ドラクエ3 〜レベルアップ〜



穏やかな波の船の上。
パエリアは朝から黙々と剣の素振りを続けていた。
出航してから丸1日。魔物が出る気配は無い。

「ふぅーん。かっこいいねぇ、勇者かぁ……」
カリィは手すりに肘をつき、目を潤ませて稽古中のパエリアを見つめていた。
「あれで女の子なんだもんなぁ……ああぁ惜しいなぁ……」
うっとりとため息までついている。カリィはふと、甲板に座っているセロリに相づちを求めた。
「ねぇ、セロリくん」
セロリは目を閉じたまま座り込んで、先ほどからカリィがいくら話しかけてもピクリとも反応しなかった。
「……」
「ちょっと聞いてるの!?」
「うるさいな、さっきから……。パエリアがカッコイイのは知ってるよ。黙れよ少しは」
「なぁに!? その言い方! どうせ寝てるだけのくせに」
「寝…!?! ばかオレは修行中なんだよ!」
「はぁ!? 修行っていうのはああいうのを言うんでしょ!?」
カリィは汗を飛ばして素振りを続けるパエリアを指差して、呆れたように言った。
「オレは魔法使いなんだ! 瞑想だって立派な修行なんだよ!」
セロリが負けずに言い返すと、カリィはあら、と首をかしげた。
「……ふぅーん…。地味ねぇ」
「…ぐ…。いいから静かにしてろよ」
セロリが再び目を閉じると、カリィは諦めたのか、また熱心にパエリアを見つめた。


「ふぅ…っ」
――1人だと、手応えがないな。
パエリアは手にしていた剣の先をかつん、と甲板に置いて、額の汗を拭った。
しかしまだ鍛錬は足りない気がする。
その時、ちょうど船室へ続く扉が開いて、カシスが甲板へ出てきた。
ちょうどいい、とパエリアは顔を上げた。

「カシス、相手をしてくれ!」
パエリアは足元に転がっていた木刀を放り投げた。
「え…っ」
飛んできたそれを受け取ったカシスは驚愕の表情を浮かべる。
「…………僕が、相手をするんですか……?」
パエリアはたまにライスと手合わせすることがあった。しかしその様子は常人であれば近づくだけで死の恐怖を覚えるような激しいものである。
……そしてカシスは立派に常人のつもりである。

「加減する」
パエリアは言って、いつもは両手で持つ木刀を利き腕と反対の左手に持って構えた。
呪文を使ってもいいぞ、とすっかりやる気のようである。
ああ、とカシスは絶望的な声をあげ、この時ばかりはライスを置いてきた事を激しく後悔した。
「…わ、分かりました…」
どうか命だけは無事でありますように……カシスは真剣に神に祈った。

◆◇◆◇◆

夜。
甲板でセロリが見張りをして、残りの3人は船室に集まっていた。
申し訳なさそうにうなだれるパエリアは、ベッドに伏せたカシスを見つめている。
「…すまなかった…」
やはりパエリアはカシスに大怪我をさせてしまったのである。
加減したつもりだった。
……していたつもりだったのだが、攻撃をしかけた瞬間の、カウンターのように放たれたバギの呪文。とっさに避けたパエリアは、無意識のうちに渾身の力で反撃してしまったのだった。
顔面を殴りつけられ吹っ飛ばされたカシスは気を失っていた。

「……大丈夫ですよ、パエリアさん」
ベッドのカシスは弱々しく微笑んだ。
「気を、落とさないで下さい」
「…………」
パエリアはがっくりとうなだれるばかりである。
「パエリア、元気出してよ、ね。カシスさんもああ言ってくれてるんだし」
実際その光景を目の当たりにしたカリィは、それはもう腰を抜かしかけたが、勇者とはこう言うものなのか、と改めて感心したりしていた。

「ねぇ、パエリア。外、出よっか。少し夜風に当たろうよ。カシスさんも少し眠った方がいいよ。ね」
そう言うとカリィはパッと立ちあがってパエリアの手を引いた。
「…ああ、そうですね。僕の事は良いですから、行って来て下さい」
「……」
引かれるままに立ちあがったパエリア。不安げにカシスを見下ろす。
「僕の事は本当に気にしないで。元気出してください」
カシスはにっこり笑って言ってくれる。……その笑顔の半分は、腫れてしまっているのだが。
「……うん……」
パエリアは気落ちした声でうなずいた。

