ドラクエ3 〜虹の橋〜



アレフガルドの大地は酷く冷たい。
もう何年も太陽を失って、寒々と枯れ果てた土地。
パエリア一行はゾーマ城の在る島へ渡るため、リムルダール大陸北西の岬を目指して旅を続けていた。
常に夜の大地を歩くので時間の感覚も曖昧だが、リムルダールの街を出立してから数日も経った頃、ようやく一行はその岬へと辿り着いた。
岬は断崖絶壁で、黒い海が次々と叩きつけられては砕け散っている。明かりがあれば恐らくは、向こう岸にはゾーマの城が、浮かんで見えるはずだ。
しかし暗闇は何も映さずただ冷たい風だけがヒョゥヒョゥと吹き付けている。

「くそ……。この海を渡るのは難しいな……」
パエリアは足元の崖で飛沫をあげる波を睨んだ。
「うぅ、寒ぃ……」
セロリは歯を鳴らして青い顔をしている。

「『雨と太陽が合わさる時』――か」
カシスは首を傾けてライスを見上げた。ライスは手に『雨雲の杖』と『太陽の石』2つのアイテムを持っている。
「……何も起きねぇなぁ」
ライスは、コツコツと2つをぶつけてみて、駄目だ、と首をすくめた。
「困りましたね……」
アレフガルドに伝わる言い伝えはこうだ。『――雨と太陽が合わさる時、虹の橋が出来る――』

「ここの事だと思ったんですけど……」
「アイテムが違うんじゃねぇか?」
「合わせるっていうのは、どうするんでしょうね?」
「……」
カシスとライスは顔を突き合わせたまま黙り込んだ。
「さみぃ……」
セロリは腕をさすって背中を丸めている。

海を睨んでいたパエリアは、そのうち諦めて皆の方を振り返った。
「……こうしていても仕方ない。とりあえず休む事にしよう。……落ち着いて考えるんだ」

◆◇◆◇◆

「……はー、やっと温まってきた」
セロリは一人、火にあたってホッと息をついた。
他の皆は寝袋にくるまって眠っている。
ゾーマの島へ渡る手段をあれこれ考えたが、結局どうする事も出来ず、まずは体力を回復する事になったのだ。
セロリは見張りに立って、後でライスと交代する予定だ。
しばらく火にあたっていたセロリは、そのうちふとパエリアの寝顔を覗いた。
相変わらずパエリアは、眠っている時は無防備な顔をしている。
後ろめたさを感じて直ぐに視線を逸らしたが、一度高まった動悸は直ぐには収まらなかった。
気を逸らすように、セロリは星の無い空を見上げる。
……あの夜は星がとてもきれいだった。
パエリアは覚えているだろうか。忘れられた孤島で交わしたあの約束の事を。
「……きっと忘れてんだろうな」
ぼそ、と呟いて上げた顔を戻す。
アレからイロイロあった。あの約束を交わした条件は、確かバラモスを倒したら、だったハズだ。
バラモスを倒したら、一緒にアリアハンに帰る。帰って……ずっと一緒に暮らす。
それはセロリの夢だ。
しかしパエリアはもう忘れているかもしれない。
(……しょーがねぇよなー)
大魔王ゾーマが現れたのだ。バラモスを倒しても、勇者の使命は終わらなかった。パエリアには以前よりも重い枷が架せられたのだ。
それでもセロリは夢を見ている。
大魔王ゾーマを倒したら。その時は。その時こそは、一緒に……。
セロリはまた、パエリアの寝顔を覗いた。
「……なぁパエリア……ダメ、かなぁ……?」
小声で呟くと、急にパエリアの困った表情が頭に浮かんで、セロリは慌てて首を振って振り払った。
(……くそぉっ)
目の前のパエリアは相変わらず安らかな顔で寝息を立てている。
しかしセロリが考えるたび、頭の中のパエリアは困った顔で首を振るのだ。
(何でだよ……)
困った顔なんて、見たくない。パエリアの気持ちが、分からない。……分からない。
――そんな事、知りたく、ない。
セロリは膝を抱えて顔をうずめた。

背後で獣の唸る声が聞こえた。ハッとしてセロリは、跳ねるように立ち上がった。
こんな時いつも真っ先に飛び起きるのはライスだが、まだ起きる気配は無い。気づいたのはセロリ一人だ。
魔物の気配はまだ遠い。
セロリは仲間達を起こそうか一瞬迷ったが、一人で背後の森に踏み入った。
魔物の数はそんなに多くはないようだ。
(オレ一人だって……)
セロリには自信があった。

◆◇◆◇◆

飛び散る火の粉。唸るように吹き上がる煙。巨大な火柱。
山火事だ。
真っ赤に燃え上がる炎の森を、パエリアは呆然と見上げた。
「セロリさんの姿が見えませんっ」
辺りの様子をうかがって、カシスが叫んだ。ライスがちっと舌を鳴らす。
「火の出所はあいつかっ!?」
パエリアはハッとして火の海を睨んだ。
「まさか、中に……!?」
呟いたのとほぼ同時、パエリアは飛び込んでいた。燃え上がる炎の森に。
「パエリアッ!!!」
悲鳴に近いライスの声が背後に聞こえる。
しかしパエリアの足は勝手に動いた。押し寄せる火の粉を剣で薙ぎ払い、森の奥へ奥へと踏み込んで行く。
「くっ……セロリ……どこだっ!!」
◆◇◆◇◆

