五十.



 もう庭の楓の葉もほとんど落ちかけて、枝ばかりが目立っていた。今日は特に風が冷たい。

「姫さま、また、そんな端近に寄って……!」

「八重」

 いつもの調子で部屋の中に押し込まれて、楓はそれが嬉しかった。

「もうご身分も以前とは違いますのに!」

「でも、私は私だもん」

 にこにこと機嫌よく笑ってこたえる。

 あれから、楓はすぐに八重と再会する事が出来た。頭の中将の計らいで内大臣邸にと勧められると、父内大臣はあっさりと許したらしい。

 がみがみ煩かった女房の朝倉も、たまに顔を出して世話はしてくれるものの、もうお妃教育などはしなくなった。

「今日は、寒いね」

「そうですわ。なのにわざわざ寒い外へ出るなんて……!」

 笑ってごまかして、楓は話をかえる事にした。

「ねぇ、兄上のところへ行きたいんだけど」

「え……っ、またですか」

「うーん、なんか日課になっちゃって」

「もう左衛門督さまはご回復されて、今日は久しぶりに参内されたはずですわよ」

「うん。だからさ、もう帰って来る頃でしょ?」

 兄はあの十五夜の夜以降、熱を出して寝込んでしまったのだった。楓は自分のせいのような気がして、看病をする事にした。看病と言ってもほとんどの事は女房達がやってくれるので、手を握るくらいしか出来なかったのだけれど。

 それでも兄は楓を見ると微笑んでくれていたので、楓は毎日看病に通った。

「……異母兄妹とはいえ、男と女なのですからあまり頻繁に通うのも……」

「固い事いわないでよ。朝倉じゃあるまいし……」

「頭の中将さまが、お怒りになりますわよ」

「……なっ、何言ってんの、だ、大丈夫よ、兄妹なんだから……っ」

 突然中将の名を出されて楓はかあっと頬を染めた。

「……あら。古来よりご兄妹の禁断の恋事は物語にもなってますのよ」

「どー考えても私たちは違うってば!!」

 威勢よく怒鳴ったところで、庇(ひさし)に人の気配がした。

「……何が違うって?」

 噂をすれば、とはよく言ったものでそこには兄が立っていた。

「あら、やだ、左衛門督さま……! まぁ、こんな突然……」

 八重は慌てて立ち上がって座を設ける。几帳を立てようとして、兄に止められた。

「いいって。今さら」

「あら、でも……」

 八重が困り顔で楓を振り返ったが、確かに本当に今更なのでうなずいた。八重は不服そうに几帳を戻して控えた。

「……なんか悪い事したな。先触れも寄越さないで」

 同じ家の中とはいえ、内大臣邸ともなれば普通は家族同士が行き来するのにも先触れがある。無いと準備をする女房の方が困るのである。

「いえ……」

「俺の事は気にするな。……ちょっと休んで来いよ」

 暗にさがってくれと言われ、八重はまた一瞬不服そうな顔をしたが直ぐに頭を下げてさがって行った。

「八重は俺とお前の仲を心配してるみたいだな」

 兄は楽しげにくつくつと笑った。

「ねぇ、そんな訳ないのに……」

「まぁお前には色気ってもんが無いからな。俺はどっかの誰かと違ってそんな気はおこさんさ」

「! ちょ、ちょっと、兄上! それは酷いんじゃない!? 私だって、もう明後日には……っ……のに」

 人妻になる……と言いかけて、急に恥ずかしくなって口ごもってしまった。

 そう。楓はとうとう頭の中将との結婚が二日後に決まったのである。

「もう、明後日かよ……」

 ち、と兄は舌打ちした。不機嫌そうにそっぽを向いて口を尖らせている。

「通りで阿呆みたいに機嫌が良いわけだ、あの馬鹿は」

「あ、阿呆とか馬鹿とか……あんまり言わないでよね……」

「よりによってあいつが弟になるか……あーあ」

 兄はこれ見よがしにため息をついている。楓は少しだけ悲しくなってきた。

「兄上……。そりゃあ、あんな事があれば、……まだ……怒ってる……よね……。怪我はしちゃうし、熱は出ちゃうし……。……全然、兄上は関係なかったのに……」

 言っているうちにますます悲しくなって、楓はうつむいてしまった。

「……ごめんなさい」

「馬鹿。お前は何も悪くないだろ、悪いのは全っ部あの中将だ。……ったく」

「……うぅ、でも。だって……中将さまは、私のために、した事だし……」

 ぼそぼそと言ったが、兄は返事をしない。

「……」

 不安になって顔を上げると、兄はじっと楓を見つめていた。

「兄上……?」

「……おもしろくない」

「へ?」

 兄はすっと手を伸ばして、楓の髪を一房すくいあげた。

「あの中将のどこが良いんだ」

「……っ、ど、どこって……」

 どこが、と言われても困ってしまう。良く分からないうちに、中将はどんどんどんどん楓の心に入ってきてしまったのだ。彼のことを考えると、胸が苦しい。苦しいのに、嬉しくなる。自分でもどうしてそうなってしまったのかは分からないけれど、これはきっと……恋。

 楓は顔を真っ赤にして黙り込んだ。

「まぁ、色気はないが……せっかく可愛い妹が出来たと思ったのにな」

「……は?」

「あいつにくれてやるなどもったいなさ過ぎる。……あぁ、くそ、本当に面白くない」

 髪をもて遊びつつ、兄は楓の目をじっと見た。

 しかし実際もったいないのは中将の方だと楓は思う。もともと中将は評判の公達で、都中の姫君たちの憧れの的だったのだから。……なぜよりによってこんな自分を気に入ってくれたのか、楓にはさっぱり分からない。

「……そ、そんなこと……」

「いいか、あいつが浮気でもしたら直ぐに言えよ。今度は手加減などせずひと思いにやってやるから」

 楓は照れてしまい、もう何も言えなくなってしまった。

「うぅ……兄上……」

 まともに答えられずに唸りながら、とりあえず何とかうなずくと、兄は「ははっ」と楽しげに笑って、楓の頭をぽんぽんと撫でた。



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