八.



「あら、式部卿の宮さま、お久しぶりですわね。こちらを尋ねるなんて、お珍しい」

 時平は来たくもなかった桐壺を訪れていた。兄の命令では仕方がない。気に入りだ、と兄春宮は言っていたが、時平にはとてもそうは思えなかった。桐壺女御は御簾のうちに篭っているが、先ほどから値踏みするような視線が送られているのを感じる。大体、いつもそうなのだ。だから訪れるのも気がひける。

「ご結婚されるそうですわね。後宮にも噂は届いてますわよ。なんでも、……中納言の姫とか」

 中納言、と言った時、馬鹿にしている風なのがありありと伝わった。中納言風情、と言いたかったのだろう。

「はい。中納言の姫と、結婚することになりました」

「失礼ながら、式部卿の宮は見る目が全くございませんのね。私の妹の三の姫は、それは素晴らしい琴を弾きますのよ。中納言の姫など、取り立ててなーんの取り得も無いと、聞き及んでおりますわ」

 本っ当に失礼だ。口調だけは丁寧で落ち着いた風なのが、余計に気に障る。

「……はぁ、まぁ……、でも、可愛い姫なんですよ」

「まあ」

 今のひと言は桐壺を刺激したらしい。しまった、と思ったが言ってしまったものはとりかえしがつかない。

「私の妹は可愛くないと、そう式部卿の宮はおっしゃいますのね」

 なんでそう曲解するんだろう。

「そんな事は……」

「いいえ。これは右大臣家を馬鹿にする発言ともとれます」

「いや、その、俺にはもったいなくて……」

「一品の親王ともあろうお方が、もったいないと。まぁ、そんな言い訳が通じるとお思いですの?」

 取り付く島も無い。何とか話題を変えようと、時平は必死で知恵を絞った。

「そ、そういえば兄上とは仲良くされてますか。先ほど、桐壺様がつれないと、嘆いてらっしゃいましたよ」

 嘘八百である。しかし桐壺の女御はつん、とすまして、側に控えた女房に何事か耳打ちした。耳打ちされた女房がいざり出て平伏する。

「まったく勿体無いお心遣いではございますが、ご心配には及びません。それよりも、式部卿の宮様のお身の上、また、儚い妹姫の行く末を思い、酷く心を痛めております」

 女房がつらつらと述べる。直接話すのはやめたらしい。……何を今さら。

「あなたの妹姫はともかく、今日はめでたい報告をしに来たつもりです。何を心を痛める必要がありますか」

 するとまた女御は女房に向かって耳打ちした。……こうやって、声を聞かせず女房を通すのは、本来あるべき姿とはいえ、取ってつけたようにやられると非常にむかっ腹が立つ。

「あなた様の御身を、ただ一途に想い続けている妹姫の胸中を思うと、悲しさで胸がつぶれる思いがいたします。類ない高貴な御身を、どうぞ大切になさって、万が一にも汚されるような事がございませんよう……」

「黙れ!」

 とうとう時平は叫んだ。

 怒鳴られた女房は怯え、真っ青な顔で震えている。

「あ、いや、……すまない、女房殿」

 慌てて女房に謝ると、御簾のうちで、くす、と笑う気配があった。

「……っ」

 全く、嫌な女だ。

 とても機嫌をとるどころの話ではない。時平はなんとか気を落ち着けようと、息を吐いた。

「申し訳ないが、今日は退出させて頂きます。兄上に、よろしく」

 それだけ言って立ち上がり、早々に桐壺を退出した。

 背後で桐壺が笑っているような気がした。





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