塗篭の姫君 六.


「それにしても、三の君殿はお美しくなられましたね。……喜ばしいことです」

 三の君の出て行った後を眺めながら、兵部卿の宮は含んだ笑みを見せた。

「宮……。三の君はまだ幼い。いくら色好みの宮でも、あれは……無いでしょう」

「おや」

 兵部卿の宮は眉を少しあげると、おかしそうにくすくすと笑った。

「中将は私を一体どんな男だと思っているのでしょうね。……まさか、東宮へ差し上げようという姫君を、そんな目で見ていた訳ではありませんよ」

「じゃあ……」

「三の君殿には、つつがなく東宮の元に入内して頂き、東宮の寵を得て頂かなければいけません。……少しばかり、七条の姫君とは趣が違いますが、あれほどのご器量ならば、東宮もきっとお気に召されるだろうと、そう考えていたのですよ。……まぁ、確かにまだ幼くていらっしゃるが、あと二・三年もするうちに、目の覚めるような美姫になられる事でしょう」

 そう、三の君は、まだ十二。それは兄として、左近の中将の気がかりであった。

「あと、二・三年後であれば、本当に……。なにぶんまだ幼い妹を嫁がせるのは、私としては少しばかり、気が進まないのです」

「しかしどのみち入内されるのであれば、早いほうがいいでしょう。……右大臣家の安泰のためにも」

「右大臣家の……?」

「私には姫が……。子供がいませんからね」

 兵部卿の宮はふと笑みを崩して目を伏せた。そう言われてみれば確かに、と左近の中将は思い当たる。
 兵部卿の宮が左近の中将の姉……右大臣の大君を正妻としたのは、確か彼が元服してまもない十四の頃だった。それから早、十一年。彼は既に二十五を数えるはずだが、二人の間に子供は居ない。他にも、あちらこちらの姫君の元をふらふらと遊び歩いているはずだが、ついぞ、子供が出来たという話は聞いたことが無かった。
 おそらく彼は……子供に恵まれない体質なのかもしれない。

「私が頼みにできるのは、舅(しゅうと)の右大臣殿だけです。右大臣家の安泰のためにも、三の君殿の東宮妃入内は、つつがなく……他の貴族に先を越される前に、執り行う必要があります」

 そう言った兵部卿の宮の顔は、いつもの色好みの貴公子ではなく、政(まつりごと)を行う公卿の顔をしていた。
 兵部卿の宮ほどの身分であれば、子供に恵まれさえすれば、右大臣家を頼みにせずとも朝廷での立場を強く保てるだろう。しかし……。

「ああ、貴方にはまだ少し早いお話でしたね。……貴方はまだお若い。七条の姫君の事はともかく……早くご結婚されると宜しいですよ。……もし私に姫でも居れば、迷うことなく貴方にお預けしたでしょうに……残念なことです」

「そ、そんな……。父上のようなことを言わないでください」

 この時代は、姫を持つ貴族が勝つと言っても過言ではない。姫を帝に嫁がせて、その姫が次の帝を産み参らせれば……それはこの世の栄華を掴むことと同義であった。
 だからこそ貴族の男は早いうちに家柄の良い娘と結婚をし、競って子をつくる。
 たとえ姫を帝に上げられずとも、とにかく姫がいなければ、家の繁栄は成り立たない仕組みとなっているのであった。

「はは、そうですね。お説教は止めておきましょう。……今は中将殿も、七条の姫君のこと以外は、考えられないようですから」

 最後に悪戯めいた笑みを浮かべて、兵部卿の宮は帰って行った。


 ……実際、左近の中将には、兵部卿の宮の言った事を理解は出来ても、とても真面目に考えることは出来なかった。
 今、中将が気にかかって仕方がないのは……「塗篭の姫」と呼ばれるようになってしまった姫君の御身の事。大切にされているとは聞いたが、塗篭に閉じ込められて……いずれ、三の君が入内するとなれば、おそらく後宮を追われる事になる。
 その時は。
 兵部卿の宮が面倒をみるとは言っていたが……もし叶うなら……その時は。

(……姫……!)

 翌日から中将は、参内することを決めたのだった。


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