ドラクエ3 〜勇者失格?(後)〜



どうやって城を出たのか、良く覚えていない。

結局、魔王を倒すと、言う事は出来なかった。
逃げ出すようにして、パエリアは城を後にしたのだ。

『勇者はいつも強くなければいけない』
自分にいつも言い聞かせていた言葉。
こんなにも脆いとは思わなかった。自分の脆さを知らなかった。
(私は…勇者、失格だ……っ)
パエリアはぎゅっと目を閉じて額に手を当てた。

「パエリア…」
セロリが不安げに名前を呼んだ。しかしそれ以上かける言葉も見つからず、ただパエリアの様子を見守っている。
重苦しい沈黙が流れた。

やがて、何も知らない穏やかな声が、沈黙を破った。
「パエリア? …遅かったのね。迎えに来たのよ」
幸いな事に、声はパエリアの表情が見えない、死角の方向から聞こえた。
「母さん……」
ぎこちなく微笑んで、パエリアは振り返る。
「……? 何か、あったの……」
「何も、無い! …さぁ、帰ろう。皆も、一緒に…」
「……」
母は明らかに何かあると察して、パエリアを問い掛けるような視線で見ている。
しかし本当の事などどうして言えるだろう。
この人は、もうずっと、待っていたというのに……。


食卓を囲む声は賑やかで、なごやかな一時が過ぎた。
パエリアはホッとしていた。
上手く話せない自分と違い、ライスとカシスは旅の出来事を面白おかしく話してくれた。
セロリの様子はぎこちなくて、ルイーダは何か察してしまったかもしれない。それでも、その場は上手くやり過ごす事ができた。
ほんの、一時でも、穏やかに過ごしたかった。


深夜。
パエリアは再び旅装束に身を包み、剣を取った。剣を持つ手がかすかに震え、パエリアは唇をかみ締める。
……怖い。
自分の不甲斐無さに怒りが込み上げる。
こんなにも怯えた心の自分が、『勇者』など…。
それでも。
それでも、勇者は自分しか、居ないのだ――。


パエリアは母を起こさないよう、慎重に階段を降りた。玄関口まで来て、ハッとする。

「また、行ってしまうのね……」
母がそこに立っていたのだ。
「……っ」
悲しげに微笑みながら、呟かれた母の言葉に、胸が詰まる。
どこへ行くのかとも、何をしに行くのかとも聞かれず。
ただ、母は寂しそうに呟いたのだ。
「母さん…」

エリーゼの目から涙がこぼれた。
「ごめんなさい、パエリア…!」
母は涙を零しながら、深く頭を下げた。
「あなたを勇者に育てて、辛い思いをさせたわ…っ。父さんの代わりをさせようなんて、私の勝手な理想を押し付けた…っ」
いつも穏やかで強い母が、ぼろぼろと涙をこぼして取り乱す様子に、パエリアは唖然とした。
エリーゼはパエリアの手を取り、頬へ当てた。
「もういいの…! もういいのよ、もう十分…! これ以上は、もう…っ」

母は、知ってしまったのだろうか。
大魔王のことを。
知っていて、もういいと、言うのだろうか。

この人に育てられた。
勇者として。オルテガの娘として、強くあれ、と。
何者にも負けないように。誰よりも強く、と。

「……ダメだ、母さん。…私は…」

逃げてしまいたい。
怖い。
それでも。

「……行くよ」

逃げるわけには、いかないのだ。
決して。
父の名にかけて。

「パエリア…」
母の泣き顔を見るのは初めてだった。
――もう、会えないかもしれない…。
「私は母さんが好きだよ……」
涙をためたままの、エリーゼの瞳が大きく見開かれた。
「…パエリア…、ごめんなさい、ごめんなさい…、……ありがとう…」

母の横を通り過ぎて、パエリアはドアに手を掛けた。

「帰ってきてね。また、帰ってきて…」
返事をする事は、出来なかった。
パエリアは振り返って、最後に笑った。

「…行ってくる…」

◆◇◆◇◆

静まり返った夜の街道を、1人歩く。
街の出口まで来て、そこに立っている人影に気づいた。
「…セロリ…」
「どこ行く気だよ! パエリア!」
セロリは不機嫌そうに怒鳴った。
「私は……」
言いかけて、口をつぐむ。
――これ以上、巻き込むことは、出来ない。

パエリアは無言のままセロリの横を通り過ぎようとした。
「待てよ! ゾーマ倒しに行くんだろ!?」
セロリの手が、パエリアの腕を捉える。
「…お前は、来るな」
振り返らずにパエリアは言った。
「何言ってんだよ!? パエリアが行くなら、俺も行く!! 当り前だろ!?」
しかしパエリアは頭を振った。

きっと勝てない戦いだ。
ならば、自分1人で行く。
仲間を連れて行くことは、出来ない。

「…お前にはルイーダがいる。来てはいけない」
「ルイーダは関係ないだろ!?オレも…っ」
パエリアはキッと鋭い目でセロリを振り返った。
「―ダメだ!」
「パエリアッ!?」
セロリは訳がわからず、ただ驚いた顔でパエリアを見つめていた。

