手入れまでしてくれた、貴人である。
 あらためて、中将の姿を見る。
 大柄で凛とした、涼しげな面立ちの、貴公子であった。

「あぁ……私。助けて頂いて……」

 喉がからからで上手く言葉が紡げなかった。とにかく起きて、御礼を言わなければと思ったが、身体が震えてそれすら上手くいかない。

 そのとき。
 また、庭先に別の男がやって来る気配がした。

「宵の間も はかなく見ゆる 夏虫に 惑ひまされる 恋もするかな……
 (夜の間に、はかなく飛び惑う夏虫にもまさるほど、さ迷うような恋をしています)」

「……! 兵部卿の宮……!」

「やあ、左近の中将……奇遇ですね。おや、それに……今日は月が外へ出ておられる。……何か、お取り込み中でしたか?」

 やけに優雅な兵部卿の宮の声を聞いて、千夜子は全身の力が抜けていくような気がした。



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