ドラクエ3 〜焦燥〜



ヒュン……ッ ヒュン……ッ


暗い夜の海に、空を切る剣の音がいつまでも続いていた。

ひと眠りして目を覚ましたカシスは、その音がまだ続いている事に驚き、慌ててベッドを這い出した。甲板にでて星の位置を確認する。……すでに5時間は経過している。
(…まさかずっと休みなしで…?)

船の先端。船べり近くで、パエリアは一心不乱に剣を振り続けていた。
まるで頭から水をかけられたかのような汗が辺りに飛び散っている。

「パエリアさんっ!?」

声をかけると、ようやくその音は止んだ。
「カシ…」
振り返ったパエリアは、カシス、と言おうとして、声を詰まらせた。本人が思う以上に息が上がっているのだ。
「っ……はぁっ、……はっ…」
おさまらない動悸に、パエリアは顔をしかめる。
……そうして自分の体力の無さを責めているのだ。

「ああ、もう休んでください。見張りなら僕がやりますから」
カシスはパエリアの傍に寄って、手をかざした。
「少し、回復しましょう」
パエリアはまだ肩で息をしていて、それでもふるふると首を振った。
「いい。……まだ、大丈夫だ……」
言って、再び剣を握り直す。

月明かりに照らし出される細い身体。
その身の何処にそんな力があるのだろう。
「パエリアさん……」

その姿を初め見たときは、正直拍子抜けしたものだった。

何年も前からルイーダの酒場に通い、もしも勇者が旅立つ時は一緒に、と頼みこんでいた。
世界を救う勇者とは、一体どれだけの者なのか。
もし腑抜けた奴ならば、自分は絶対に認めない。旅など出来ないようにしてやろう、と。そう考えていた。
カシスには、あこがれて成り得なかった『勇者』。
もし勇者にふさわしい人物ならば、自分は命を掛けて尽くそう。人を殺めた事もあるこの手でどんな汚い事でもして助けてみせよう、と。

実際に会った勇者は、可哀相なほど生真面目で努力家な少女だった。


――カシャーンッ!
「……っ」
汗で滑ったのだろう。乾いた音が鳴り、パエリアの剣は甲板をくるくる回ってカシスの足元まで滑った。

「やっぱり、少し休んでください」
剣を拾い上げながら言うと、パエリアは悔しそうに唇をかんだ。
この人はいつも頑張りすぎる。

手渡された剣を握り締め、パエリアはため息と共に口を開いた。
「……ライスに」
少しうつむいて目をそらす。
「腕が、落ちたんじゃないか、と、言われた……」
夕方の事だ。
ライスとパエリアはいつものように手合わせをしていた。ここのところパエリアはライスに負け続けているようだった。
今日も、ライスの剣に弾き飛ばされたパエリアの剣が、運悪くセロリの頭を掠めたとかで、ライスとセロリは『お前のせいだ』『そっちが悪い』と大騒ぎになったのだ。

……しかし実際は、パエリアの腕は落ちてなどいない。モンスター相手に戦うその剣の冴えはそら恐ろしい程である。
パエリアの剣が鈍るのはライスを相手にしている時だけだ。
(……どうして気づかないんでしょうねぇ、……あのゴ……ライスさんは)

パエリアは悔しそうに眉をひそめた。
「……上手く、出来ない……」
泣き出しそうな目をしている。

カシスはにっこり笑って、パエリアの肩をぽんぽん、と撫でてやった。
「誰にでもスランプはありますよ。ライスさんだって、今はたまたま調子が良いんでしょう。気にしないで下さい。」
「…そうだろうか」
「そうそう。僕には、パエリアさんは確実にレベルアップしてるように見えますよ?」
「……違うんだ。何故か、……身体が、上手く、動かなくて……私は」
そこまで言って、パエリアはぐっと唇を噛んだ。
「……」
「パエリアさん?」
パエリアはキッと顔を上げ、再び剣を構えた。
「……まだだ」

……ヒュンッ

いくらなんでもやりすぎである。パエリアの体からは尋常でない汗が噴き出している。
「パエリアさん、体を休めることも重要な仕事ですよ? ……そんなに無茶をして、体を痛めつけては明日に支障が…」


「よう、俺に負けたのがそんなに悔しいかよ?」
突然、からかうような声が転がった。

「……ライスさん!」
「……!」
いつからそこにいたのか、ライスは船室の扉に寄りかかるようにしてこちらを眺めていた。
にや、と笑ってパエリアの感情を刺激する言葉を投げてくる。
(…どうしてこの人はこう…!)
カシスは苛立って抗議した。
「何を言ってるんですか! ここの所あなたの勝ちが続いているのはたまたまでしょう」
……実際、たまたまでない事は分かっているのだがとても説明など出来ない。しかし実力でないことは確かなのだ。

パエリアは無言でライスを睨んだ。
「……」

「ははっ、んな怖い顔すんなって。せっかくの可愛ー……と、あぁー……皺が取れなくなるぞ、ここんとこ」
また殴られそうな事を口走りかけて、ライスはひょうきんに笑ってごまかした。眉間を指でとんとん、と指差しながら、こちらへ歩いてくる。

「……余計な、お世話だと言ったろう」
低く応えながら、いくらか気になったのか、パエリアは額を擦るような仕草をした。

「今、寝ろって言ったってな、どうせ眠れねぇんだろ。……もう一回やっとくか?」
ライスは手に木刀を2本持っていて、一本をパエリアに放った。
受け取ったパエリアは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにやる気になったようで剣を収め木刀を構える。

「ちょ、ちょっと待ってください!」
カシスは慌てて2人の間に割って入った。冗談ではない。
パエリアは今、疲労困憊の様子である。その状態のパエリアに挑んで、この男は一体どうしようというのか。
「今、無茶は止めて下さいと、言っていたばかりなんですよ!?」

すっかりやる気のパエリアは、カシスを睨む。
「カシス、どけ……!」
しかしカシスも引くわけにいかない。こんな事で怪我でもされては困るのだ。
「カシス、危ねぇぞー、そんなとこに突っ立ってると……よ!」

――ダンッ!!
ライスはカシスのいる位置などまるで無視してパエリアに切りかかろうと踏み込んできた。
「うわあっ!」
慌てて身を翻す。

――カシィィンッ!!