困惑するセロリの後ろに、もう1人、険しい顔で立っている人物が居た。
「――パエリアさん」
「……何の、用だ」

カシスが近づいて、パエリアを見下ろす。
「僕も、セロリさんと一緒です。…あなたが行くなら、僕も行きますよ」
「…っ」
パエリアはギュッと眉を潜めて顔を背け、短く言う。
「…来るな」
「いいえ。行きます」
穏やかに、だがキッパリと言われて、パエリアはカッと頬を染めた。
「お前達はどうかしている! 私と行けば勝てるとでも思っているのか!?」

きっと勝てない。
勝てる気がしない。
『勇者』など名ばかりで、何の力もない。
きっと……皆を死なせてしまう。

「……私は……1人で行く」

「何でだよ、パエリアッ!!そんなの嫌だからなっ、絶対ついて行ってや…」
セロリの叫びが終わらないうちに、パエリアは腰の剣を抜き放った。
「来るというならこの場で私が殺す!」

殺気。
悲痛な叫び。

「…パ、パエリ…ッ…」
見開かれたセロリの目から、ぼろ、と涙がこぼれた。
「パエリアさん…」
カシスがセロリの肩に手を置き、責めるようにパエリアを見つめる。

「…っ、すまない…」
それだけ言うと、くるりと踵を返し、パエリアは走り出した。
背後でセロリの叫ぶ声が聞こえる。
「バ、バカヤロー―ーーッ!!!」

振り返りはしなかった。
このまま振り返らず行かなければ、自分はもう進めない…。

◆◇◆◇◆

パエリアは街を飛び出した。
このまま走って、ラーミアのところまで。ラーミアに乗ってしまえばきっと、大丈夫。
何かから逃れるようにパエリアは走った。

しかしラーミアにたどり着く前に、マントの端を引っ張られた。
「…うぁっ!」
物凄い力で引かれて、仰向けにひっくり返る。
――どさっ
マントを引っ掴んで膝を付き、ぜぇぜぇ息を切らしているのは、ライスだった。
「…っ」
パエリアは起き上がろうとしてマントを引いた。
「…離せ…っ」
しかしライスの手は離れない。
代わりに、キッと物凄い形相で睨まれた。
「離すかこのバカ!どこへ行く気だよ!?」
「……っ、決まっているだろう、私はゾーマを倒しに……」
「ああ!? そうは見えねぇなぁ、俺にゃぁアンタが死にに行くように見えたぜっ」
「……!」
パエリアは言葉につまり、グッと唇を噛み締める。

そうだ。
私は勝てない。
ならば私は……死にに行くのだ……。

「一人で行かせてくれ。…頼む…」
視線を逸らし、うつむいて呟いた。
「何が1人でだっ! アンタを死なせてたまるかよっ。行かなくたっていいだろう!? 死ぬぐらいなら、逃げりゃいいんだ! 俺はどこだって付き合ってやる!」
「馬鹿を言うな…っ、私は、勇者だ!」
逃げ出す事は、出来ないのだ。
それは、勇者の誇りにかけて。
あと自分に残されたのは、1人で挑む事、のみ。
「勇者がどうしたっ! くだらねぇっ」
「…っ!!」
パエリアはキッとライスを睨んだ。力ずくでマントを引き寄せ立ち上がる。
「…お前はもう関係ない!後は私1人の問題だ!!…ついて来るな!!!」

「関係ないだと…っ」
ライスも立ち上がり、パエリアの胸倉を掴んだ。
「二度と言ってみろ!許さねぇぞっ」
パエリアは腰の剣をすばやく抜いた。
そのままライスの喉元に突きつける。
「…私は本気だ、ライス。離さなければ、…斬る」

ちっ、とライスは舌打ちした。そして手を離す。
「上等だパエリアッ!! 1人で行くってんなら俺を殺してから行けっ」

ライスも剣を抜いた。
パエリアは剣を構えたまま、苦しげに眉をひそめる。
「くっ…」
「どうしたよ、やんねぇんならこっちから行くぜ!?」
ライスは本気で切りかかってきた。

――ガキィッ!!

