ドラクエ3 〜勇者失格?(前)〜



懐かしい城の輪郭が見えた。城下町を囲む、高い塀。
内側から見上げる事の方が多かった塀だが、それでも一目でそこが何処だか分かった。

――帰ってきたのか…。

「あっ、パエリアさん!」
「おい、大丈夫か!?」
「どっか痛いとこないか!?」
仲間達が心配そうに自分の顔を覗き込んでいる。
パエリアは思わず微笑んだ。
「…ああ…。大丈夫だ…」

アリアハンに程近い草原。草原に生えた巨木の陰で、パエリアは目を覚ました。

「パエリアさん!あんな無茶な戦い方をして…っ!!…〜っ!!!」
カシスは興奮のあまり上手く言葉が出てこないようだ。
パエリアは笑って、身体を起こした。…と、肩の辺りに少し違和感を感じだ。
「ああ、まだあんまり動かないで下さい!!」
言われて、肩口を見る。破れた服の隙間から、酷い傷跡が見えた。
塞がってはいるようだが、新しく出来た皮膚がひきつれている。
「…そこ、えぐれてたんだぞ…っ」
セロリは目に涙を浮かべていた。
「……そうか」
そういえば、そんな傷を受けたような気もする。
カシスが塞いでくれたんだろう、と顔を上げ、
「…世話をかけたな」
と頭を傾けた。

「……あんな戦い方があるかよ…っ!!」
今度はライスだ。
つくづく過保護な連中だ、とパエリアはそっとため息をつく。
しかしそれももう終わりだ。
「…まぁ、結果的には勝ったんだ。良いだろう」
言うと、ライスははぁっと大げさなため息をついた。
「良くねぇよ…、せめて顔くらいは大事にしろって言っただろう…っ」
「…?」
言われて、顔に手を当ててみた。
確かにいくつも傷は作ったと思うが、今はキレイに塞がっているようだ。
これもカシスが…
と考えた時、手が額に触れて、少しだけ痕があるのに気付いた。
「すみません、どうしても、治せなくて…」
カシスはすまなそうに言う。
「…ああ、いいさ、このくらい」
前髪を降ろしていれば分からない程度の傷跡だ。
「ありがとう、カシス」
パエリアは微笑んだ。
「…ったく…」
ライスは吐き捨てるように言って目をそむけた。セロリは泣きそうな顔でパエリアを見つめている。カシスはすまなそうにうな垂れていた。

パエリアは立ち上がった。
体力もすっかり回復していたし、肩の皮膚が少しひきつる以外、どこにも異常はない。
「なんだ……誰も喜ばないのか?」
両手を腰に当て、パエリアは仲間達を見回した。
「私達は勝ったんだぞ!」
強い口調で言うと、皆、驚いたように目を見開いてパエリアを見る。
パエリアは、笑った。
…はじめて、上手く笑えた気がする。

屈託のない笑顔。
晴れやかな少女の笑顔に合わせるように、柔らかな風が草原を駆け抜けて行った…。

◆◇◆◇◆

城下町を囲む塀をくぐり抜けると、街中の人々がパエリア一行の元へ集まってきた。
「勇者さん! ありがとうございました!」
「バラモスを倒したんですって!?」
「すごい、すごい、カッコイイ〜ッ!!!」
「あなたはアリアハンの誇りです!」
囲まれて、パエリアは思わず顔をしかめる。
(う…)
こういうのは、苦手だ。
もみくちゃにされそうになって、パエリアは逃げるように走りだした。
「あ! パエリアッ!」
セロリが慌てて追いかける。
「おい、待てよ! ……どけよ、おらっ!」
ライスも集まる人々を掻き分けて、何とか人ごみを抜け出した。
「ちょ、ちょっと…っ」
カシスは若い女性達に取り囲まれてしまい、どうにもこうにも抜け出せなくなってしまった。
「カシスさん! 大変だったでしょう!?お話、聞かせてください!」
「疲れてるでしょう! 今夜は家で休んでいきませんか!?」
「あ! ちょっとずるい〜っ! ねぇ今夜は一緒に飲みましょうよっ」
「え、いえ、その僕は…」
半ばおとり状態となって、カシスは置いていかれた…。


