後宮 一.


「この勝負、私の勝ち、というところでしょうね、左近の中将」

 左近の中将は真っ青な顔で、姫君から兵部卿の宮宛に届いた文を凝視している。
 今日、二人は揃って内裏での宿直であった。そこへ丁度、計ったように届いた姫君からの、文。

『君待つと 我が恋ひをれば 我が宿の 簾(すだれ)動かし 秋の風吹く
(貴方を恋しく思って待っていると、私の家の簾を動かして、秋の風が吹き抜けて行きます)』

「……」

 左近の中将はまだ信じられない、といった面持ちで、じっと文を凝視している。

「そんな……。あ、貴方には他に何人も愛人がいるでしょう。あ、あの姫君だけは……っ」

「それは姫が決めることです。……ま、少々意外ではありましたが」

 ふっと笑いつつ、兵部卿の宮は文を取り上げると懐にしまった。

「……っ」

 何も言い返せず、中将が顔を真っ赤にしていると、渡殿の方から人の気配が近づいてくる。

「……これは」

 兵部卿の宮が、頭を下げる。

「あ、東宮……っ」

 左近の中将も慌てて平伏した。

「……よう、お前達、なにやら楽しそうじゃないか。何の話だ?」

 東宮は、左近の中将と同じく、御年十七歳。後宮の女官すべてを虜にする、花盛りの公達ぶりである。が、昨年、唯一の東宮女御であった桐壺女御を病で亡くして以来沈みがちで、以降、数多ある入内(じゅだい)の話を全て拒んでいる。いま、内裏では東宮の前で女人の話はご法度として暗黙の了解となっているのだ。
 東宮はその場に座り込み、二人の話に加わろうとした。

「いえ、たいした話ではありませんよ、東宮」

 兵部卿の宮は東宮の叔父にあたる。親しげな口調ではぐらかそうとした。

「どうせお前の事だから、女の話だろう、兵部卿の宮」

「おやまぁ、鋭い」

「今度はどんな女だ」

「……東宮にはお聞かせするのも恐れ多い、下賤の者ですよ」

「げ、下賤という事は無いでしょう……っ」

 思わず中将は声を荒げた。先ほど見た姫君からの文の衝撃もあり、たとえ東宮の前であってもそのような呼ばれ方をされるのは耐え難かったのだ。

「……珍しいな、左近の中将」

「……は、はっ、失礼しました……っ」

 中将は慌てて頭を下げる。

「どんな女だ?」

 東宮は、今度は中将の方に詰め寄った。

「それは……今は零落されてはおりますが、先々帝の六の宮の姫君で、それはお美しく心栄え清らかな……」

「お前、見たのか?」

「え? は、はい。ちらとだけ……」

「へぇ……。美しかったか」

「は、はい……」

「そうか。楽しそうだな。……で? どっちの女なんだ?」

 東宮が二人の顔を見比べる。

「……っ」

 中将はぐっと言葉に詰まった。すると、兵部卿の宮はにこやかに笑う。

「今までは、私と中将と、二人して面倒を見ていたのですよ。……しかしこれからは、私一人がお世話する事になりそうです」

「ふぅーん」

 東宮はつまらなそうに口を曲げた。

「中将が女に入れ込むなんて、滅多に無いことだろ、譲ってやればいいじゃないか」

「それは姫君が決めたことですので」

「……俺が女ならお前なんか絶対選ばないけどな。分からんな、女なんてもんは……。おい中将」

「は、はい……」

「気を落とすな」

「……は……」

 気を落とすなと言われて、中将はますます、自分は振られたのだと、惨めな気分になってきた。情けなくも目頭が熱くなってくる。

「おい中将。……そんなにいい女だったのか?」

「……それは……」

 とても言葉では言い表せない。憧れの人だったのだ。

 答えられずにいると、突然東宮は立ち上がった。

「俺も見たい。おい中将、お前、案内しろ」

「……は?」



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