麗しき公達の誘い 四.


 京の外れの荒れ屋敷。
 千夜子は昨晩の事がまだ信じられずに居た。昨夜のうちに由紀を問い詰めると、「兵部卿の宮様ですわ」と、由紀はあっさりと白状した。

(兵部卿の宮なんて……)

 あまりにも、雲の上過ぎる。千夜子としては、中流の、あの受領よりはもう少し年若い貴族の息子あたりを希望していたのだ。それなのに。
 兵部卿の宮といえば、先帝の第二皇子で今上(きんじょう:今の帝)からの寵愛も深い、貴公子中の貴公子である。さらに、女性関係が派手な事でも有名で、その噂は千夜子でさえも知っていた。

(まぁ、だからこそこんなトコにまで来たんだろうけど……)

 昨晩は何とか上手いこと帰ってもらえたら良かったものの、次にまた来たら、一体どうしたら良いのだろう。

「千夜子。……何を悩んでますの」

「母上」

 母は珍しく顔色が良い。むしろ、あんなに弱々しかった面立ちが、今日はつやつやと輝いてさえ見える。

「兵部卿の宮様の訪れがあったそうですわね」

「え、どうしてそれを……」

「由紀殿から聞いております。千夜子、ご無礼なことは致しませんでしたわね?」

「は、はい……」

 一応、無礼は働かなかった……と、思う。しかし最初に簀子縁に出て行ってしまったのは、相当に不味かった。由紀もあらかじめ言っておいてくれれば良いものを、「琴をひきましょう」などと回りくどい事を言うものだから、ついうっかり簀子縁にまで出てしまったのだ。おそらくあれは、思いっきり姿を見られた。……母に言ったら卒倒しそうなので、そこは伏せておくしかないが。

「あの、母上。どうしたら良いでしょう……、あまりにも」

「何も悩むことなど無いではありませんか! 宮様は、またおいでになるとおっしゃられたのでしょう!? こんなに幸運な事はありませんわ! ああ、由紀殿には何とお礼を言って良いやら……」

 母はまるで自分が見初められたかのように興奮して頬を上気させている。

「いやでも、母上。あの宮様は評判の色好みの御方ですし……、一・二度訪れて、それでぷっつり……なんて事になったら、私達、また路頭に迷ってしまいますわ……」

「まぁ、千夜子。なんて事を言うのです! そうなってしまった時はそうなった時です。たとえ一度でも、あのような高貴の方と縁を結べたことを誇りに、生きてゆけば良い事ですわ……っ」

(……駄目だ)

 千夜子は思わず出そうになったため息を飲み込んだ。そんな事になるくらいなら、まだあの受領と結ばれたほうがマシである。あの受領は自分達母子の面倒をちゃんと見てくれる気でいたし、きちんと家に引き取ってくれる気だった。
 しかしあの宮様は、どう考えても遊びとしか思えない。一時的に援助してくれたとしても、また直ぐに捨てられるような事になったら元の木阿弥である。
 確かに、男としての魅力においてはあの受領と比べたら同じ人間の男とは思えないくらい、恐ろしいほど魅力的な貴公子ではあったけれど……。

(ううーん)

 頭を悩ませているところに、庭先に誰かが訪れる気配があった。

「どなたか、いらっしゃいますか、届け物です」

「あら、ありがとう」

 そう言って千夜子は庭先のほうへ出てゆく。母は顔を歪めたが、ほかに誰も居ないのだから仕方が無い。扇で一応顔を隠して女房の振りをして出てゆくと、水干(すいかん:庶民の服)姿の使い走りと思われる者が、なにやら高価そうな布を抱えている。

「こちらの姫君へ、兵部卿の宮様からの贈り物でございます」

「まぁ……」

 広げて見ると、それはそれは高価そうな文様の施された、反物が三本。それに、これまた高価そうな薄様(うすよう:薄い和紙)にしたためられた文だった。
 どうせなら反物よりは食べ物のほうが有り難いのだけど……。まぁ、後で市(いち:市場)へ出かけて取り替えてくれば良い、と思いなおし、千夜子は微笑んだ。

「お使いご苦労様です」

 するとそこへもう一人、崩れた門を通り抜けてやってくる、水干姿の人影がある。

「こんにちは。こちらの女房殿ですか」

「ええ」

「こちら、左近の中将様よりのお届け物でございます。どうぞ、お納めください」

「えぇ……っ? 左近の中将様……ですか……?」

「はい」

「はぁ、あの……、ありがとう、ございます……」

「ではこれで」

 お使いの二人は顔見知りらしく、連れ立って帰っていった。

 兵部卿の宮は良いとして、左近の中将とは……。千夜子には、左近の中将についての情報が無い。が、おそらくはどこぞの一流貴族の御曹司であることに、間違いはないだろう。

(な、なんで……?)

 とりあえず、贈られた包みを開けてみる。

「わぁ……っ、お米!」

 麻袋にいっぱいのお米が、三つもある。それと、文。千夜子は左近の中将の文を開いて見た。

『きみにより 思ひならひぬ 世の中の 人はこれをや 恋といふらむ
(貴女のおかげで分かりました。世の人は、これを恋というのですね)

朝に日に 見まく欲りする その玉を いかにせばかも 手ゆ離れずあらむ
(朝も昼も見ていたい、美しい貴女は、どうしたら私の側に居てくれるのでしょう)

 ぶしつけなことと、お怒りにならないで下さい。私は、貴女に心を奪われた者です。適うなら私を、受け入れていただきたいと、願っています。   左近の中将』

「え、ええ……っ、なに、これ……。ま、まさか、昨日、見られてた……? っていうか……急すぎない? この歌……。でも」

 麻袋を見ると、千夜子はついうきうきと胸を弾ませてしまう。

「ま、いっか。後で由紀に、どんな人か聞いてみよ……っと」


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