四.



 ガッツンガッツンと叩き付ける様な音と不協和音。初めに聞いた、あのめちゃくちゃな琴の音である。

 伴奏しようとしていた笛を取り落としたまま、幸宗はため息をついた。

「あの、……姫、真面目に弾いて頂けませんか……」

「や、やだ、私、真面目ですわっ」

「いやでも……先ほどは見事な調べを……」

「あ、あ、あれは女房が弾いていたんです、やっぱりご不快ですよねっ。止めます!」

 ぴたりと演奏が止まった。

「またそんな、嘘を。いつ入れ替わる隙があったというんです」

「でも私、琴なんて弾けませんもの」

「姫……」

「……」

 つんと澄まして、何を言っても姫はもう取り合ってくれなかった。

(なんなんだ、この姫は……)

 思いつつ、幸宗は膝を進めた。几帳の影で、びく、とする気配がある。

「では、こちらへ来て、ご一緒に月を眺めては頂けませんか」

「……こ、ここからでも見えます!」

 角度的に絶対に見えないはず。幸宗は立ち上がって几帳に手を掛けた。

「そんな嘘を……」

「!」

 姫はばっと後ろを向いて、必死に袖で顔を隠している。

「や、止めてくださいっ」

「……そんなに警戒しなくても……、何も、しませんよ……」

 ここまで嫌われるのは、幸宗ははじめての経験で、少なからず、傷ついた。

「分かりました。今夜は大人しく寝ます……。奥の間に、女房殿が寝具を用意して下さってましたから……」

「まぁ、ほんとですか、私ももう、休みます。ごゆっくり、お休みなさいませ」

 姫の声はとたんに弾み、顔を隠したままではあるが嬉しそうなのがありありと分かった。

(うう……ちくしょう……)

 床についた幸宗は、悔しさでしばらくの間悶々としていたが、そのうち諦めて不貞寝した。



 朝。まだずいぶん早い時刻だが、さっさと帰ろうと幸宗が支度していると、おそらく女房だろう、格子をあげる音が聞こえた。姫君の部屋の方だ。なんとなくそちらを覗いて見ると、軽装の女が両腕を上げて伸びをしていた。

「うー、いい天気。良かったぁ、昨日は何もされなくて……」

 ぎくり。

 幸宗は心臓が高鳴る音を聞いた。

 小さくて丸い顔に、黒目がちの大きな目がくりくりして、栗鼠のようだ。長い黒髪は低い背をすっぽりと覆い、とても柔らかそうにさらさら揺れている。とても美しい……というより、可愛らしい姫で……ようするに幸宗の好みだったのだ。幸宗は昨晩すんなり諦めたのを酷く後悔した。

「姫」

 そっと姿を現して声をかけると、姫君は驚いて飛び退った。

「ぎゃぁっ!!」

(ぎ、ぎゃぁ……?)

 幸宗はすこし引きつりつつも、笑顔を作った。

「昨晩は、よく眠れたようですね」

「あは、あははは、そ、そうですね。中将さまも」

「……」

 もう姫君は奥の間に引っ込んで姿を隠している。幸宗はため息をつきつつ、思いついた歌をそっと詠った。

「月影に 我が身を変ふる ものならば つれなき人も あはれとや見む

(我が身を月に変えることが出来るなら、つれない人も私を見てくれるでしょうか)」

「……え……」

 姫君の方からは何も返事は無い。幸宗はふっと笑顔を向けて、片目を閉じた。

「また来ます」



<もどる|もくじ|すすむ>