後宮 十一.
梨壺へ向かう渡殿の途中で、青ざめた様子の少外記に出くわした。
「し、七条さんっ……! 一体どちらに行ってたの!? 東宮がお呼びよっ。そりゃあもう怖いお顔で『七条は何処だっ』って……。あなた、何かしたのっ?」
「……ごめんなさい、迷惑をかけたみたいで」
「いいわよ、でも本当に早く姿を見せたほうがいいわ……っ」
「ええ」
心配そうに見送る少外記を後にして、千夜子は梨壺の奥、東宮の居る室まで進んでいった。
「お呼びですか、東宮」
声をかけると、ばっと御簾がまくられて、転げ出るように東宮が顔を出した。
千夜子の顔をまじまじと見つめ……それから、
「……なんだ。居たのか……」
まるで安堵したかのような声で、そう漏らした。
「い、今まで何処にいたんだっ! 俺は下がれとは言ったが、姿を消せとは言ってないぞ!」
「特にする事もありませんので。後宮を見学しておりました」
すまして答えると、東宮はかっと頬に血を上らせ、千夜子の方に歩み寄った。
「勝手なことをするな! お前は梨壺から出るんじゃないっ」
「……」
「分かったのかよ!?」
「……」
明日にでも、梨壺どころか後宮から逃げ出すつもりなのだ。何も答えずにいると、東宮は千夜子の肩をぐっと掴んだ。
「……俺が嫌いだから、言う事は聞けないっていうのか?」
それまで荒げられていた東宮の声が、ぐっと低く下がった。
「……」
それでも答えずにじっと顔を背けていると、東宮の指が肩に食い込んだ。
(……痛っ)
しかし千夜子は声を漏らさなかった。もう、東宮には屈しないと決めたから。
「……本当に腹の立つ女だな、お前……っ」
ぎりぎりと、指が食い込む。
痛みに脂汗がにじみ、声が漏れそうになったとき、ようやく東宮の指は離れた。
「誰か!」
東宮が叫ぶと、直ぐに庇の方に女房らの気配が現れる。
「こいつを塗篭(ぬりごめ:物置)に閉じ込めておけ!」
(え……っ!?)
直ぐに女房ら数人がやってきて、千夜子の周りを取り囲んだ。そのうちの一人が、同情したような目で千夜子を見やり、東宮に問いかける。
「東宮、本当に塗篭に……?」
「そうだ! 早くしろっ」
東宮の激しい剣幕に、女房は肩をすくめる。そのまま千夜子は外へ連れ出され、梨壺の隅の塗篭に連れてこられた。
狭い塗篭は周囲を厚い壁で塗りこめられており、申し訳程度に明り取りの窓がしつらえられている。
「……東宮のご命令ですので……」
先ほどの女房が、申し訳なさそうにそう言って千夜子を中へ押し入れる。妻戸が閉じられ、外からは錠がかけられる、音がした。
「こんな……」
窓から差し込む細い細い月明かり。それだけが、唯一外との繋がりだった。
(これじゃ、逃げられないじゃない……!)
千夜子は愕然として、座り込んだ……。
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