君恋ふる 一.


 梨壺に呼び出された左近の中将は、ただ平伏して東宮の言葉を待っていた。一緒に呼び出された兵部卿の宮もいつになく緊張した面持ちで東宮の様子を伺っている。
 東宮の口から漏れるのは、ため息ばかり。呼び出されはしたものの、何の言葉もなく……ただ重苦しい空気だけが漂っていた。
 痺れを切らしたのは兵部卿の宮だった。

「東宮。……あまり我が義弟君をいじめてくださいますな。これでは申し開きも出来ないでしょう」

「……」

 ふてくされた表情の東宮はちらりと兵部卿の宮を見やり、それからまたため息を落とした。

「別に。申し開きするようなことは何も無いだろう。……中将、顔、上げろよ」

 ようやく顔をあげると、まだ仏頂面の東宮は扇をもてあそびながら床を睨んでいる。左近の中将はただ黙って東宮の言葉を待っていた。
 東宮は何度も扇を開いては閉じてを繰り返し……ようやく、口を開いた。

「七条の……様子は、どうだ?」

 ずっと、これが聞きたかったのだろう。それは分かっていた事だ。

「は……。まだ、母君をなくされて日も浅い事ですし……気落ちしてらっしゃるご様子です」

「……お前が、慰めてるとか、聞いた」

「……はい。及ばずながら」

「……」

 東宮はまたため息をついて扇を閉じる。

「七条に……手、出したのかよ」

「……それは……」

 左近の中将は口ごもった。手を出したなどという事実は無い。最近では、部屋にも入れてもらえなくなってしまっているのだが……それでも、何日も屋敷に通い、宿直をしたのは事実である。世間的に見れば、手を出した、と見られても間違いとは言い難かった。

 ばしっ、と音がして、見れば東宮は扇を床に叩きつけていた。

「あいつは……っ、俺のだ……っ!」

「……!」

 左近の中将は返す言葉もなく、ただ平伏するしかない。兵部卿の宮が扇を拾い上げ、東宮へ差し出した。

「東宮……。七条殿は、どなたかがお世話をしなければならない。それほど困窮されているのです。……本来ならば私が面倒を見たいところでしたが……この左近の中将は、私以上に、誠心誠意、七条殿のお世話をされています。……東宮は、七条殿がこの後宮から退出されるのを、お許しになったと聞いていますよ。今さらそのようにおっしゃられても、左近の中将もお困りでしょう」

 差し出された扇を、東宮はひったくるようにして受け取る。

「……俺は……っ、許したくなんか無かったんだ、本当は……っ」

 東宮は頬を紅潮させて、肩をいからせる。

「本当は……っ」

「……では、七条殿を呼び戻しますか? それとも女御として入内させますか」

「……っ」

 東宮はきっと兵部卿の宮を睨み……それから、ため息を落とした。まるで泣くのを堪えるように、片膝を抱えて、顔を伏せる。
 女房として仕えている間も、東宮の寵を得たせいで、姫君は後宮の女達の嫉妬の対象になっていたという。まして、なんの後ろ盾も財も無い姫が入内などしたら、それこそ身の置き所も無く辛い立場になる事を、東宮は知っているのだ。

「そう、いつまでも居なくなった者の事を引きずっても仕方の無いことです。東宮がお忘れになられるのが、七条殿のお幸せにもつながるでしょう……。それよりも、そろそろ右大臣殿の三の君の入内を真剣にお考えになられては……」

「今は考えられない」

 膝を抱えたまま、東宮は答える。
 やがて、少しだけ目線を上げると、中将を見た。

「中将……。会いたいんだ、七条に」

「……は」

「垣間見でもいい。……会わせてくれ」


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