十二.
指折り数えて待つ、結婚の日まであと七日。事件というものは唐突に起きる。その日綾音は、幸せの絶頂から一気に谷底へ突き落とされた。
消えかけた灯りで薄暗い綾音の部屋に、沈痛な面持ちの父中納言義貞と、怒ったような顔の兄左近の将監貞成。今にも泣き出しそうな顔の夏木と、数人の女房達が、綾音を取り囲んでいる。
「私……、どうなっちゃうの……」
「これは大変に、名誉な事だ……」
重々しく父義貞は言った。
「名誉って……だって、私……」
「お前は正四位上に叙された。これは、滅多な事ではない」
「……そんなの、知らないよぉ……」
つい、情けない声が漏れる。つられたのか、夏木は「姫さまぁ」と言ってとうとう泣き始めた。
貞成は、先ほどから膝の上に握った拳をぶるぶると震わせている。綾音は思わずその手を掴んで揺すぶった。
「なんで? 兄上さま、どうしてこうなっちゃったの? 私、私、お裁縫なんて下手くそだもん、もう意味わかんないよ……っ!」
兄は目を伏せたまま、重い口を開く。
「御匣殿別当(みくしげどのべっとう)は……、実務はほとんど無いんだ、綾音。出仕に問題は、無い」
「……っ」
突然の宣旨だった。中納言義貞の一の姫を御匣殿別当として出仕させよ、と。
御匣殿とは、宮中で帝の側近くに侍り、衣服や裁縫を司る女官の事、別当とはその長を務める高級女官の事である。……しかし実質は、帝や東宮の妃となる事の多い役職でもあった。
「……父上様、なんで……?」
父は時平と共に、結婚の話を進めていたはずだったではないか。どうして、今さら。
「私にも、急な話だったんだ。本当に。宮中で、肝を冷やした。しかしこれは確かに今上直々のお言葉である。……つまりこれは既に、……決定事項なのだよ……」
穏やかな父の表情が、一瞬、苦しそうに歪んだ。
「綾音、良く聞いておくれ。……この度の話は、春宮からのご内意があるのではないかと、推察している」
「え……」
今上村山帝は、御歳五十にもなられ、病がちでもあられる。もう何年も前から譲位を考えていると噂があるのだが、しかしいまだ帝位に留まっているのは、春宮時孝親王に、皇子がいないからであった。春宮時孝親王は御歳二十四歳。女御更衣合わせて三人、他にも手のついた女官が幾人かいるはずだが、もうけた御子は皇女二人のみで、皇子は一人もなかった。今上帝は譲位後に、春宮位を巡って朝廷が乱れるのを懸念しているのだ。
そんな折の入内話となれば、村山帝本人の新たな妃とは考えにくい。年齢的にも春宮時孝親王の元、というのが自然だろう。
「今上は、春宮の皇子を望んでおられると推察する……」
「そんなの、なんで、……私なんか……。だってそれじゃあ……」
綾音は、詰まりそうになる声を落ち着け、言った。分かっていて、聞いた。
「……時平さまの事は……?」
父は歪ませた顔を伏せて、ゆっくりと首を振った。
「出仕の日取りは、七日後に決まったよ。……すまない、綾音」
綾音は涙をこぼした。
泣くことしか出来なかった。
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