四十二.



 ……甘い……。

 ただ重ね合わせるだけの浅い口づけだと言うのに、頭の芯が痺れる程甘かった。姫を抱きしめる腕に我知らず力が篭って、ついに姫は苦しげな呻きを漏らす。

「……んんっ」

 慌てて腕の力を抜き、ゆっくりと、唇を離した。

(……なじられるだろうか)

 それでも構わないと、幸宗は思った。たとえ今は拒まれたとしても、もう絶対に離したくない。……離さない。

 姫は幸宗の、直衣の胸の辺りに縋りつくようにして吐息を漏らした。

「……ち、中将さま……」

 自分を呼ぶ声は細く震えていて、怒っているようには聞こえない。顔を上げて幸宗を見つめた姫の瞳は、酷く悲しげに揺れていた。何か言うのをためらっているのか、赤い唇を僅かに震わせている。

「……なぜ、そのように悲しげな顔をするのです、姫」

 直衣の胸を掴んだ姫の両手を、包み込むように幸宗は優しく握り締めた。

「あなたを不幸にしたくない。……しかし私は身勝手で、私自身も不幸になりたくないのです。あなたが居なければ私は不幸になる。……お願いです。私と一緒に、来てください」

「中将さま、……私……」

 姫はそこから先を口にしようとすると、まるで物がつかえるように、何度も唇を薄く開いては閉じた。

「……姫。名を」

 これは賭けだった。

「貴女の名を、教えてください……」

 好きだとも、付いて行くとも、姫は言ってはくれない。全てが自分の独りよがりかもしれないという不安が消せない幸宗の、最後の、賭け。

「……」

 姫の唇はまた僅かに震えただけで、言葉を発さなかった。絶望と理不尽な怒りがない交ぜになってこみ上げ、激情に飲まれてしまいそうになった、その時。

「……楓」

 握られた両手に額を擦り付けるようにして俯き、小さな肩を震わせながら。

「楓です……中将さま」

 しかしその声ははっきりと幸宗の耳に届いた。

「……楓……!」

「あ……っ」

 幸宗はほとんど無我夢中で姫を抱き寄せていた。

「……楓」

 ぎゅっと力強く抱きしめる。この腕の中の姫は……自分のものだ。

「もう離しません……! 絶対に」

「で、でも中将さま、私」

 まだ何か否定の言葉を続けそうな楓の唇を、もう一度唇で塞いだ。

「……!」

 軽く重ね合わせてすぐに離し、幸宗はもう一度、愛しさを込めてその名を呼ぶ。

「楓」

 楓は軽い口付けにも耐えられないのか顔を真っ赤にして呆然としている。

「行きますよ、……あまり長居は出来ないのでね」

 手を引くと、楓はほとんどよろめくようにして幸宗の後に続いて歩き出した。



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