君恋ふる 六.


 内裏は表向き、穏やかだった。しかし仕える女房たち……とりわけ梨壺の女房達の顔色は青ざめ、ひどく落ち着きがない。
 兵部卿の宮が事を知ったのは、直接今上に呼び出され、その行く先を問いただされたからだった。

「東宮が……!?」

「仲の良いお前なら、何か聞いているのではないか」

「いえ……」

 東宮が梨壺を飛び出したまま、帰ってこない。書置きに「しばらく戻らないが、心配するな」とだけ、残されていたという。
 この件について帝は緘口令をしいており、今朝の朝議でも表向きは落ち着いた様子を見せていたが、今ではすっかり顔色を無くしている。

 心当たりと言えば……七条の姫君の事しか、思い浮かばなかった。東宮はずっと、姫君の行方を気にして、食事もままならない様子だった。しかし姫の行方の宛てもなく内裏を飛び出して、東宮がいったい何処へ向かうのかまでは、予想できない。

「七条とかいう女房が……気に召していたらしいな」

 塗篭に閉じ込めて寵愛したという女房の噂は、今上の耳にも届いている。

「は……」

「迎えにいった訳ではないのか」

「……七条殿は……数日前から行方知れずになられたのです。それを、東宮はひどく気にされておられるご様子で……確かに、探しに行きたいと、おっしゃられることもありました……」

「七条とは、どういった者なのだ」

「……先々帝の六の宮の姫君であらせられます……。本来なら、後宮にお召しになるような身分の方ではございません。……東宮が気に入られて……無理に、仕えさせられておりました」

「先々帝の……」

 帝の祖父である先々帝は既にこの世を去って久しい。記憶に遠いのか、帝は目を細めて思い出すようなしぐさをしていたが……やがて首を振った。

「……思い出せんな」

 官職についていた二の宮、三の宮ならばまだしも、六の宮ともなれば、記憶に無くとも、帝の情が薄いというわけでもない。皇位継承に遠い親王というものは、世に忘れられがちなものなのである。

「その、姫を探すために、あれは内裏を抜け出したのか」

「は。おそらくは……」

 帝は大きくため息を漏らした。

「右大臣の姫の入内にも乗り気でないのは、そのせいか」

「はい……」

「よもや、内裏をぬけだすとは……」

 再び、重いため息が漏れる。

 ともかく東宮がいなくなった事を表立って騒ぎ立て、事件になるような事にはしたくない。なんとか数日のうちに無事に連れ戻し、何事も無かった事にしたいと帝は言った。兵部卿の宮も内密に探すようにと頼まれて、今上の前を辞したのだった。


(困ったものですね……本当に)

 兵部卿の宮にとって、今上は年の離れた兄にあたる。兄の憂い顔をみるのも辛いもので、つい、ため息が漏れる。
 数日前から家人を使って姫君の行方を探させていたのだが、まさか東宮までもいなくなるとは思わなかった。

 あの晩。
 兵部卿の宮はほんの軽い気持ちで、女房の由紀の誘いに乗った。その姿を垣間見て、いくつか言葉を交わすうち、すっかり姫君を気に入った。
 それはいつも通りのほんの軽い、恋の遊びのつもりだったのに。

(まさか、こんな事になろうとは……)

 兵部卿の宮も、このときばかりは自分の気の多さを、はじめて後悔したのだった。


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