七.



 驚きで、丸い目をさらにまん丸くして、ぽかん、とこちらを見上げていた。なんとも可憐で、あどけない姫の姿。

「ぎ……!」

 似つかわしくない叫び声が上がる前に、幸宗は慌てて姫君の口を押さえ込んだ。

「んーっ、んーっ!」

 顔を真っ赤にしてじたばたと身をよじる。あんまり暴れるので、幸宗は抱えるようにして姫の身体ごと抱きしめるしかなかった。

「ご無礼を、お許しください、姫」

「んーーーっ!!」

「……何もしません、何もしないから、どうか暴れたり叫んだりしないで。ね、そうしないとこの手はいつまでも離せませんよ」

「んぐ……っ」

 含めるように言ってやると、姫の身体からようやく力が抜け、大人しくなった。名残惜しさも感じつつ、そっと手を離すと姫はばっと跳び退って幸宗と距離を置いた。

「ひ、ひ、ひどいじゃないのっ! もう帰るって、帰るって言うから、弾いたのに……っ」

 見れば、姫の目には涙がいっぱい溜まっている。よほど怖い想いをさせてしまったらしい。

「すみません、どうしても、顔が見たくて」

「!」

 姫はその言葉で思い出したのか、慌てて袖で顔を覆った。

「あぁ……そうやってまた、隠してしまわれるのですね」

「も、も、もう、帰ってくださいっ」

 必死で顔を背けながら言う姫を前にして、幸宗はもう一度抱きしめてしまいたい衝動を必死で堪えた。

「そんなに、私と居るのは苦痛ですか……?」

 演奏を終えたあの一瞬。あの時だけは、確かに姫の心に近づけたと思えたのに。

「……本当は、帰りたくないんだけれど。……あんまり嫌われてしまうのも辛いので、帰りましょう」

「……」

 姫は何も答えず、ただ顔を背けている。幸宗はじっと姫の姿を見つめた。よく見れば小刻みに、肩が震えている。何か、酷く悪いことをしてしまった気がして、幸宗は後悔した。

 姫が少しだけこちらに首をかしげる。

「……、あ、あの……?」

 しばらく姫の姿に見とれた後、幸宗はふっと笑って、立ち上がった。

「秋霧の 晴るる時無き 心には 立ちいの空も 思ほえなくに……

(秋霧のように晴れる事の無い私の心では、立ち上がる事さえ忘れてしまうほどぼんやりとしてしまった)」

「……え……?」

「帰ります、姫」

 幸宗が踵を返して渡殿まで行くと、呼び止める声が聞こえた。

「あ、待って、中将さま、笛を……!」

 幸宗は聞こえない振りをして、急いで屋敷の外へ出た。それは次に会うための口実に、置き去りにして来たのだから。



 あれから五日。相変わらず幸宗は五条の姫君にせっせと恋文をおくっていた。一日一通から多いときで三通。使いに走る吉政はうんざりしている。

 今日も二通目の文を渡されて、吉政はため息をついた。

「幸宗さま……。随分あの五条の姫に、入れ込んでるんですねぇ」

「あ? あぁ……」

「他の恋人はどうするんです?」

「ん? んー、どうするかなぁ……」

「あの五条の姫に会ってから、一度も通ってないじゃないですか?」

「……そうだなぁ……」

「そろそろ、恨まれても知りませんよ」

「……うん、まぁなぁ……」

 そんなやりとりを交わした後、吉政はしぶしぶ出掛けていった。幸宗自身、すっかりいつものペースと違っていることに気づいている。

 姫のことを考えると胸が苦しい。あれから、せっせと文をおくっているが、未だ返事は一度も貰えていない。いつ笛を理由に訪れるか、そればかり考えている。しかしあの晩震えていた姫の姿を思い出すと胸が痛んで、無理に押しかけるような事も到底出来ない。人に嫌われるのが怖いと思ったことなど、生まれて初めての経験である。

(恋ってのは、苦しいものだったんだなぁ……)

 初めて味わう新鮮な胸の痛みに、幸宗はそっとため息をついた。



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