二十五.
琴の弦が、一本、切れた。響いていた音の余韻が止むと、大臣は恐ろしい顔で立ち上がった。そのまま楓の几帳の前までやってくる。
(嫌……!)
楓は心底恐ろしく、身をよじって顔を背け、少しでも遠ざかろうとした。大臣の手によって几帳が避けられ、直接の視線にさらされる。
「顔を上げろ」
どこまでも低い、冷たい声だった。
「聞こえんか、……上げろ」
楓は恐る恐る顔を上げた。大臣は少し目を細めて唇の端をあげ、笑ったようだった。
「ふ……。器量は良い。十分だ」
大臣は膝を付いて、楓と目の高さを合わせた。
「いいか……。今回はせっかく親子の初対面であるから、見逃そう。しかし次に私に逆らってみろ……、許さんぞ……!」
「……っ」
大臣は直ぐに立ち上がって楓に背を向けた。
「今日よりお前は私の娘。北の方の養子とする。お前の身はこれからすぐに二条の邸へ移す」
「え……っ、ま、待って……!」
必死で声を絞った。
「すぐになんて、無理ですっ」
「今言ったはずだぞ、私に逆らう事は許さん」
「……っ、だって、ここの使用人たちは……っ?」
この屋敷の名義は備前の守のものであるが、実際の主人は楓なのだ。
「備前の守へは京へ戻るよう伝えてある。そのような事をお前が心配する事はない」
「……じゃあ、私の身の回りの世話をしてくれる人は……っ」
「二条の邸には使用人は山ほど居る。お前付きの者も既に何人か手配してある」
楓は酷い不安に襲われた。
「だって、だって、……じゃあ、こちらで仲良くしてた人は……っ!?」
八重は。いつも一緒に居てくれる八重は。
「直ぐに別れを済ませるんだな」
「待って、待って! お願いです、八重は、八重だけは連れて行っても良いでしょう……っ!?」
楓は立ち上がり、大臣の背中に向かって叫んだ。
「お前……」
大臣は楓を振り返った。
「その言葉使いはなんだ。……このような場所で育ったが故だと言う事は分かっている。……いいか、これからお前については全て躾けなおす。この邸との縁は今日を限りに全て絶つんだ。……例外は、許さん」
「……っ!」
楓は絶句した。あまりの事に、言葉も出なかった。大臣は冷たい目で楓を見ると、先に戻ると言い残し、邸を出て行った。
楓はへなへなと崩れ落ちた。緊張が途切れ、ぼろぼろと大粒の涙が溢れ出す。
「……ひ、ひどい……」
八重が駆け寄って来て、楓を抱きしめた。
「姫さま……っ」
八重も同様に、涙をこぼしている。
「嫌……、嫌……! 八重、私……っ」
泣きながら叫ぶと、八重は抱きしめた背を何度も撫でてくれた。
しかし大臣の残した随身の声が、無情にも二人を引き離した。
「大臣のご命令です。姫、ご支度を」
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