(……いい男が台無しね)
カリィはこっそり思ったが、口には出さないでおいた。

◆◇◆◇◆

「お、パエリア、……と、なんだ、カリィも来たのか」
甲板のセロリは一瞬嬉しそうに笑い…それからがっかりしてぼやいた。
「ちょっと、何だとは何よ!」
「……何だとは何よとは何だよ」
「……!!! …このガキ…!!」
「何だよババァ」
「…もーっ、頭きたっ!」
飛びかかるカリィとそれを交わすセロリ。

パエリアはきょとんとして2人のやり取りを眺めた。
「……なんだ、お前達、いつの間に仲良くなったんだ?」
パエリアのセリフに、セロリは顔を真っ赤にし、大慌てで喚く。
「な、仲良くなんか無い! 勘違いすんなよな!!」
するとカリィは意地悪く笑う。
「ふふーんだ。……かわいいわねー、そんなにパエリアに誤解されるのが怖いなんて」
「ばっ……な何言ってんだこのバカ!!」
セロリの顔はますます真っ赤になる。
「分かり易すぎなのよ」
「……!」
青くなったり赤くなったりして口をパクパクさせるセロリ。
「???」
パエリアは不思議そうに首を捻るだけであった。

……と。
パエリアは不穏な音を耳にした。水の流れがおかしい。
――海が騒いでいる。

とっさにセロリとカリィを船室の方へ押しやり、船縁へと駆け出す。
振り向きざま2人に怒鳴った。
「中へ入っていろ!!」

海を覗くと、ぞくぞく、と背筋を駆け上る悪寒。
――まずい
大きく、邪悪な気配がいくつもうごめいていた。剣を握り直し構えるが、冷や汗ばかりが吹きあがる。
1人では勝てないかも知れない。
一瞬でかい戦士の面影が脳裏をよぎるが今はアリアハンだ。

「おいパエリア!」
呼ばれて振りかえるとセロリが仁王立ちしていた。
「オレだって戦えるんだからな! 中に入ってろって事はないだろ!!」

「……! そうだな」
パエリアはハッとして苦く笑った。

――ザザザザッ!

海が盛り上がる。
「来るぞッ!」

現れたそれは大王イカの群れだった。
巨大なモンスターは転覆させようと船にへばりついてくる。

「うおおおおっ!」
パエリアは咆哮を上げ1匹に切りかかった!

船縁にかけた触手を切り落とされ、激しい水飛沫と共に海に沈むイカの巨体。と同時にがくんと大きく揺れる船。
「……くっ!」
――足場が悪い。
着地したパエリアは片手を床につき、なんとか態勢を立て直す。しかしそこに迫ったイカの触手がその体を弾き飛ばした!
――バシィッ!!!
「あああっ」
揺れる船の上、飛ばされるままごろごろと転がる。
「……っ」
拍子に切れたのか、口の中にどろりと広がる鉄の味。
ぺっと吐き捨てて、パエリアは状況を見極めようと身を起した。
2体の大王イカは船に乗り上げ、先ほど切った1体も海上に姿をあらわし船に迫っている。

その時、目の端で何かが光った。
「――セロリ!?」

セロリが伸ばした腕の先だ。
『イオラ!!!』
ガォォオンッッ!!!
耳をつんざく爆発音。たまらず顔を背けると、数瞬後には鼻先を焦げた臭いがかすめた。

次に目にした光景にパエリアは息を呑む。
焼け焦げたイカと共に倒れ伏すセロリの細い体。
呪文を放った瞬間に、攻撃を受けたのだ。

パエリアは慌てて駆け寄りセロリを抱き起こした。
「…セロリッ、しっかり…」
しかしセロリはその手を払った。
「馬鹿オレはいいからっ! まだだっ!!」
流れた血が目に入ったのか、押さえた片目でセロリの睨む方向。慌てて見れば、まだ生きて襲いかかろうとする大王イカの姿があった。怒り狂った触手がマストを軽くへし折っている。
セロリは座り込んだまま、両手を突き出し精神をギリギリまで張り詰めた。
『――メラミッ!!』
膨れ上がった巨大な火球が魔物へ真っ直ぐに直撃する!
――ガガアァンッ!!