「ちっきしょう――『ヒャダルコッ』!!」
刺すような氷のつぶてが炎の海に降り注ぎ、激しい蒸気がセロリの周囲を真っ白に包んだ。
しかし全ての炎を消すにはまるで足りない。
――こんなつもりでは無かった。
森の奥から一行を狙っていた魔獣の群れを、セロリは炎の呪文で焼き払った。
呪文の残り火は術者の意思で消せるはずだったのだ。
しかしその時何故か不安定だったセロリの精神は、呪文の炎に影響した。それはセロリの意思とは関係なく森の枯葉に燃え移り、セロリの術を離れて膨れ上がったのだ。
「くそっ……」
気づくのが遅れたのも不味かった。後悔したが遅い。
今はこの火を消さなければ……!
セロリは目を閉じて意識を集中した。手にした雨雲の杖を掲げて祈るように。
『――マヒャドッ!!!』
蒸気の爆発が起こり、煙は先ほどよりもさらに激しく立ち込めた。
マヒャドの威力は広範囲にわたり、火の勢いを弱めた。
しかしまだ。まだ全てを消すには至らない。熱い煙が喉の奥にまで押し寄せて、セロリは激しく咳き込んだ。

「……ロリ……ッ……」

かすかな声が耳をかすめた気がした。
ハッとして顔を上げる。
今の声は。

「パエリアッ!?」

叫んで振り返るのと同時、パエリアはブスブスと黒煙を上げて倒れる木の間から飛び出して来た。
「セロリ!」
パエリアの腕も顔も、あちこち焼け焦げてすすけている。
「なんで……」
セロリが言うより早く、パエリアはセロリの肩を掴んで揺すぶった。
「大丈夫か!」
「あ、ああ……」
セロリの身体に異常が無いのを見てとって、パエリアはようやくホッと息を吐いた。
「早く、出るぞ!」
パエリアはとセロリの腕をひっ掴んで、今来た道を引き返そうと踵を返した。

「だ、だけどパエリア、火を消さないと……っ!」
セロリはその場に踏み止まった。
「しかし……」
しかしもう炎は森全体に燃え広がり、消し止めるのは困難だろう。それでもセロリは諦め切れなかった。
火が燃え移ったのは自分のミスだ。それでなくても荒んだアレフガルドの、森を一つ燃やし尽くしてしまうのはどうしても避けたい。
「……」
セロリが杖を握る手に力を込めると、パエリアもうなずいて一歩下がった。
「……そうだな。頼む、セロリ」

セロリは目を閉じた。
ただのヒャドじゃ駄目だ……氷の呪文じゃ消せない。メラを……炎の熱を少し混ぜて、溶かす事が出来れば……。

セロリの目が見開かれる。
『――マ ヒャ ド……ッ』
精神をギリギリまで集中してコントロールしたつもりだ。
辺りには氷の刃でなく、激しい雨が降り注いだ。
「……やった、か……?」
呪文の雨は森全体を包んで降りしきる。セロリは詰まった息を吐き出して、くすぶった炎に目を凝らした。
「セロリ!」
パエリアが叫んだ。
まだその木は燃えていた。燃えながら怒ったようにセロリに倒れ掛かって来たのだ。

――ガァオオンッ!!

「うわぁっ」
大きな衝撃を胸に喰らってセロリは吹っ飛んだ。

「……パ、パエリアッ!!!」
突き飛ばしたのはパエリアだ。ほとんど体当たりするようにセロリを突き飛ばして、パエリアは身代わりに木の下に潰された。
「く……っ」
まだ燃える木の下敷きになって、パエリアはうめいた。
「パエリア! しっかりしろっ!」
手が焼けるのも構わずに巨木を押したが、セロリの力ではビクともしなかった。
「……くそぉっ!」
「……だ、大丈夫だ……これ、くらい……っ!!」
パエリアが力を込めると、木はザザッと焦げた葉枝を揺らして震えた。
しかし体勢が悪いのか思うように力が入らず、木をどける事は出来ない。
「……っ」
セロリは泣き出しそうな顔で杖を掲げた。
せめて火を消さなければ。このままではパエリアは焼け死んでしまう。
大呪文を唱えるだけの魔法力はもう残っていなかった。
わずかに残る魔力の全てを杖に込め、セロリは天に祈った。

(頼む。雨を……!!)

