ドラクエ3 〜勇者の記憶〜



一目で火山だとわかった。
月の無い夜だというのに、遠目にも赤々とした山のシルエットと、狼煙のような煙が見える。
あの山で。
あの山で父は亡くなったのだ。

とうとう、父に追いついた――

ネクロゴンドへ続く山脈を目指し、船は大陸を流れる川へ滑り込んだ。
徐々に近づくその山を、パエリアは船先に立って眺めている。

(…父さん)
最後にそう呼んだのは、もうずっと昔の事。いつ帰ってくるの?と無邪気に聞いた。
直ぐに帰ると応えた父は、二度と帰ってこなかった。

「…父さん」
パエリアは声に出して言ってみた。
じわり、と視界が歪んで、慌ててパエリアは顔を伏せる。
「…っ」
もう、顔すら、よく思い出せないのだ。
覚えているのは、大きな大きなシルエット。大きな手の平が自分の頭に乗せられた、その時の暖かさだけ。
父が旅立って間もない頃、パエリアは父を恋しがってよく泣いた。
大好きだったという事だけは、今でも鮮明に覚えている。
二度と帰らないと知らされた日の事も、鮮明に――

これ以上、考えてはダメだ、とパエリアは首を振った。
今は感傷に浸っている時ではない。

すぅっと息を吸い込み、顔を上げようとした、その時。

突然の殺気を感じてパエリアは身を翻した。
――シュッ
頬を掠めて血がしたたる。
あと一歩避けるのが遅ければ、致命傷になっていただろう。

「ミニデーモン…か…?」

子供くらいの大きさの魔物。手に大きな鉾を握っている。
パエリアは頬をぬぐって目を凝らした。
あたりは完全な闇。視界が悪い。
(他にもいるな…)
何かが空を飛んでいる気配がある。…それに甲板にも、うごめく、何か。

パエリアは一番近い気配に向かって剣を振るった。
――ギャリンッ!!
金属が交わって小さな火花が散る。
やはりミニデーモンだった。
すぐさま横に薙ぎ払って切り伏せる。
昏倒した魔物は動かなくなった。

パエリアは顔を上げ、空を睨んで気配を辿った。
空に浮いているのは小さな雲のような物体。恐らくギズモ系のモンスターだ。
剣が届き難いな、とパエリアが考えた時、足首に何かが絡んだ。
ぬる、とした嫌な感触。この感触には覚えがある。
(しびれくらげか!)
まずい。今は1人。
この状況で意識を失えば死もあり得る。
「く…っ!」
まずはこっちからだ、とパエリアは足元に剣を振るい、しびれくらげの触手を切り裂いた。
切り飛ばされ、ぼちゃん、と海に落ちるしびれくらげの気配。

残りは空に浮いていた奴だけのはず………どこだ!?
ふらふらと空を飛び回る雲の魔物は、気配が感じ取りにくい。
まして闇夜で目が利かない。

「くそ…っ」
いらだって辺りを見回すパエリアの、頭上に浮いた『フロストギズモ』が氷のつぶてを吐き出した!!
――ガガガガッ!!
「ああっ」
まともに喰らったパエリアは甲板に倒れる。
焼けるような痛みが全身を襲った。鋭い氷による裂傷と凍傷。
「…っ」
しかしすぐに身を起こして空を睨んだ。

(どこだ…っ)
気配が捉えられない。このままではまた氷のつぶての餌食になる。


『ギラ!!』

船室の扉の方角から、炎が飛んだ。
それは魔物には届かず、空中ではじけて消えた。
しかし十分だった。一瞬照らし出された魔物の姿をパエリアは捉えた。

「そこかっ!!」
――ザンッ!!!

跳躍し、浮かんだ雲を両断する。
雲は霧となって闇に溶けてなくなった。

はぁはぁと肩で息をつき、魔物の気配が無くなったのを確認してから、パエリアは振り返った。
「セロ……」
セロリ、と声をかけようとして、違う、と気づいた。
思わず目を見開く。

「え……っ、カ、シス……?」

そこに立っていたのは、カシスだった。
『僧侶』のカシス。
僧侶はギラの呪文を使えたか?

「何故…」
パエリアが驚いて立ち尽くす。

カシスは慌てた様子で駆けつけた。
「ああ、すみません、すぐに助けに入れば良かった……こんなに傷を作ってしまって…!!」
カシスはパエリアの身体のあちこちに出来た傷をみて目を細め、すぐに『ベホイミ』を唱えはじめた。
浅い傷が次々と塞がってゆく。
「カシス…?お前…」
呪文が終わると、パエリアは不思議そうにカシスを見上げた。
「さっきの、『ギラ』ですか?」
カシスが小さく笑って言う。パエリアはうなずいた。
「何故…」
「僕が、僧侶になる前の事です。少しかじったんですよ」
独学ですけど、とカシスはたいした事でもないように、笑って言った。
「…そうか」
…ではカシスは以前は魔法使いだったのだろうか。
「パエリアさんも、使えますよね、ギラは」
「…ああ」
「ああいう使い道もあるんです。パエリアさんはいつも、呪文をあまり使いませんね。使えるものは使ったほうが良い」
確かにその通りだと思って、パエリアは素直にうなずいた。
「…そうだな」
カシスは満足そうに笑った。

