四十八.



「止めなさい!!」

 叫んで、幸宗は思い切り太刀を引いた。楓の身体が引きずられるようによろめき、その手から太刀が離れる。

 全身に冷や水を浴びせられたような寒気を感じていた。

「な、何を考えてるんだ……!」

「私が居なくなれば、こんな勝負しないで良いでしょう!? 私、私本当は女房になりたかったけど、もう良い。尼になる……! 尼になったって、働けるんだから……!」

「なぜ、急にそんな事を言うんです! 私を置いて俗世を離れるというんですか」

「中将さまだって命を掛けるって言ったじゃない! おんなじよ! ……命なんか掛けて欲しく無いのに……っ!!」

 なおも楓は太刀を奪おうとして手を伸ばしてくる。

「……っ、止め……っ、楓っ!!」

 滅茶苦茶だ。これでは取り返しのつかない事になる。幸宗は楓と揉み合いながら、なんとか落ち着かせるための言葉を必死に探した。

 気づくと、楓のすぐ後ろに、内大臣が立っていた。

「……!」

 あっという間に内大臣は楓を羽交い締めにした。

「愚か者が……! 余計な水を差すな。お前の身をどうするかは私が決める事。勝手に髪を下ろすなど、許さん」

 確かに姫は父親の所有物ではあるのだが、あまりに酷い言い様である。

「何よ……っ、私の事なんか、ずっと忘れてたくせに」

「……」

 内大臣は楓の口を袖で塞ぐと、そのままずるずる引きずってその場を離れた。

「良いぞ。……始めろ」

「……っ」

 まだ、動悸が治まらない。足元に楓の長い髪の房が落ちているのを見てぞっとした。

 楓は内大臣に取り押さえられており、周りを侍に囲まれているから、もう馬鹿な真似は出来ないだろう。……しかし。ああまでして止めさせようとするこの決闘をして、果たして楓は許してくれるだろうか……。

 葛藤しつつ、なんども太刀を握りなおして、左衛門督を見た。

 左衛門督は既に、太刀を上段に構えていた。

「構えろ、中将」

「……っ」

(やるしかない、か……!)

 幸宗も太刀を構え、間合いを計った。

 左衛門督が先に踏み込んで、真上から打ち下ろしてきた。太刀を横にして受け止めたが、想像以上の衝撃で、左腕に激痛が走る。

「く……っ」

 すぐに次が来ると備えたが、次の一撃は思いがけないところから飛んできた。

「かは……っ」

 みぞおちに、蹴りが食い込んでいた。胃液が喉元までこみ上げて呼吸が苦しい。前屈みになってむせ、まなじりに無意識の涙が浮かぶ。正攻法では、無い。

(卑怯な……)

 左衛門督の武芸はいつも美しく、基本に忠実なはずだった。太刀を使った勝負にこのような攻めを繰り出してくるとは全くの予想外。

 なんとか顔を上げると、歪んだ視界の中で左衛門督が太刀を投げ捨てるのが見えた。

「……!?」

 太刀を持った右腕を掴まれ、ぐっと力で引き寄せられる。抵抗する間も無い。左衛門督に懐に入られたと思ったと同時、勢い良く景色が流れ飛び、背中から地面に叩きつけられていた。

「がは……っ」

 衝撃で身動きできずにいるところ、思いきり右手の甲を踏みつけられた。

「!!」

 がしがしと何度も踏みつけられて、とうとう幸宗は握り締めていた太刀を手放した。左衛門督はにやりと笑って、威勢よく太刀を蹴飛ばす。

「立て、中将」

「……っ」

 全身に広がる痛みを意思の力で封じ込め、なんとか身体を起こす。力の入らない足で、それでも立ち上がった。

「来いよ。……お前など、素手で十分だ」

 左衛門督は余裕の表情を浮かべたつもりなのだろうが、その顔色は悪く、足元も幾らかふらついてるようだった。まだ、薬は効いている。

 幸宗は口の中に溜まった錆びた味を吐き出した。

 ……負けるわけには、いかない。



 何度も殴っては殴り返され、そのうち足をもつれさせて二人して地べたに転がった。そのまま揉み合いになり、とうとう幸宗は左衛門督の上に圧し掛かって押さえつけた。

「はぁ……っ、はぁ……っ」

 汗がぽたぽたと滴り落ちる。

「くそ……」

 左衛門督の身体からふっと力が抜けた。

「限界だ。……終わりにしようぜ」

「なに……?」

「もう、いい。俺の、負け……」

 絶え絶えに言うと、左衛門督はもう意識を手放していた。

「!? おい、左衛門督!」

 慌てて揺すぶったが、左衛門督は返事を返さない。顔を近づけると、規則正しい呼吸が聞こえる。

 ……眠っていた。



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