四十七.
「……!」
楓が跳ねるようにして身体を起こし、内大臣を見上げる気配があった。幸宗も顔を上げ、内大臣の表情を伺う。
「……どういう意味でしょう?」
幸宗の策はもう尽きた。楓を得られないのなら死んだも同じ事、どんな難題を吹っかけられようと構わない。命を掛けろというなら、掛けてやる。……それで楓が得られるのなら。
強い眼差しを送ると、内大臣はふっと笑って左衛門督の方に身体を向けた。
「秀頼、名誉を挽回する機会をやろう。ここで、頭の中将と決闘するというのはどうだ」
「……父上!? 何を……!」
「まぁ、何で勝負しようとお前が負けることはあるまいよ」
内大臣は笑みを浮かべたまま幸宗を振り返った。
「……いかがなされる、頭の中将殿。……勝てば楓をくれてやっても良いが。負けたときには今後一切、楓には近づかないと約束して頂きたい。春宮にも、もうその気は無くなったと公言して頂けるか」
「……良いでしょう」
左衛門督は武芸全般に秀で、特に弓の腕は都中で並ぶものが無い。対して、幸宗も武芸の心得は一通りあり、喧嘩っ早いせいもあって多少腕に覚えはある。だが、まともにぶつかってはおそらく左衛門督には敵わないだろうというのが正直なところだ。
しかし今、左衛門督は先ほど幸宗が盛った眠り薬のせいで酷く具合が悪いと見え、立っているのも辛そうな様子である。しかも内大臣に掛けられたという水のせいで小刻みに震えていて、秋の夜、風も強い今夜はそうとう寒いに違いなく、芯から冷え切っているようだった。
幸宗自身も左腕に受けた矢傷がまだ熱を放って痛みを訴えてはいるが、なんとか動かせないほどではない。……機は、ある。
「……しかし……私に都合が良すぎる気がするのですが」
「……勝てるつもりでいるのかな?」
「貴方に得が無いと言っているのです、内大臣殿」
左衛門督と自分が勝負したところで、内大臣にとってはまるで関係の無いこと。それで姫の春宮妃入内を取り下げる事態になるかもしれない勝負をさせるなど、野心に満ちた内大臣には考えられないことだった。
「ふ……やはり貴方は将来有望だ。物事をきちんと見ている。……もし我が内大臣家に婿を迎えるなら貴方のような人をと思っている」
この時代は通い婚が主流であり、婿が妻の家へ通うのが普通である。婿は妻の実家を後ろ盾とし、婚家の発展と己の出世を図るのである。姫を持つ家としても、より出世しそうな優れた公達を婿に迎えたいのは当然であった。
「……しかし」
それでも幸宗はまだ何か腑に落ちなかった。
「やはり自信が無いというのであればこのままお引取り頂いても構わない。今夜の事は不問に致すが」
「いえ。やりましょう」
幸宗は立ち上がると傷ついた左腕を動かして具合を確かめた。痛みはまだ鋭いが、……なんとか、動く。
「弓では話にならんだろうからな、太刀で良いかな?」
内大臣は控えている侍たちの一人から太刀を受け取り、幸宗に放った。
「父上、俺は……!」
左衛門督が異を唱えようとするのを遮るように、内大臣は左衛門督にも太刀を投げた。
「お前の取り柄は武芸だろう。……私をがっかりさせるなよ」
飛んできたそれを受け取って、左衛門督は口ごもる。
「……っ」
観念したのか、左衛門督は濡れた直衣の袖を脱いで太刀を構えた。
「すまんな、中将……」
幸宗はふっと笑って同じように直衣を脱いだ。
「君って人は、本当にどこまでもお人好しですね。……私は君に一服盛ったというのに」
くく、と笑いながら太刀を構える。
「……っ、お前な……! こんな時にまで俺をからかうか。……後悔するぞ」
「……後悔しないように全力で挑みましょう」
青い月明かりの中、二人の間の空気がピン、と張り詰める。
その時。
「や、止めてっ! 止めてくださいっ!!」
楓が叫び、幸宗の腕に取り縋った。
「姫!?」
「楓……っ!」
左衛門督が太刀を降ろし、内大臣も忌々しげに舌打ちした。
「何をしている、楓」
「姫、危ないから、離れて……」
楓は激しく首を振った。
「駄目! だって、中将さま、お怪我をしてるのに……!」
「楓」
内大臣が低い声を発した。
「さがれ」
しかし楓は動かない。
「兄上も、止めてよ……! 二人とも、怪我しちゃう……、し、死んじゃったらどうするの!?」
「姫」
幸宗はそっと腕に絡んだ楓の手を外して、頭を抱き寄せるようにして髪を撫でた。
「命を掛けると言ったのは、嘘ではありません。……貴女を得るにはこうするしか無いんです」
しかし抱き寄せた腕は思いがけない力強さで振り払われた。
「か、勝手なこと言わないでっ!! だから私には黙って見てろっていうんですか! そんなの嫌……! もう、もう……! 中将さまはずっと自分勝手な事ばっかり……!!」
涙がいっぱいに溜まった目を怒らせて、幸宗を睨んでいる。
「みんな、勝手なんだから……! 父上も、兄上も、中将さまも……っ! 私……っ」
何を思ったのか、楓は自らの長い髪をまとめて引っ掴み、幸宗の握っている太刀に手を伸ばした。
「姫!?」
「私が、本当はこんな身分でもないのに、こんなとこに居るからいけないのよ……っ」
一瞬、楓が何をしようとしているのか分からず、されるままになった。長い髪の房がぶちぶちと切れる。一房、二房、切り離されてはらりと落ちるのを見て、ざっと血の気が引いた。
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