ドラクエ3 〜愛の思い出?〜
薄汚れてひび割れた、小さな酒瓶。何の変哲も無い、その辺の酒場で毎晩捨てられていそうな。
パエリアは首を捻って手にした酒瓶をしげしげと眺めた。
船は大陸を横断する大河をのぼる。吹付ける夜風が甲板に立つパエリアの髪を冷やしていた。
月が明るい、夜。
手に握り締めたそれは、月明かりに照らしてみてもやはりどこも変わった所は無い。
『愛の思い出』か…。
幽霊船で出会った、エリックという男の幽霊に託されたその品を、恋人のオリビアに届けるため、パエリア一行は長い川をのぼっている。
しかし…どうも、不安だ。
あの幽霊、間違えたんじゃないだろうか、と今更になってパエリアが考えた、その時。
「パエリアーッ!渦だっ!アレだろ!?」
セロリが船先で叫んで大きく手招きした。
「オリビアの岬だっ!!」
慌てて駆けつけ身を乗り出す。
予想以上に激しい大渦が、もの凄い勢いで船をぐいぐいと引き寄せている。
この岬で船がいくつも沈んだ。恋人と引き裂かれたオリビアという女の霊の呪いだという噂だった。
噂は本当だったのだ。
この分ではこの船もあっという間に渦に飲まれてしまうだろう。
ライスが船先へやって来て歓声を上げた。
「うおっ、すげぇなぁ。こんなもん初めて見たぜ」
「バカ何のんきな事言ってんだっ」
セロリが怒鳴り、カシスはパエリアに向かって促す。
「さ、パエリアさん、それを…」
パエリアはうなずいて、渦を睨んだ。
(頼むぞ…)
不安を感じながら、酒瓶を渦の中心へ放り投げた。
瞬間、月明かりが海へ移った。
水飛沫が光となって辺りへ飛び散る。
『エリック―ッ』
『オリビアッ』
どこからとも無く聞こえた声が近づいて、海が急速に静けさを取り戻す。
幽霊の恋人達は嬉しげに抱き合って、愛を語らいはじめた。
『もう離さない』とか『愛してる』とか。
パエリア達には目もくれず、幸せそうにくるくる回って、すぅっと空高く浮かんだと思ったら、星に溶けるように消えてしまった。
「……」
パエリアはぽかん、と霊達の消えた空を眺めている。
セロリが呆けたようにカシスを振り返る。
「おい、カシス……あれ、どこ行ったんだ」
「成仏したんでしょう」
良かったですねぇ、とカシスは満足げに頷いて微笑んだ。
「面白いもん見たなぁ」
ライスは楽しそうに、はっはっは、と笑った。
◆◇◆◇◆
穏やかになった海の上、パエリアはまだ不審そうにさざ波を眺めていた。
(不思議な事もあるものだ)
目裏に、恋人達の姿を思い出す。
霊になって結ばれるのなら、それも良いだろう。あの恋人達は、幸せそうに見えた。
それにしても。
あの酒瓶が『愛の思い出』というのが、パエリアにはどうも腑に落ちない。
一体どんな思い出があったと言うのだろう…?
パエリアはいぶかしげに首をひねる。
「パエリア、どうした、悩み事かよ」
声をかけられて振り向くと、ライスが首をかしげていた。
「3回目だぜ?」
そう言って今度は反対に首をかしげる。パエリアを真似ているのだ。
むっとしてパエリアは顔を背けた。
「……なんでもない」
「そうか?」
ライスはニッと笑ってパエリアに近づく。
カシスとセロリは先に船室で休んでいて、今はライスと2人きりだ。
懲りない奴だな、とパエリアは眉をひそめるが、ふ、と思い当たってライスを見上げた。
「お前は酒が好きだったな…」
「? おう、大好きだ」
きっぱり言い切るライスは、何処の街へ行っても地酒を確かめるのを忘れない。
「……あの酒瓶、あれは特別な酒が入っていたのかな…」
「さぁなぁ、どこの酒場にでもありそうな、普通の瓶だったぜ?高級な酒は入れねぇな、ありゃ」
「……そうか」
パエリアはまた無意識に首をひねった。
まぁ、いい。
私には分からないが、ともかくあの恋人達は救われたんだから。
そう思い直して、顔を上げると、ライスがじっと見つめていた。
「…?な、なんだ」
ライスに真っ直ぐ見つめられるのは居心地が悪い。
パエリアは、す、と目を逸らして、ごまかすように船べりにもたれ掛かった。
「あれな、『愛の思い出』なんてのは、なんだって良いんだろう」
(!)
考えていた事を言い当てられ、パエリアは思わずライスを見上げる。
ライスはにやりと笑った。
道具袋をごそごそと漁って、これでいいか、と呟いてライスは『力の種』を取り出した。
「?」
パエリアは不思議そうにライスを眺める。
と、ライスはパエリアと目の高さを合わせて屈んだ。
屈んだと思ったら、ガリッと音を立てて種をかじった。パエリアの鼻先で、アーモンドによく似た香りが漂う。
目の前のライスの行動にパエリアが戸惑っていると、ライスは人差し指をパエリアの唇に押し当てて、そのままぐいっと押し込んだ。種の半分を押し込んだのだ。
「!?!」
ライスの指がパエリアの歯にあたった。そこまで入れられなかったら、おそらくこぼしてしまっただろう。
「…っ!?」
真っ赤に染まったパエリアを、相変わらず近い距離でライスは見つめてニッと笑っている。
舌の上に乗せられた、種のかけら。
(何の、つもりだ…)
頭の中で言葉が響くが、唇も舌も凍りついたように動かない。
ライスは満足そうに笑っている。
「『愛の』って程じゃねぇけど、ま、これもいい思い出だろ?」
そう言って、屈めていた背を伸ばし、ライスの顔は遠ざかった。
「これで『力の種』はちょっとした思い出の品になったって訳だ」
口移しなら愛の思い出になったかもしれねぇけどな、などとライスは笑えない冗談を言っている。
「………っ」
ごく、とやっとの思いでパエリアは種を飲み込んだ。
何故だか息が上がっていて胸が苦しい。怒鳴りつけようとして口を開いたが、しかし言葉は出なかった。
「……っ」
ライスの方でも、文句を言われるか殴られるかと身構えて待っていたので、拍子抜けして黙り込む。
奇妙な沈黙が流れた。
「…」
「…」
ライスはふいに頭を掻いて、
「なんか、照れてきた」
ぼそ、と言った。
横を向いて苦笑いするライスの頬が、心なしか染まっているように見える。
――じ、自分でやっておいて…っ
瞬間、パエリアは首筋まで真っ赤になった。
「あ、おいっ」
ライスが呼び止める声が聞こえたが、もうその場にいる事は出来なかった。
パエリアは全力で走って船室へ逃げ込んだ。
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