夢かうつつか 一.
牛車に揺られながら、物見(ものみ:小窓)を過ぎる京の街並みをぼうっと眺めていた。
千夜子が後宮を後にしたのは、夜も明けきらぬ暁頃だった。徒歩で内裏を抜けると、すぐに兵部卿の宮が用意してくれた牛車が迎えに来た。かねてより、由紀と兵部卿の宮とでいつでも使えるようにと、手配してくれていたのだと言う。
行き先は、兵部卿の宮邸でも七条の千夜子の屋敷でも、どちらでも好きなようにと言われたので、千夜子は七条に帰りたいと言った。
「……姫様、お疲れですか?」
一緒に牛車に乗ってくれた由紀は、千夜子を心配そうに覗き込んでいる。
「……あ、ううん。大丈夫」
千夜子は微笑んでみせる。
やっと後宮を抜け出して、あれほど帰りたいと願っていた家に、帰れるのだ。嬉しくないはずがない。……しかし。
思い出されるのは、あらぶる激情と、気遣わしげな仕草。千夜子を見つめる熱いまなざし。呼ばわる、声。息づかい。それらはまだ、千夜子の身体に残っているような気がする。
(……東宮)
きっともう、二度と会うことは無い。
最後に見た東宮は、その整った美しい面差しとは裏腹に、まるで子供のようないとけなさで眠っていた。「さようなら」と最後にその寝顔に告げて。
(夢かうつつか……)
もともとが雲の上の世界の出来事だった……きっと全て、夢の中の出来事だったのだ。
「もうじき、着きますわよ。……あら?」
由紀が言って、不思議そうに物見をうかがった。
「……馬が」
ひづめの音が、近づいている。
馬の音が間近に迫ると、牛車は急に動きを止めた。
「どうされました」
由紀が声をかけると、牛飼い童(御者)の困惑した声が返ってくる。
「こちらの御仁が……供をなさりたいとかで……宜しいですか?」
「? こちらの御仁?」
由紀がひょいと簾を上げてみると、そこに居たのは馬にまたがった狩衣姿もりりしい、青年貴族の姿だった。
「まぁ、……左近の中将様!」
「!」
慌てて扇で顔を隠し、簾の隙間から覗いてみれば……それは確かに、千夜子も何度か目にした事がある、左近の中将の姿。中将は馬を降りると、膝をついた。
「未練がましい男よとお笑いにならないでください、姫君。どうぞ、お屋敷までのお供をさせて頂きたく」
そう言うと中将は顔をあげ、はにかんだように笑った。
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