セロリは爆風に煽られるまま仰向けに倒れた。顔色が酷く悪い。
ぴくぴくと痙攣する焦げた魔物。
残るはあと1匹だ。

パエリアは立ちあがり剣を取った。
「後は任せろ!」

◆◇◆◇◆

そして。

「お、終わったの…?」
船室の扉の影で、腰を抜かし座り込んでいたカリィが恐る恐る声をかけた。

血塗れた剣を大きく振って、パエリアはふ、と笑い振りかえる。
「……ああ」

「ご、ごめんなさい!! あたし、な、何にも…」
「いい。入ってろと言ったのは私だ」
パエリアはカリィに近づいて、その手を取って助け起こす。
よろよろと立ちあがったカリィはパエリアに抱きついた。
「こ、怖かった……パエリア、ねぇ、無事なの?」
「大丈夫だ」
ぽんぽん、とカリィの背を叩き、それから甲板のセロリを振りかえった。
ずる、と片足を引きずってゆっくりと歩いてくる。

「…セロリ…」
心配げに眉をひそめたパエリアが、大丈夫か、と言いかけた時。セロリはにっと得意げに笑って見せた。
「何だよ、オレ全然平気だぜ! 大活躍だったろ?!」
「……!」
パエリアはハッと目を見開く。
それは何か、……小さな違和感。

「うん! セロリくん、凄かったよぉ〜! 今日はごめんね!」
カリィは手を合わせて頭を下げる。
「へっへっへ、今ごろ気づいたか」
得意げに鼻を擦るセロリを、パエリアは無言で見つめた。
「……」

奥の船室の扉がパタリと開き、カシスがのそ、と顔を出した。
「うう、何が起きたんですか…」
よろよろと青ざめ壁に手をついている。
「ものすごく揺れましたけど…」

「ああ、カシスさん! 凄かったの!」
カリィはカシスに走りより、甲高い声で戦闘の様子をまくし立てる。
すっかり腰は治ったようだ。

パエリアと目が合うと、カシスはハッとして叫んだ。
「パ、パエリアさん!」
急に動きが機敏になって慌ててパエリアの方へやって来る。
「大丈夫ですか! 血が出ています!」

ああ、とパエリアは口元を拭った。切れた唇の端から血が伝っていたのだ。
「すぐ回復します!」
カシスは慌ててパエリアの顔に手をかざす。
パエリアは首を横に振った。
「いや、私よりもセロリを……」
セロリの方がずっと酷い傷を負っている。
「何言ってるんですか、まずはパエリアさんを…」
「しかし」
またこのパターンか、とパエリアが諦めかけた時。

「いいよ、パエリアを回復してやれよ」
セロリがけろっとして言った。
「……え」
カシスは意外そうにセロリを振りかえった。
いつもなら、大騒ぎするような怪我である。

薬草あったっけ?、とセロリはカリィに尋ねて、カリィは慌てて道具袋を探った。
「あ、あったよ」
薬草を受け取ると、セロリはサンキューと言って、にがい顔をしながらそれを口に含んだ。

パエリアは驚きを隠せず目を見開く。
「……」
――あんなにしっかりしていただろうか。セロリは。……これでは、まるで。

「ライスさんが居ないからでしょうか」
カシスの言葉に、パエリアの心臓が、ぎく、と跳ねた。
「……!?」
カシスは、ちら、とパエリアの表情を覗い、それから続ける。
「……気が張ってるんでしょうね、…セロリさん」
……ああ、とパエリアは息をつく。
「……そうかもしれないな……」
何故かざわめく胸を押さえる。
一体何に動揺しているのだ。……どうかしている。

それよりも今はセロリだ。
カシスのべホイミが終わると、パエリアはセロリに駆け寄った。

「薬草だけでは辛いだろう。……私に回復させてくれ」
「え。いいよ、このくらい」
セロリはふん、と強がって見せる。パエリアは構わず手を伸ばした。
「……額の傷を」
パエリアの手が触れて、セロリの顔が僅かに赤く染まる。
優しく暖かいホイミの光。
「今日は、助かった。……ありがとう」
パエリアは至極まじめに言った。
「……あ、当たり前だろ。オレ、ずっと」
……ずっとパエリアの為に。いつかパエリアを助ける為に。
セロリは修行を続けて来たのだ。もうずっと。
「……助けてやるからな、いつだって」

頬を染めてそっぽを向いた、その横顔が。パエリアには酷く眩しく見えた。



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