セロリの呼びかけに応じて、厚い雨雲が空を覆い始める。
そこへ、くすぶった森の木をガサガサと揺らして、大男が飛び込んできた。
「パエリアッ!!」
ライスだ。
ほとんど意識を失いかけたパエリアの目がわずかに開いた。
「……ライ……」
「おい! しっかりしろよっ!?」
ライスはパエリアにのしかかった巨木に手をかけた。
滝のような雨が大地を叩きつけるように降りはじめる。
弱った炎が僅かにライスの手を焦がしたが、気にも留めずライスはそれを持ち上げ放り投げた。

その時だ。
パエリアの胸に掛けられた聖なる守りが青白い光を放った。
「パエリア!?」
驚いて、ライスはパエリアを抱きかかえる。
「……これは……!?」
パエリアの意識がハッキリと呼び戻される。
ライスの腰にぶら下げた道具袋の中でも、何かが赤く光っていた。
慌てて開けて見ると太陽の石が赤く輝いている。
「……なんだこりゃ」
取り出そうと手を伸ばすと石はカッとひときわ強い光を放ち、空へと飛び上がった。
「!?」

それまで杖を握り締めて祈りを捧げていたセロリが急にバタンッと倒れた。
全ての精神力を使い果たして、力尽きたのだ。
激しく降りつけていた雨が勢いを弱めていく。

吸い込まれるように空へと駆け上がった太陽の石が見えなくなると、雲の合間から光が差し込んだ。
もう長い間闇に閉ざされた大地に、僅かだが光が差したのだ。

「……っ、これは……!?」
遅れて駆けつけたカシスが、驚いて立ちすくんだ。

弱い雨が降る中に、天から差し込む微かな光。
光に掛かるように、淡い七色の輝きが浮かび上がる。

「虹の橋……!」
◆◇◆◇◆

驚いた事にその虹は、パエリアの足元から伸び上がって、魔の島まで続いていた。
触れても消えず、その上を歩くことさえ出来る。まさに言い伝えどおりの虹の橋である。

「大丈夫か、セロリ……」
虹の橋にくるぶしまで埋まりながら、歩く。
水の中に浸かっているような感触。しかし、前へ進める足は軽い。不思議な感覚だった。

「……だいじょーぶ……!」
セロリは意識を取り戻したばかりで、ライスに抱きかかえられている。まだ一人で歩けもしない状態だが、それでもニヤリと笑ってピースサインを出した。
「ふ……」
パエリアは笑って、隣のカシスを見上げた。
「おい……言っても無駄かもしれないが……私よりセロリを回復してやってくれないか?」
カシスはパエリアに肩を貸して、回復呪文を唱えながら歩いている。もう随分回復して、パエリア一人でも歩けるのだが……。
「無駄ですね」
「……」
やっぱり、とパエリアは軽くため息をついた。
きちんと体力を回復して来たかったのだが、何しろいつ消えてもおかしくない虹の橋だ。まだ気を失ったままのセロリを抱えて出発したのだった。

「なぁ、気のせいかも知れねーが……この橋、さっきより薄くなってねぇか……?」
セロリを抱えて、先を歩いているライスが不安げに振り返った。
「……そういえば……」
カシスも足元に目を凝らして、それから隣のパエリアを見おろす。パエリアも足元を見て眉を寄せた。
「……まずいな。……走るか」
「舌噛むなよセロリ!」
3人は走り始めた。
目前に近づく城のシルエット。放たれる邪気が目に見えるような気さえした。ただならない威圧感が押し寄せる。
3人が橋を駆け下りると、虹の橋はスゥッと闇に溶けるように消えた。

ライスが振り返って、にやりと笑う。
「へっ、戻れねーって事か」
「……引き返す気は無い」
パエリアはきっぱりと言い放った。

パエリアは禍々しい城に目を凝らし、それから皆を見回した。
「……今日はここで、最後の野宿だな」
皆、無言でうなずく。
セロリはライスの腕からやっと降りて、
「いよいよだな! ゾーマ倒したら、オレ……」
言って、まっすぐパエリアを見上げた。
「……オレ、」
「……?」
パエリアは首をかしげてセロリを見る。
セロリはもどかしく口ごもった。
「やっぱり、倒したら言う……」
「? 何だ?」
パエリアはまた、不思議そうに首をかしげた。

「明日で最後だ! 景気良く行こうぜ!」
突然、ライスがパエリアの背をセリフのまま景気よくバンッと叩いた。
「……っ、痛いな」
パエリアは少し口を尖らせてライスを睨んだ。そしてそのままうずくまってしまう。
「あ!?」
慌てふためいてライスは口をパクパクさせた。
「……えっ? だ、大丈夫かパエリア!」
セロリは青くなってパエリアの様子を窺った。カシスも慌ててパエリアに駆け寄る。
「だ、大丈夫ですかパエリアさん!! ちょっとライ……」
くすくす、と笑う声が聞こえた。
驚いて声のした方向を見下ろすと、しゃがみ込んだパエリアの、丸まった背が声に合わせて揺れている。
「ふっ……冗談だ」
顔を上げて皆を見上げ、パエリアはおかしそうに笑っていた。
「……」
「……」
「……じょ、冗談……?」
ライスは一瞬あっけにとられ、それから叫んだ。
「こ、こらパエリアァッ!」
「はははっ」
パエリアは楽しそうに笑って立ち上がった。
「はははっ……なーんだ、馬鹿だな、ゴリラは! 相変わらずっ」
セロリも愉快そうに笑い出す。カシスも苦笑いしてその様子を眺めた。

決戦の前、最後の野宿。楽しげな笑い声はしばらく続いた。



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