木刀が交わって乾いた音が鳴り響いた。
続いてガンガンと剣戟のぶつかる激しい音。

こうなってしまってはもう手出しできない。
カシスはハラハラして様子を見守った。……と。
「あっ」

――ガンッ!!
「…くっ!」
パエリアのうめき声。

だから言ったではないか。パエリアは船壁に背を押し付けられ、座り込むような格好でライスの剣を受け止めていた。逃げ場も無くぐいぐいと押されている。
「どうしたよ、そんなもんかぁ?」
ライスは挑発するように少しずつ力を加えていく。
「…っく、そ…っ」
パエリアは必死に押し返そうと堪えていた。

やはりパエリアの動きは常よりも鈍い。……それは疲れのせいだけではないのだ。
(全くあの男は……!)
”気遣い”という言葉を切々と説いて教えてやりたい。
「もういいでしょう、勝負ありです!」
怪我を負わされる前にさっさと切り上げてもらわなければ、とカシスは叫んだ。

しかしライスは唇の端を上げて言った。
「だ、め、だ!!」
言いながらさらに剣を押す腕に力を込める。
「…っ…!」
パエリアの方はもう限界に近い。ぷるぷると震える手は今にも剣を離れそうだ。
その表情にふ、と一瞬あきらめの色がよぎる。
と、ライスは怒鳴った。

「おいパエリア!! 俺を殴ったときの力はこんなもんじゃなかったろう! やれんだろ、やれよ!!!」

は、と見開かれたパエリアの瞳。
あきらめに緩んだ表情が再び引き締まりその眉がつりあがった。
「くぅ……ああああっ!!」

――ズガッ!!

「うおっ」
弾き返されたライスはよろめいて2、3歩あとずさった。

はぁはぁと激しく息をつくパエリアはキッとライスを睨みあげて、立ち上がろうと床に手をつく。
ライスはにやっと笑って木刀を下ろした。
「まぁ、こんなもんだろ」
そう言ってパエリアに手を差し出す。
「あんたの勝ちだ。……最初ッからフェアじゃなかったからな」
「……!」

ほら、とライスはパエリアの腕を引っ張り上げた。
「やっぱ、あんたは強いぜ。さすがだな、パエリア」
はっはっは、とライスは嬉しそうに笑う。

カシスは慌ててパエリアに駆け寄った。
「大丈夫ですか、パエリアさん!?」
パエリアの手から木刀が離れ、カラン、と甲板に転がった。
パエリアの肩は震えていた。
「…ぅっ…」
小さなうめきをあげる。
まさか怪我でも負ったのか、と慌ててパエリアの様子を確かめる。

「パエリアさん!?」

パエリアは、ぐっと唇をかみ締めて……泣いていた。
真っ赤に染まった頬に、ぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちている。

感情が、昂ぶっているのだ。
「ああ、大丈夫ですよ、落ちついて……」
カシスは優しく声をかけながら、回復呪文を唱えようと手をかざした。
恐らく本人にも分かっていない筈の恋心。その相手に怒鳴られて、あげく勇者のプライドを傷つけられたのだ。
(まったく……!!)
『ホイミ』を唱えながらカシスの怒りはふつふつと煮えたぎる。

「げ!? お、おい、なんだよ、パエリア!?」
ライスは驚いてパエリアの顔を覗き込んできた。
「あぁ……、悪い、悪かった!」
なんとかなだめようと声をかけるが、パエリア本人にも感情がコントロールできないでいるのだ。
「……」
「なぁ、ごめん、この通り」
ライスは片手を顔の前に立てて頭を下げる。

「……う、るさ、い……っ!!」
居たたまれなくなったのか、パエリアは涙声を詰まらせて叫び、唐突に駆け出した。
そのまま船室へと駆け込んで消える。

「……ま、まずかったか……?」
ライスは船室の方向を眺め、ばりばりと頭を掻いてつぶやいた。

「ライスさん……」
カシスはライスを見上げてにっこりと微笑んだ。
おそらくは。これでパエリアはいつもの調子を取り戻すだろう。……上手くいけば。荒療治というやつである。ライスにも考えがあっての行動だったのだ。
それぐらいは理解できるカシスである。
しかし。
「僕、最近新しい呪文を覚えたんですよ」
「……あ?」
「ちょっと試してみたいんですがね……」
「? 何だ? 俺はどこも怪我してねぇし、何の異常も……」
「ああ、それで良いんですよ」
穏やかに微笑んで、カシスはゆっくりと印を結んだ。
「……それじゃ失礼して……『バギマ』!!」

――ゴォォオオオッ!!!!

「わああっ……うっぎゃああああああぁあ!!!!」

静かだった夜の海。真空の刃に刻まれるライスの絶叫が響き渡った……。



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