パエリアの治療が終わると、カシスは先程までパエリアが立っていた船の先端に立ち、闇に浮かび上がる火山を眺めた。
「……もうすぐですね」
呟くように、カシスが言う。
とたんにパエリアは、先ほどまで浸っていた感傷が蘇ってきて、目頭が熱くなった。
慌てて目にぐっと力を込め、努めて落ち着いた声でうなずく。
「ああ…」
カシスはふふ、と笑ってパエリアを振り向いた。
「僕達は、あの先へ行きましょう。パエリアさん、あなたが居ればきっと行ける。僕はあなたを信じています」
真っ直ぐ見つめられ、パエリアは僅かにたじろぐ。
父にも行く事が出来なかった、あの山脈の先へ。
――行ける。
パエリアは、ふ、と笑った。
もちろん行ける。行くつもりだ。父のなし得なかった魔王討伐を果たす。
――それが、私の、使命なのだから。
「まかせろ。……必ず、行ってみせるさ」
言い切って、カシスを見返した。
カシスは眩しそうに目を細めた。
「…良かった。最初にも言いましたけど、僕はあなたを助けます。絶対に」

そこまで言って、カシスは首を傾げ、不意にいたずらっぽく笑った。
「……でも、時々は泣いたっていいんですよ?」

パエリアはきょとん、と目を見開いてカシスを見上げた。
「……?」

泣いても、良い? ……そんな言葉は、知らない。
泣いてはいけない。
強くなれ、と。ただ、強くなって、進めば良いと。
……ずっと、そう…、自分自身に、言いきかせて来た。

「バカを言うな。私は、泣いたり、しない」
今までに泣く事が無かった訳でもない。それでもパエリアはキッパリ言った。自分自身を戒めるように。
カシスは、そうですか、と言ってただ穏やかにうなずいた。

「私は、勇者だ」

パエリアは顔を上げ、近づいてくる山脈をキッと睨んだ。

◆◇◆◇◆

甲板にパエリアを残し、カシスは船室へ戻った。
――パタン。
後ろ手に閉めたドアにもたれて、ふう、とため息をつく。

あまりにも純粋で真っ直ぐな、勇者の視線が、少し胸にこたえたらしい。
迷いも弱みも多分にあるはずだ。
それでも決して折れることのない勇者の決意。

自分が目指したものとは、明らかに違っている。
彼女こそが、勇者。

カシスはかつて、勇者を目指した事がある。
しかし、今になって思えばあれは、ただの個人的な復讐でしかなかった。
殺された肉親と。
救えなかった勇者への怒り。


幼ないカシスが目にした光景はあまりに凄惨だった。

カシスの両親は行商で世界中を旅していた。
まだ幼いカシスを連れ、キャラバンの一行がアリアハンへやって来た時の事だ。
初めに襲いかかって来たのは人間――山賊だった。
あっという間に仲間の何人かが切り殺され、ただカシスは母親の腕の中で震えていた。
金品を巻き上げて去っていく山賊達を、絶望と安堵の入り混じった眼差しで皆が見つめた時、魔物の群れが現れた。
血の臭いに引き寄せられた、残忍で、凶暴な、魔物たち。

あちこちで悲鳴があがった。
絶叫と怒号と、肉の焦げる臭い。金属音。
嵐のようだ。
と、幼いカシスがそう思った時、目の前に真っ赤な雨が降り始めた。
それが、自分を抱く母親の背からあがる飛沫だと気づいた時には、キャラバンはほぼ全滅していた。
山賊も、仲間も、父親も。皆が、倒れている。
動いているのは魔物たち。さそり蜂が飛び回り、大ガラスは死肉を突付いていた。

カシスはただ、震えていた。
何も考える事すら出来ず、徐々に冷たくなる母親にしがみついて震えていた。


そこへ、風のように現れた、勇者。

あっという間だった。
魔物は全て居なくなった。

しかし。
勇者が自分の姿を見つけ、哀れむように眉をひそめた時。不意にひとつの疑問が湧いた。

――どうして?
――どうしてこんなに強いのに、お母さんもお父さんも、助けてはくれなかったの?

勇者は、父も母も救う事など出来なかった。
こみあげる怒り。理不尽な思い。
カシスには許せなかった。

大きな手が自分を抱えあげようと差し伸べられた時、カシスの視界の端に、まだ生きてうめき声をあげる山賊の姿が映った。
何か考えたわけでもない。
カシスは反射的に伸ばされた手を払いのけ、そこに転がっていた剣を拾い上げて走った。

あの感触は、今もまざまざと思い出すことができる。
カシスは咆哮をあげながら、まだ息のある山賊の胸に、深々と剣を付き立てていた――。

勇者『オルテガ』を恨む気持ちは、幼いカシスの胸にトラウマのように残った。
しかし成長するに連れ、それがいかに理不尽な思いであるか。
いかにオルテガが素晴らしい勇者であるか。
理解した。
しかし頭で理解する事と、感情が食い違うのを止めるのは難しい。
幼い頃に覚えた、あの激しい憤りを、忘れようとして、どうしても忘れられなかった。

そしてカシスは完全な勇者を目指そうとした。
しかしどんなにあがいても、『勇者』には近づけない。
それは逆に、オルテガがいかに完璧な勇者であったか、思い知らされるだけだった。

――自分は勇者の器ではない。


けれど。

『父さん…』と、確かにそう呟いて、頼りなげにうつむいた、あの勇者は。
(……パエリアさんは)
強いようで、脆い。脆いようで、強い。

あれほど完全な勇者を求めた自分が、あんなに不完全で危うい勇者の中に、光を見た。
その真摯な姿に、カシスの中のわだかまりは浄化されていくようだった。
あまりにも一生懸命で、痛いほどに真っ直ぐな。

完璧でなくてもいい。
それならば自分が助けよう、とさえ思える。
あの人のためならば、自分は全てを犠牲にできる。

「泣いたっていいんですよ…、か」
カシスはふふ、と自嘲気味に笑った。
以前の自分なら、絶対に許さなかっただろう。完全な『勇者』を求めていた自分なら。

しかし今は。
あの儚げな勇者に全てを託そうと思えるのだ…。



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