パエリアは家に帰ってきた。
いい匂いがする。懐かしい、スープの匂い。
パエリアの好きな、スープの匂いだ。

一体、どれくらいぶりだろう…。

なぜか足が止まって、そのまま門の前に立ち尽くしていると、ひとりでに玄関の扉が開いた。
「…お帰りなさい、パエリア…」
現れたのは、母親の。懐かしい母・エリーゼの姿だった。
「…母さん…」
旅立った時と変わらない。
腰まである長い黒髪をひとつに束ね、馴染んだ若草色のエプロンを身につけている。
変わらない、優しい笑顔。

あまりにいつも通りのその姿に、パエリアの涙腺は思わず緩んだ。
しかしパエリアはそれを振り払って、穏やかに微笑んだ。
「帰ってきたよ…」

「無事で帰ってきたんだね!?」
ドアの奥からまた1人女性が飛び出してきた。
セロリがその姿を見て驚いた声を上げる。
「ルイーダッ!?」
「まずはこっちに来るだろうと思ってさ、待ってたのよ!ああ…お帰り…っ!」
ルイーダはボロボロ涙を零している。
「な、何泣いてんだよっ!?」
「だって嬉しくて…、アンタがここまでやるなんて、あたし思ってなかった…」
つられて泣きそうになってセロリは慌てて首を振った。
「バーカ! と、当然だよっ!!」
「もう……相変わらず口が減らないんだからっ!」
言いながら駆け寄って、ルイーダはセロリを抱きしめようとした。
「や、止めろよっ、バカルイーダッ!!」
慌ててセロリはライスの背に隠れる。
堪えきれずにライスは吹き出した。


「さ、まずは王様に、挨拶してらっしゃい」
エリーゼが穏やかな口調で言った。
「……うん…、行ってくる」
「帰ったら、お祝いをしましょう」
「……ああ」
「魔王討伐と……あなたのお祝いよ、パエリア」
「…?」
きょとん、としてパエリアは母を見上げる。
「…誕生日。……もうひと月も過ぎてしまったけど。おめでとう、パエリア」
ふふ、と母は嬉しそうに笑った。

旅立ったのが丁度16の誕生日だった。
それから、もう一年以上が経過していたのだ。すっかり時間の感覚を無くしていた。
「あら!そういえばセロリ、アンタももう15!?」
ルイーダが驚いたように息子を見つめた。
「……そういえばって何だよ…」
「あら〜ヤダ、どうりで男っぽくなるわけよねぇ…」
ルイーダがしみじみ言い、セロリは不機嫌そうにそっぽを向く。
またひとしきり笑い声が続いた。

「…そーいや俺ももう28か……。……嬉しくねぇ…」
ライスの呟きは誰も聞いていなかった。

◆◇◆◇◆

王宮へ続く橋を渡り、城門をくぐると、兵士達が皆一様に敬礼して一行を出迎えた。
「さあ、早く王様の下へ!」
次々に言われて、足早に玉座の間を目指す。

早足で歩いていると、ふいに後方から呼び止められた。
「パエリアさん!」
振り向くと、長身の僧侶が息を切らして駆け寄ってきた。
「ひ、酷いじゃないですか…。置いてくなんて…」
「ああ……」
パエリアはバツが悪く視線を逸らす。
「すまない」
短く答えると、ライスとセロリはプッと吹き出した。
「ちょっと!! …笑い事じゃないですよ、全く…っ」
キッと鋭い視線が飛んで、慌てて2人は身をすくめる。
一行は揃って王の間を目指した。

長い回廊を抜けて階段を上ると、王の間ではすでにラッパ隊が2列に並んで一行を待ち構えていた。
(う……)
――こんな出迎えなど、必要ないのに。
どうも注目を浴びるのが苦手なパエリアである。

思わず立ちすくんだパエリアの肩が、突然どんっ、と押された。
よろめいて一歩踏み出し、パエリアは不快げに振り返る。ライスが、ほら行けよ、と言いうように、ニヤニヤ笑っていた。
「……」
パエリアはふう、と息を吐き、背筋をしゃんと伸ばした。ラッパ隊の間を通り抜け、王の正面へと進む。

「良くぞ戻った! 勇者パエリアよ!」
王は玉座から立ち上がり、両腕を広げるようにしてパエリアを出迎えた。年取った王の、普段は威厳に満ちた顔が、今はただの老人のように微笑んでいる。
パエリアはスッとひざまずいて、頭を垂れた。
「…ご命令通り、魔王バラモスを倒して参りました」
「うむ、さすがはオルテガの娘! まこと見事な活躍であった。…さあ、今宵は祝宴じゃぞ!」
「いえ、私は…」
今夜は自宅で食事を取る予定である。パエリアは辞退しようとして顔を上げた。

その時。

―――ガガァァンンッ!!!!

