十八.



「あいたっ」

 幸宗が声を上げると、手当てをしていた八重という女房は蒼白な顔で頭を下げた。

「も、申し訳ありません……っ」

 幸宗は苦笑いして首を振った。

「いや、もういいよ、女房殿。すまなかったな」

 言うと、八重はほっとした顔をしてもう一度平伏し、退出しようとした。

「では私めはこれで……」

「ま、待ってよ八重!!」

 姫がすごい剣幕で叫んだ。

「なんでいつもさっさと退がっちゃうのよ!」

「あら、だって……」

 お邪魔でしょ? とでも言いたげに首をかしげて、茶目っ気たっぷりの視線を姫におくっている。くくっと幸宗は声を殺して笑った。この女房は良く分かっている。

「良いではないですか、姫。私と二人になるのはそんなに嫌ですか?」

「い、嫌って……そんな……こ、ことは……」

 言いづらそうに口篭って視線をそらしてしまう。まったく頑なな姫だ。

「大体、あんな端近で昼寝をしているとは、私のような間男にいつ襲われたって文句も言えないんですよ。もう少しお気をつけなさい」

「!!」

 姫君は顔を真っ赤にしてきっとこちらを睨んできた。しかし何も言い返せないのか、「うぅ……っ」と小さくうめいただけである。

 幸宗はおかしくなって笑ってしまった。

「……まぁまぁ、姫様ったら。またそんな事をしてたんですか」

 八重は呆れた、というように姫を軽く睨み、

「全く、いくら言っても言うことを聞いて下さらないんだから……。それじゃあ私も庇い立てできませんわね」

 ふふ、と笑いながら部屋を去ろうとする。

「あ、ちょっと……!」

 姫の方は慌てて呼び止めようとしているが、八重は取り合わずにさっさと行ってしまった。

「もう〜っ!!」

 姫は何とも可愛らしい表情で拗ねていた。

「姫、前触れも無く訪れてしまった事は、謝ります。……しかし貴女は、いくら私が文をおくろうと、色よいお返事などくれそうにない。もう、こうして会いに来るしか方法が浮かばなかったんですよ」

「……だ、だって、もう、諦めたんだと、思ってたのに……っ」

「はい?」

「そりゃあ、こないだまではいっぱい御文をくれてましたけど、ここ最近無かったから……なのに」

 だから先日は安心して、呼び出しの文をくれたわけか。あれは今まで付き合っていた女達にあいさつ回りをしていた期間だ。

「あれはね……少し忙しかったのです。私の想いは昨日もお伝えしたでしょう? ……それとも伝わっていませんか?」

「……っ」

 姫の顔色がかーっと真っ赤に染まってゆく。

「もう一度、言わなければなりませんか? 姫」

「や、も、止めてくださいっ」

 余りの慌てぶりが楽しくて、幸宗は笑いながら続ける。

「何度でも言いましょう。姫、私はあなたを……」

「あーもーっ!! 止めて下さいってば!!!」

 ぜぇぜぇ息を切らしながら言って、疲れたように床に手をついた。そんな姫の姿を楽しく見つめながら…………しかし幸宗は少し切なくなった。

「ねぇ、姫、私に望みは無いんでしょうか……。貴女のためなら、この身を捨ててもと、思っているのですよ」

 真面目な声音で言うと、姫ははじかれたように顔をあげた。

「身を捨ててって……ど、どういう……?」

「出来ることなら貴女を北の方としたい。あなた以外の姫は望みません。……分かりますか? 姫。私の身であなた以外の姫を望まないという、意味を」

「……っ」

 姫はまじまじと幸宗を見つめ、それからだんだんと青い顔をしてゆっくりうつむいた。

「……わ、私は……っ、中将さまの北の方なんかになれません……!」

「姫……」

 視線をそらしたままで言い切る姫を切ない気持ちで眺めつつ、それでも堪えきれない想いは益々勢いに乗って増していく。幸宗は姫の頬に手を沿え、こちらを向けさせた。

「……な、何……」

 振り払われるかと予想していたのだが、姫は怯えたように呟いただけで、手をどけようとはしなかった。幸宗はじっと姫の目を見つめた。

「……姫。ひとつだけ、教えてください。……私の事が嫌いですか? ……それとも、好きですか……?」



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