ドラクエ3 〜古い恋人(後)〜



もうとっぷりと日も暮れた時間。
ふて寝したセロリと読書中のカシスの部屋に、遠慮がちなノックの音が聞こえた。
カシスがドアを開けると、パエリアがそこに立っていた。
「おや、どうしました?」
普段ならもう眠っている時間。
「……」
パエリアはドアの隙間からじっと部屋の様子を伺った。
「…ライスは…?」
「ライスさんなら、ちょっと出てくると言って…少し前に出かけましたよ?」
「……そうか」
つまらなそうに目を伏せて、パエリアはくるりと向きを変えた。
「パエリアさん?」
そのまま行こうとするパエリアを、あわてて呼び止める。
パエリアはゆっくり振り返った。
「…?」
「どうかしたんですか?」
「……いや……、何か、様子が変だった気がして…」
もごもごと言うパエリア。
「探しに行くんですか?」
するとパエリアは一瞬考えるように動きを止め、ふと視線をそらした。
「……行かない。もう、寝る」
「……分かりました」
カシスはにっこりと微笑んだ。
「ゆっくり休んでください」
「…うん…」
パエリアが部屋へ戻るのを確認して、カシスは急いで着替え始めた。脱いでいた装備を再び身に着ける。

数分後、やはりパエリアがひっそりと外へ出て行く気配を、カシスは捉えた。

◆◇◆◇◆

ざわざわと木々を揺らし、生暖かい風が吹きつけてくる。
パエリアは木立の中立ち尽くしていた。

夜闇に浮かぶ恋人達の、その光景を目にした時に。パエリアが感じたのは鋭い痛み。
ライスと……誰だ。髪のふわりと長い、女の人。2人はしがみつくように抱き合っている。

痛い。

どうしてなのか分からない。
ただ、痛い。
痛い。
心臓が、突かれたようだ。

ときどき、感じる事があった。それは奇妙な不快感。
しかし、こんなにも強烈にそれを感じたのは、初めてのこと。

痛みに耐えかねてパエリアはかくりとひざをついた。
「…っはぁっ…」
…息が、苦しい。
どうして?

こんな痛みは、感じた事がない。

目の前の景色がやけに遠く、色を失っていく。

「しっかりしてください、パエリアさん!」
すっかりぼやけた視界に飛びこんできたのは僧侶の青い法衣だった。
「…カ、シ…、」

顔を上げたパエリアのその表情に、カシスはハッとして息をのんだ。
おびえたように見開かれた瞳。
(なんて表情を)
本人は気づいていないかもしれない、涙が頬を伝っていた。
「大丈夫。……少し休んでください。」
カシスはしゃがみこむと、濡れた頬に手をあてて、眠りの呪文をささやいた。

倒れるパエリアの体を受けとめ、そっと草に横たえる。カシスはふぅっと息を吐いた。
「……いつの間に」
苦々しげに呟き、苛立った様子で立ちあがった。

闇の中、ほのかに青白い光を放ち、抱き合っている恋人達に近づく。
カシスの手には小さなビンが握られていた。
「ライスさん!」

驚いて顔を上げるライス。振りかえった彼女。
「…さまよえる御霊に、神のご加護を!」
カシスは彼女めがけてビンを投げつけた。ふたの開いたビンから飛び散る液体。聖水だ。
――パシャッ!
彼女の体が一瞬白く光った。
「…えっ…?」
彼女はきょとん、と驚いた顔をして、そのまますっと闇に溶けた。驚くほど、あっけなく。後には何も残らなかった。

