後宮 二.


 とんでもない事になってしまった。
 左近の中将は馬を走らせながら、まだ青い顔をしている。
 東宮は、いとも簡単に内裏を抜け出してしまった。あろう事か、左近の中将の供人の振りをして抜け出したのである。もし東宮の身に何かあれば全て左近の中将の責任だ。

 それだけではない。
 東宮は今夜、とんでもない賭けに、中将を乗せたのだ。



「なぁ兵部卿の宮、左近の中将にも、少しは機会を与えてやったらどうだ?」

 不意の外出を止めようとする左近の中将の声は無視され、突然東宮は兵部卿の宮の方に向き直ってそう言った。

「……機会、と申しますと?」

「この中将が女に惚れるなんて滅多にない事だ、可哀想だろう。今夜、その姫君とやらを口説きに行って、首尾よく中将が姫君の寝所に入り込めれば左近の中将の勝ち、駄目なら兵部卿の宮の勝ち。……ってのは、どうだ?」

 東宮はいかにも良い事を思いついた、というように楽しげに笑っている。

「なぁ、良い考えだろう。上手く行くかどうかは、この俺が直々に見届けてやる。上手く行けば、ついでに姫も垣間見できるだろ」

「……東宮、それでは私には何の得もありませんが……。既に姫は私を選んでいるのですよ?」

 兵部卿の宮は不満そうに……しかし何処か楽しげな様子で、不平を漏らした。

「お前はこの道の玄人だろう。ど素人の中将に、最後の機会を与えてやってもいいじゃないか」

「……中将殿、どうします? 東宮にこうまで言われては、私としてはこれ以上反論もできませんが」

 兵部卿の宮は杓を口元にあて、やはり楽しげな様子で中将を見た。

「……姫君の、しし寝所に……は、入るの、ですか……?」

「そうだ」

「……」

 寝所に入る……。つまりそれは供寝するということで……。

「そんな、俺は……いや私は、まだ姫君から何も、色好い返事を貰えていません。それをいきなり寝所に押し入るなど、ぶ、ぶしつけ過ぎるのでは……」

「だーかーら、口説くんだよ。その場で口説いて、妻戸(つまど:板の扉)を開けさせるんだ。姫のほうからな」

「……そ。そんな」

 助けを求めるような気持ちで兵部卿の宮の方を見てみると、宮は顔を背け、肩を揺らしている。くくっ……と、あろうことか忍び笑いまで漏らしていた。

(……く、くそ……っ、何がおかしいんだ……っ)

 おそらく到底無理だとでも、思っているのだろう。

「どうする中将? 最後の機会だぞ」

 東宮が詰め寄ってくる。……中将は半ば、勢いだけで答えていた。

「わ、分かりました……! 乗りましょう……!」



 本当に、とんでもない事になった。
 七条までの道のりは意外にも早く、姫の住む質素な屋敷にあっという間に到着してしまった。

 庭先に馬を停めながら、

「いいか、お前が寝所に入るのを見届けたら、俺は一人で御所に帰るからな。なに、俺は忍び歩きには結構慣れてる、心配するなよ。……駄目だったら、その時は慰めてやるからさ」

 にやりと楽しげに笑う東宮を、恐れ多いこととはいえ、憎らしく思った……。


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