二十.



 五条の小さな邸に住む姫・楓は、本当に毎日届く頭の中将からの文に呆れていた。もうあれから一月半も経つというのに、一日も欠かさず届けられるのだ。しかし呆れつつも、その文は楓にとって退屈な毎日の密かな楽しみとなってしまい、文を読むに付け、ぼうっとしたり微笑んだり、ため息をついたりして、何度も読み返すことが多くなっていた。

「はい、姫さま。今日の御文ですよ」

「あっ、ありがと」

 決まって夕刻に届く御文を、楓はうきうきと受け取る。文を渡した八重はにやりと笑っていた。

「もう姫さまったら本当に素直じゃありませんわね」

「……う……」

「そぉーんなに嬉しそうなのに、未だにお返事を返さないなんて」

 また、これだ。しょっちゅうこうやって、からかわれている。

「うぅ……だって……」

 返事は返さないと心に決めていた。万が一あの頭の中将と恋仲になどなってしまったら、不幸になるのは目に見えているのだ。身分が、違いすぎる。

 もし結婚したとしてあちこちの女性に浮気をされるのも嫌だが、自分のような者一人と決めてしまったせいで、あの将来を約束されたはずの中将が出世できなくなるなど耐えられない。あの人は、どこかの宮筋の姫とでも結婚すれば、末は大臣にでもなるはずの人なのだから。

「……み、身分違い、なのよ」

 そう言うと、八重は意外そうに目を見開いた。

「……あら姫さま。そりゃあ、姫さまが北の方になるのは少し……無理があるかもしれませんけど、でも、あの方でしたら、たとえ愛人だろうと構わないじゃないですか。こんなにマメに御文をくれるんですもの、きっと、末永く慈しんでくれるに違いありませんわ」

 その目は夢見るようにぼうっとして、うるうると潤んでいる。……きっと、都中の女が皆こんな風に思っているんだ。あの頭の中将となら、たとえ愛人でも……って。

「……わ、私、そういうの、嫌だ!」

 楓は腹立たしくなって顔を背けた。

「私、私は絶対そんな事しない! そんな事するくらいなら、一生一人身のほうがましよ!」

(愛人になんてなったら、北の方を苦しめて、自分も傷ついて……!)

 そんな、母のような想いを、楓は絶対にしたくなかった。

「わ、私は、自分ひとりで生きるの! あんな中将さまなんて……っ」

 ずきん、と胸が痛んだ。

「中将さまなんて……」

 その姿が脳裏に浮かんだ瞬間、怒っていた気持ちが萎えた。叫ぼうとした声が弱々しくしぼんで、うつむいてしまう。何故だか急に胸のあたりまで苦しくなって、息が詰まりそうだった。

「……? 姫さま……?」

 八重は不振そうに顔を覗き込んできて、それからハッと慌てた。

「さ、差し出がましいことを申してしまいましたわ。……私ったら、申し訳ございません、姫さま」

 心配そうな優しい目を向けてくれる。十も年上のこの女房は、楓にとって姉のような母のような存在だった。

「なんだか、私おかしい……。胸の辺りが痛いの……。病気かも」

 本当に病気かもしれない、と楓は心配になった。

 八重は気遣ってくれるのか、文を持つ手をぽんぽんと撫でてくれた。

「……御文、私が読んで差し上げましょうか?」

「……え……」

 気恥ずかしい恋文だったらどうしよう、とためらわれたが、最近の中将からの文には、それほど色事ばかりは書いていない。宮廷の話や、友人の話など、他愛も無い話題が多くなっていた。

「うん……」

 楓は文を八重に預けて、脇息にもたれる事にした。



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