何度も剣が交わる。

どうして分かってくれないのだろう。
不安定なパエリアの剣は、ライスにとても敵わず、徐々に圧され始めている。
(これ以上、追い詰めないでくれ……っ)
体が一瞬はなれたとき、パエリアは右手を天に高く掲げ魔力を高めた。
『――ライデイン!!』
――ガォオオンッ!!!
激しい稲光が、丁度持ち上げたライスの剣に突き刺さった。
「…ぐあぁ…っ!!!」

どぅ、と音を立てライスが倒れる。
はぁはぁと息を切らし、パエリアは倒れたライスを見つめた。
視界がじわ、と滲んで歪んだ。溜まった涙が堪えきれずにぼろ、と落ちる。
私は一体、何をしているのだ…。
「…ライス…」
パエリアが呟いた瞬間、ライスはバッと勢いをつけて跳ね起きた。
「!?」
パエリアが呆気に取られているうちに、ライスはふら付く足でそれでも素早く間合いをつめる。
「効かねぇっ!」
叫びながら振るったライスの剣が、パエリアの剣を薙ぎ払った!
――ギィィンッ!
パエリアの剣が宙を舞う。
呆然としてパエリアはただ剣の行方を目で追った。剣が地に落ちる。

振り返るとライスが正面に立っていた。
大きな身体。自分より頭三つ分、高い位置からライスはパエリアを見下ろしている。
「…1人でなんか、行かせねぇよ、死んでも…」
あちこち火傷を負った腕が伸ばされる。そっと抱きしめられて、パエリアは堪えきれなくなった。
「………ライ、ス……っ」
ボロ、と溢れる涙。
「…ふっ…、うっ…」
後はもう、止まらなかった。
「う、うぅーーーっ」
ライスの胸に頬を押し当て、パエリアは泣いた。
「…私は…っ、…私、は……」
こんなに泣いたのは、生まれて初めての事かもしれない。

「大丈夫だ、パエリア…」
震えるパエリアの肩を、ライスは優しく撫でた。
「…大丈夫、大丈夫だから…」
それ以外の言葉を忘れたように、ライスは大丈夫、大丈夫、と繰り返した。

◆◇◆◇◆

やっと嗚咽が止まった頃、パエリアは照れたように腕を突っ張り、身体を離した。
「……やっぱり、私は行こうと思う」
うつむいたまま、しかしキッパリと、パエリアは言った。
「…無理しなくたっていいんだぜ?」
「どうしても、放って置く事は出来ないんだ」
「…『勇者』だからか?」
パエリアは、かぶりを振った。
泣きながら、考えた事。
逃げる事。
だが、やはりそれは出来ないのだ。
「…これは、私の性分だ」
たとえ勇者で無かったとしても。…きっと、じっとしてはいられない。

ライスはパエリアの肩を掴み、目の高さを合わせてニヤッと笑った。
「じゃあ、しょうがねぇな。…行くか!」
「…ライス。…勝てないかもしれない。…きっと、その可能性の方が高い…。それでも、来てくれるのか…?」
ライスは笑ったまま、パエリアの額を指ではじいた。
「…最初から言ってるだろ!…地獄だって付き合ってやる」
いつも通りのおどけた笑顔。パエリアはきょとん、として額を押さえた。
「ふ…」
思わず笑い出して、目尻に残った涙をぬぐった。
「お前がいれば、勝てるかもしれないな……。そんな、気がしてきた」
「俺だけじゃねぇみたいだぜ?」
「?」
ほれ、とライスは親指でパエリアの後方を指した。

振り返れば、仲間達の姿が見えた。
駆けて来る2人の姿が、あっという間に近づく。
「パ、パエリアッ!! 絶対絶対、1人でなんか行かせないからな!!」
「僕も絶対に、許しません!」
2人とも決死の形相で武器を手にしている。力ずくでも止める気なのだろう。「殺す」とまで言われて、それでも2人は追いかけて来たのだ。

パエリアは、笑った。……嬉しかった。
「うん。……ありがとう。私1人では、きっと勝てない。…一緒に。一緒に来てくれ……」
きょとん、としてセロリが杖を降ろした。カシスも不思議そうに瞬きしている。
2人して顔を見合わせて、パエリアの方へ歩き出す。
…と。
「ああーーーっ!! パエリアッ、泣いてたのかっ!? 大丈夫か!?」
セロリが叫んで、パエリアに駆け寄った。
一目で分かる、パエリアの泣き腫らした瞳。
「いや、これは…」
パエリアが慌てて取り繕うのも待たず、セロリはギッとライスを睨んだ。
「てめぇっ、何しやがった!! このエロジジィ…ッ!!」
「…げ、なんだよ…」
またこのパターンかよ、とライスは肩をすくめる。セロリは杖を振り上げた。
「もう許せねぇっ! 死ねジジィーーッ!『ベギラマッ』!!」
「うぉおっ!?」
慌ててライスが飛び跳ねて交わす。
「バ、バカお前、そりゃ危ねぇだろ…っ」
「逃げんなこの…っ、『ベギラゴン』!!!」
「マジかよ!?」
逃げ惑うライスをセロリは叫びながら追いかけて行った。

「……」
残されたパエリアはカシスと2人、顔を見合わせた。そしてプッと吹き出す。
「あはは、いいコンビですね」
「…そうだな。また、このメンツで旅をするんだな。……カシス」
パエリアはカシスを見上げた。
「…また、よろしく」
カシスはにっこり笑った。
「ええ、こちらこそ」

東の空が白み始め、夜が明けようとしていた。
新たな旅立ちの日が、始まろうとしていた――。



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