四十九.



「なぜ……」

 太刀を使えば、勝負は一瞬でついていた。このような乱闘をせずとも、あっさりと左衛門督が勝っていたはずなのだ。

「全く本当に……お人良しだな、君は……」

 小さくつぶやいて、左衛門督の上から身体をどけた。吹っ飛んだ烏帽子を拾い上げて被り直し、内大臣の前に進む。

「私の勝ちです、内大臣殿……」

 内大臣は不機嫌そうに幸宗を睨んだ。

「つまらん。……あんなものは決闘とは言わん。ただの喧嘩だ」

「……おかげで、私は命を落とさずにすみました」

 内大臣の腕の中で、楓が激しくもがいた。抑えていた腕がわずかに離れて、楓が叫ぶ。

「兄上はっ!? どうして動かないのっ!?」

 幸宗は姫を見下ろして微笑した。

「……大丈夫。眠っているだけです」

「そ、そう……」

 心底ほっとしたのか、楓は大人しくなる。内大臣は楓を抑える腕を解いて解放した。

「勝てば、姫を頂けるという約束です」

「……そうであったな」

「認めて、……頂けますか?」

「……まぁ」

 内大臣は憮然とした表情のまま顎をしゃくるようにして頷いた。

「仕方あるまい」

「え……」

 まさか、こうもあっさり認めるとは思っていなかった。あのような決闘では、どうせ難癖つけられるだろうと予想していたのに。

「本当に……」

 驚いて聞き返そうとすると、楓が髪を振り乱して内大臣を振り返った。

「本当ですか、父上さま!? ……伯父様にも……何もしない……!?」

 内大臣は感情の読み辛い静かな顔で淡々と答える。

「ああ、安心しろ。私はそこまで酷い父親では無い」

「……」

 楓はぽかん、と口を開けてまじまじと内大臣を見つめていた。

「で、では……」

 幸宗は楓の手を取って引き寄せた。

「お約束どおり、姫は頂いて行きます……!」

「わわっ」

 思いのほか力が入ってしまい、楓がふらりとよろめく。そのまま抱きとめて、腕の中に捕まえた。

 やっと捕まえた。今度こそ、本当に……。

「それはならん!」

 内大臣が低く叫んだ。

「……!」

 幸宗の腕の中、楓はびくりと肩を竦ませて恐ろしげに内大臣を振り返る。幸宗は楓を抱いた腕に力を込めて、内大臣を睨んだ。

「どういう、意味でしょう……?」

 これ以上、何を言うつもりなのかと、嫌な汗が流れる。

「つい先ほど……私は春宮よりのお召しで宮中へ参ったのだが……」

 内大臣はふっと皮肉な笑みを浮かべ、幸宗を見た。その呼び出しは幸宗が春宮へ頼んだものだ。

「……とにかく私は梨壺へ参った。すると梨壺には主上(おかみ)もいらしてな。……私の姫と、頭の中将殿の婚姻をお勧めになったのだよ」

「……え」

「無論、私はお断りしたかったのだが、悪いことに貴方の父君・関白左大臣殿も居合わせてね。……おそらく全ては春宮の差し金であられたのだろうと推察するが。主上と左大臣殿は良い話だと浮かれて意気投合しておられた」

 まさか春宮がそこまでするとは思っていなかった。半分以上はご自分の為でもあろうが、主上までも動かすとは……。

「……さすがに私も、追い詰められた。なんとかその場は濁して逃げ帰って来たものの、今後も左大臣殿はこの話を詰めようとされるだろう。……今、左大臣殿に睨まれれば朝廷で生きてはいけない。まして、すでに主上がお認めなのだ」

「で、では……!」

 決闘など初めから必要もなかった。はじめから、父左大臣に頼めばそれで事はすんだということではないか。

 楓に出会ったとき、まだ楓は備前の守の姪であり、父が許すはずはない、と幸宗は思い込んでいた。そのため、父に頼むということをすっかり失念してしまっていたのだ。今は内大臣家の姫であるのだから、父が喜んで許すのは当然のこと。幸宗は自分の迂闊さに歯噛みする思いだった。

「せっかく棚から転がってきた餅を、貴方に無料でやるのは癪に触ってね。……私としては貴方さえ身を引いてくれれば……というところだったのだよ」

「……!」

 では内大臣は、幸宗が負けて、自らその気が無くなったと公言させる為に、この決闘を仕組んだという事か。

「まぁしかし、こうなってしまっては仕方が無い。……確かに、そう悪い話ではないしな」

 そこまで言って内大臣は、怒りで震えている幸宗に気づいたのか、歩み寄ってぽんと肩を叩いた。

「……そうお怒りになるな。家をあげて歓迎しよう、……これからは親子になるのだ」

 内大臣はさらりとした笑顔を浮かべていた。

「……内大臣殿……貴方と言う人は……! これでは左衛門督にも申し訳が」

「秀頼が寝ているのは貴方の薬のせいだろうが」

「……それとこれとはっ」

 幸宗が青筋を立てて抗議しようとすると、

「とにかく!」

と内大臣は強引に話を止めた。

「楓を直ぐに連れて行かせるわけにはいかん。左大臣殿とも相談して、これから良い日取りを占わせねばならんからな」

 言いながら、内大臣は幸宗の腕を解いて楓を奪ってしまった。

「……ち、中将さま……?」

 楓は話の展開についていけなかったのか、呆然とした顔で幸宗を振り返った。遮るようにして、内大臣は楓の姿を隠してしまう。

「今日のところは、お引取り願おう。……また、後ほど」

 そう言って、さっさと内大臣は門を潜って邸の中へ入って行ってしまった。その後を、左衛門督を抱えた侍たちがぞろぞろと入って行く。あろう事か、そのままばたん、と門を閉められてしまった。

 一人取り残されて、幸宗は呆然と立ち尽くした。

 余りに帰りが遅い幸宗を心配して吉政が迎えに来てくれるまで、一人立ち尽くしていた。



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