二十八.



「助けて……」

 ぽろぽろと頬を濡らす雫が、姫君のあどけない顔が美しく可愛らしく、不謹慎にも幸宗は一瞬見とれた。

「姫……可哀想に。内大臣に無茶を言われたんですね」

 姫はこくりとうなずいた。

「……あ、あんな奴が私の父親だったなんて……っ!!」

 悔しそうに眉をひそめ、幸宗を見上げる。

「中将さま、私、このまま二条に連れて行かれるのっ。八重も連れて行っちゃ駄目だって言われて、私のこと躾けなおすって……っ」

 姫は興奮しているのか叫ぶように言って狭い物見窓に手を掛けた。

「……姫。あなたは私のもの。誰にも渡しませんよ、……例え相手が内大臣であっても……!」

 じっと姫君を見つめて手を重ねると、姫は驚いたように目を見開く。

 幸宗は姫をさらう覚悟を決めた。

(構ってられるか……!)

 ここで連れて行かれてしまっては二度と手が出せなくなる。後で内大臣にどんな嫌味を言われようと目の敵にされようと、先に奪ってしまった方が勝ちなのだ。

 幸宗は据わった目で車の前へ回り、前簾(まえすだれ)を上げようと手を掛けた。

「……おやめくださいましっ」

「きゃぁっ」

 中に居る女房から悲鳴が漏れた。

「中将殿、お止めくだされ!」

 随身たちも騒いだが、頭の中将の身分には手も出せず、ただおろおろと取り囲んで様子を伺っている。

 一気に前簾を上げてしまおうとしたその時。馬の蹄が高い音を立てて駆け寄ってきた。

「頭の中将、待て!!」

 振り返ると見知った公達が狩衣(かりぎぬ:直衣より動きやすい服)姿で馬に跨っている。

「ち……! 左衛門督(さえもんのかみ)か……っ!」

 左衛門督は幸宗とは友人であり、身分も同程度の好敵手でもある間柄。そして彼は内大臣家の子息でもあった。

 左衛門督は見る見るうちにやってきて馬を飛び降り幸宗に詰め寄った。

「お前、何をしている!!」

「……あなたの方こそ、何の用です」

 幸宗は努めて平静に返した。

「……っ、俺は父上のご命令で我が妹の護衛を務めに参ったところだ。妹はこれから二条の邸へ連れ帰るところだぞ、なんでお前がここにいるんだっ」

「……」

 さすがの幸宗も、この場を乗り切って姫君を連れ去れる上手い言い訳などは浮かばなかった。ただ目を据わらせて左衛門督を睨む。左衛門督は負けずに睨み返してきた。

「まさか俺の大事な妹に……手を出そうってんじゃないだろうな」

「……君に妹姫がいるなどとは聞いた事がない」

「長く生き別れていた妹だ! 今日邸へ戻れば初の顔合わせとなる」

「それで良く大事な妹などと言えますね、左衛門督。……春宮へ差し上げる、大事な妹という事か?」

「……貴様!」

 図星だったのだろう、左衛門督はこめかみを引きつらせ絶句した。

「……」

「お、お前には関係ない事だろう! とにかく妹に近づくのは許さん!」

 左衛門督は役目柄、腕が立つ。なるべくなら刃傷沙汰は避けたいところだが。

「仕方ない……か!」

 幸宗は左衛門督の懐に素早く間合いを詰めると、ふいを突いてその腰に帯びていた刀を奪い取った。

「!!」

 そのまま掴んだ刀の柄で左衛門督の顎を突き上げる。

 ガ……ッ、と鈍い音がして、左衛門督は倒れた。一瞬の出来事。

「きゃあああ……っ!!」

 女房達の甲高い悲鳴が上がり、取り囲んでいた随身たちが気色ばんだ。

「若君!!」

「中将殿! これはいかに貴方でも許される事ではない! どうしてもとあらば力ずくでも止めますぞ!」

 幸宗はためらわずに奪った刀を鞘から抜き放った。

「残念ながら、私は本気だ!」

 言いながら前簾を巻くりあげ、姫君の姿を見つけると直ぐに腕をひっぱり車から引きずり出した。

「……わ、わわっ……!!」

 よろめく姫の腰の辺りをしっかりと抱えて抱きとめ、片手には抜いた刀を構える。

 随身との間合いを測りながら幸宗はじりじりと馬へ近づいた。



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