激しい雷光が広間を襲った!
天井の高い広間にぽっかりと浮かんだ黒いひずみ。
稲光はひずみから発生してパエリアの真後ろに立ち並んだラッパ隊を襲撃した。

焦げた匂いと黒煙。
そしてバチバチと跳ねる電流の名残がフロアを包みこんだ。

(――何だ!?)
パエリアは訳も分からず剣を抜き、王の前に立ちはだかった。
ライス、カシス、セロリの3人も、あまりに突然の出来事に呆然としたが、直ぐに気を取り直すとパエリアの元へ駆け寄る。
倒れたラッパ隊の兵士達は……皆、鎧の隙間から黒煙を噴出し、ピクリとも身動きする者はなかった。

パエリアは宙に浮かんだ黒いひずみをキッと睨んだ。
ただならない気配を感じる。
あぶら汗がじわじわと浮かんだ。
(…何だ。……何だ!?)
言い様のない不安。正体不明の、感じた事もない大きな不安が沸き起こる。

ひずみは徐々に形を変え、一つの邪悪な影を形成した。
暗黒を思わせる禍々しいシルエット。凶悪な光を宿す鋭い双眼。
険悪で邪悪すぎるその形相…。

浮かんだ影は透けていて、それが幻影だ、と分かっても恐ろしさに震えがきた。
パエリアは初めて、恐ろしさに震えた。

「……我が名はゾーマ…。闇の世界を支配する大魔王……」
声が届いた瞬間に、全身に冷水をかけられたような寒気が走った。
「わしが居る限り、やがてこの世界も闇に閉ざされるであろう…」

大魔王。
――…真の、魔王…!?

「そなたらの苦しみはわしの喜び…。さぁ、苦しめ、悩むが良い…!!」

地獄から響いて来るような笑い声が、広間を包み込んでこだました。

「我が名は大魔王ゾーマ…!!わっはっはっは…ッ!!!」

笑い声に合わせて足元が揺らぎ、暗黒に引きずり込まれるような錯覚に陥って、パエリアはガクッと膝をついた。
耐え切れずに、はぁはぁと息を切らす。

――何が。
――何が起きた……!?

正気に返った頃には、既に大魔王の幻影は掻き消えていた。
しかしそれが夢ではないと嫌でもわかる。直ぐそこに、ラッパ隊の無残な姿が転がっているのだ。

王は玉座にしがみ付くようにして、辛うじて座っていた。
仲間達は皆、パエリアと同様に青ざめた顔で広間の床に座り込んでいる。
王はぶるぶると唇をわななかせた。
「…ああ……世界は…」
視線は的を得ずふらふらとさ迷う。
「…闇に…閉ざされるというのか……?」
パエリアはただ呆然と、王の様子を眺めていた。呟かれた言葉の意味も、理解してはいなかった。

王の視線が、フッとパエリアを捉えた。
「…勇者よ…世界は…」

瞬間、パエリアはハッと息を飲んだ。
『勇者』。
自分は勇者なのだ。
世界を平和に導く、勇者なのだ。

パエリアは何度も唾を飲み込んだ。

大魔王を、倒す。
そうだ。
倒せばいいのだ、大魔王を。
それが私の使命……勇者の使命……。

しかし唇は僅かに震えただけで、言葉を発する事が出来ない。
パエリアは、その考えの余りの恐ろしさに凍りついたように動けなくなっていた。
こんな恐怖は、感じた事が無い。
――勝てない。きっと。
――……勝てる気がしない……。

やがて、王の目は、重々しく伏せられた。
「…このことは、くれぐれも皆には、秘密にな……。下がってよいぞ……」

王は命じなかった。
勇者の自分に、大魔王を倒せとは命じなかった……。



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