「カ、カシス!? …っ、お、お前…!」
ライスの困惑しきった唸り声。
「……安心してください、僕には、これ程の霊を成仏させてあげられるような力はありませんよ……。明日にはまたここに現れるでしょう」
「……」
毒気を抜かれたように呆けたまま立ち尽くすライス。その口がぱくぱくと開いてうめく様に尋ねる。
「…お、まえ……なんで…」
カシスは素っ気無い態度でスタスタとライスの正面までやって来た。
「最初から分かりましたよ、この村がおかしい事くらい…まさかライスさんの知人が居るとは思いませんでしたけど」
「……」
まだ呆然としているライス。
その胸倉を、カシスは掴んで、キッと睨んだ。
「そんな事より、……パエリアさんに何をしました!?」
「……。パエリアに……?」
「そうです、何かあったはずだ!」
「……パエリアに、何かって……」
まだ呆けているライスはただ繰り返すだけだ。
カシスはため息をついて手を離した。
「……困りましたね」
首を振ってぶつぶつと呟く。

カシスは踵を返してパエリアの元へ向かった。
「パエリアさんを運びます。手伝ってください」

◆◇◆◇◆

翌朝。
セロリは一番に目覚めてそして仰天した。
「わーっななななんだこりゃ?!」
廃墟。
その言葉が一番しっくり来る。そんな場所で気持ち良く目覚めてしまった。
「な、なんで…?!」

「うるさいですよ、セロリさん……」
カシスは片目を開けて身を起こした。あたりを見まわして一言。
「…うん、思った程でもないですね」
ひび割れた壁に穴の開いた床。至るところに残る原因不明の傷跡……。
しかしベッドはさほど痛んでいない。事実体はゆっくり休められた。
「ひ、人は!? いないぞ、誰もっ!? ………!?! ほほほ骨だっ!!!!」
文字通り飛びあがったセロリにカシスは冷たい一瞥をくれる。
「うるさいですってば」

ライスは全く目覚める様子もなく大いびきをかいていた。
(…この人も大概図々しいですね…)
昨夜のうちにまた外へ行き、明け方に戻って来たのは知っている。
(恐らくあの女性の為に、花でも手向けてきたんでしょうけど)
さして興味なさそうに、カシスはベッドから這い出した。
目覚めてしまっては仕方ない、と衣服を整え扉に向かう。
「どこ行くんだよっ!! こ、こんなトコでバラバラになるなんて…」
「大丈夫ですよ、ほら、ゴリ……ライスさんもいますし。僕はパエリアさんが気になるので見てきます」
するとセロリはハッとしてこくこくとうなずいた。パエリアが心配になったらしい。
「き、気をつけろよっ」

パエリアの部屋を尋ねると、少女はまだ眠っていた。
呪文はとうに切れているはず。通常の眠りに移行したのだ。
その表情は安らかだった。
カシスはほっと安堵して、部屋を後にしようと向きを変えた。
と。
「…カシス…?」
寝ぼけた声が呼びとめた。
「…起してしまいましたか」
振りかえると、パエリアはもぞもぞと身を起した。
「……私は……」
夜の記憶が曖昧なのか、顔を赤くして何か聞きたそうにしている。
「あの……私は……昨日は…」
「…どうしました? 怖い夢でも見ましたか?」
するとパエリアはぶんぶんと首を横に振った。
「昨日は…、ライスが……あれは…」
「ふふ、どうしたんですか、ライスさんならずっと部屋にいましたよ」
にっこりと笑って答える。
「!」
顔を上げたパエリアの、きょとん、と開かれた瞳。
「…本当か…?」
「どうしたんですか、パエリアさん。ライスさんが何か?」
からかうように言ってやると、パエリアは今度はうつむいて首を振った。
「……いや……」
「ここは悪い夢を見てもおかしくないような場所です……見れば分かると思いますが」
驚いて辺りを見まわすパエリア。辺りは瓦礫の山である。
「! …これは…」
「すぐに、出ましょう。長居は無用のようです」
「……分かった」
いくぶん腑に落ちない様子で、パエリアはうなずいた。

部屋を後にしてカシスは、憂いのため息を吐く。
(……どうしたものですかね)
まだ本人も気づいていないようだった。その小さな芽は摘むべきか育てるべきか。
……勇者が恋に落ちるとは。



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