十三.



 御匣殿に出仕が決まった日から五日が経過した。出仕の日は二日後に迫っている。あれほどマメに届いていた時平からの文は、ぱったりと途絶えていた。ちょうど出仕が決定したその日から、ぱったりと。つまりは時平も、納得の上の話だという事なのだろう。

「……恋なんて」

 嘘っぱちだ、と綾音は低く呟いた。どうしようも無い事は分かっている。今上帝に逆らえば、たとえ親王といえども罪人になってしまうかもしれない事も。これは仕方の無い事なのだ。

 しかし咲いたと思った恋の花は、あまりにもあっけなく散り過ぎた。……あまりにも。綾音には、まだ切り替えが出来なかった。

「……うぅ……っ」

 目の前に散らばった文に、点々と涙の跡がつく。御簾の内を、敷き詰めるほどにたくさん広げられた、色とりどりの美しい文達。

(桜の散った庭みたい)

 あっと言う間に咲いて散り、庭を埋め尽くす桜の花びらのよう、と綾音は文を眺めた。

 かた、と蔀度(しとみど:格子の戸板)が鳴る音がした。

 はっとして綾音は顔をあげる。時刻は子の刻(午前零時)。人の気配のする時刻ではないはず。夏木が退出するときに、消さずにおいてくれたおかげで、まだ部屋に灯りはあるが、本来は真の闇に包まれている時刻である。掛金は、かけてあるはずだけれど……。夜盗、物の怪。不吉な言葉が脳裏に浮かんだ。

 かた、とまた音。綾音は息を飲む。冷や汗が流れるのを感じた。

「……綾音……」

 ごく低く、声が響いた。虫の声に紛れてしまうほど、ささやかに。声に、心当たりがあった。

(……まさか……)

 綾音は息を詰める。次の気配を待ったが、しかしそれきり何も聞こえない。もしや気のせいだったかと思いはじめた頃、息づかいが聞こえた。はぁ、と漏れる、ため息の音が。

 綾音はたまらずに蔀度まで駆け寄った。ごく、と喉を鳴らし、覚悟を決めて掛金を外す。ゆっくりと戸板が引かれた。流れ込んだのは、春の薫り。

(……ああ)

 その人はそっと部屋の内に入り込んで、後ろ手に戸板を閉めた。掛金を降ろすと、やっと、口を開く。

「……綾音……」

 低い声。真剣な、どこか切羽詰ったような瞳で、綾音を見つめている。綾音は信じられない思いで、その人を見つめ返した。どうして、と問うのも忘れていた。

「……時平さま……」

 ただ酷く、懐かしかった。





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