十五.
「あの……中将さま?」
切ない気持ちで姫の姿を見つめていると、姫は不審げに首をかしげた。
「……あの……、もう、ずいぶん、遅い時間ですけど……」
暗に早く帰ってくれとほのめかされて、幸宗の気分は更に落ち込む。……見込みは、無いのだろうか。
(……いや)
今日、この姫のために全ての女と別れてきたばかりではないか、ここで挫けるような恋ではない、と幸宗は気を取り直して姫に微笑みかけた。
「……あの細い三日月を眺めていると……切ない気持ちになりますね……」
簀子縁(縁側)を背にした姫の横へ、ほんの少しだけ視線をずらすと、白い線のような月が浮かんでいる。
「え? は、はぁ……」
姫は床に手を突いて腰を捻り、外の方へ顔を向けた。
「しかし私は……」
幸宗は、そっと姫の手に自らの手を重ねた。
「あなたを見ているともっと切なくなるのです……」
ぎょっとした様子で振り返り、さっと手を引こうとする。逃すまいと幸宗はその手を握り締めた。
「な、なん……っ」
心持ち顔を近づけて、じっと姫の目を見つめる。
(……これで、どうだ……!)
これで落ちない姫などいない、幸宗には自信があった。
姫の顔はみるみる真っ赤に染まっていく。
「……」
脈ありか、と握った手をさらに引き寄せようとした時、女人にしては凄い力で振り払われた。そのままばっと起き上がりこぼしのような勢いで立ち上がり、ざざざっと簀子縁のほうまで退がっていった。
「わわ、私っ!! 私はあんな三日月なんかより、まん丸の、満月の方が好きですっ!!!」
月を指差して、素っ頓狂な声で叫んでいる。
「え……」
ぽかん、と幸宗はあっけに取られた。
「明るくって、それに、あそこには兎がっ、兎が住んでるって言うし、あとほら、十五夜にはお菓子だって食べるんだわ!」
「……」
あっけに取られて眺めていると、姫はそのうちなぜか急に頭を抱えた。ぼそぼそと一人、うめいている。
「……な、何言ってんだ、私……」
聞きとがめて幸宗は、思わず噴出してしまった。
「くっ……は、はっはっは」
せっかく作ったムードは見事にぶち壊されてしまったが、そんなショックも吹き飛ぶくらいに、楽しい。こんな姫は、見た事がない。
「……ひ、姫。くくくっ……兎、ですか」
「……っ」
声をかけると、姫はさらに顔を赤くして、支柱の影に隠れてしまった。
「そ、そ、そうですっ、……何か文句ありますか!」
今度は拗ね始めたようだ。幸宗は姫の様子が可愛くて愛しくて……たまらなくなった。立ち上がって姫の元へ近づき、柱の裏からさっと捕まえ後ろから抱きしめる。
「ぎ、ぎゃあぁっ!!!」
色気のない叫び声まで可愛らしく思えて、そんな自分自身もおかしいと、幸宗は笑いが止まらなくなった。
「ははは……っ」
「何笑ってんですか!! 放してっ!!!」
「嫌です」
笑いながらもそこはしっかりと答える。
「何澄まして答えてんのよっ、放して……っ」
「い・や・です」
「……っ」
しばらくじたばたともがいていたが、そのうち諦めたのか身体を強張らせたまま姫は動かなくなった。
「……おや、大人しくなりましたね」
「中将さま……っ、私、あなたの恋のお遊びの相手なんて、務まりません。務めたくもありません! だからもう、こんな風にからかうの、止めてくれませんか」
「……きつい、ですね。務めたくもありません、……か。そんな台詞、初めて言われました」
「だからもう」
「でも止めません。私は本気ですから」
「な、何が本気よっ、あちこちで浮名を流しておいて、頭の中将の噂を知らない人なんて、都中に居ないんだから……っ」
ぎく、と胸が痛んで一瞬ひるんだが、しかし幸宗は姫を抱きしめる手を緩めなかった。
「……それを言われると、辛いのですが……。姫。……私はもう、あなた以外、見えないのです」
「は?」
「全ての女と別れてきました」
「……は、はぁ?」
「姫、私はもう、あなた一人だけに片恋をしている、冴えない男なんですよ」
「……じ、冗談……」
幸宗は姫を抱きしめる腕を緩め、肩を掴んで身体をこちらへ向けさせると、顔をつき合わせて宣言した。
「本当です」
じっと真面目な顔で見つめる。
「……」
ぽかんとした姫の顔が引きつって、見る見るうちに青ざめていくのを見て、幸宗は涙が出そうになった。
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