九.
八重が慌てた様子でやってきた。
「し、失礼いたしますわ。……姫さま、あの……お耳を」
ちらちらと頭の中将を気にしつつ、ずるずるといざって楓の耳に小声でささやく。
「伊予の介殿が参られて……」
「えぇっ、何で……」
伊予の介といえば先日伯父が見合い話を持ってきたものの、きっぱりはっきり断って、伯父も納得してくれていた相手ではなかったか。
「それが、先日確かに文をおくっているのだが、姫の元へ届いているのか、直接お会いして確かめたいと……」
「あっ」
そういえば二・三日前、頭の中将の文に紛れて一通、伊予の介からもなんだか文が届いていたような……。頭の中将ばかりに気を取られて、楓はすっかり失念していた。
「会いたいって、言われても……」
頭の中将と伊予の介と三人、この狭い部屋に膝を並べて白々しい笑顔を浮かべている図を想像してしまい、楓はぞっとした。
「む、無理! 今日は物忌みとかなんとか言って、帰ってもらって」
「でも姫さま、なんだかあの伊予の介ったらやけに強引で……」
ぼそぼそと話していると、不意に頭の中将が立ち上がった。
「来客のようですね。私は先日のように隠れていますから、お会いになられてはいかがですか?」
「え……っ」
どうせなら隠れるなどと言わず、ぜひとも帰って欲しかったのだが。
「ま、まぁ……恐れ多いことですわ、ささ、ではどうぞこちらへ……」
八重はいそいそと中将を隣へ通し、伊予の介を出迎えに行った。
やがて伊予の介が姿を現した。
(あら……)
伊予の介は背が高く、浅黒く日焼けして、引き締まった顔立ちをしていた。隣の間にいる頭の中将とは比べようもないが、それなりの美丈夫で、楓は意外に思った。貰った文から、何処かの田舎侍のようなのを想像していたのだ。
「やぁ、あなたが備前の守殿の姪の姫君か」
伊予の介はずかずかと楓の前までやってきて、どかっと腰を据えた。先ほどまで頭の中将の優雅な物腰を見ていたせいか、立ち居振る舞いが酷く荒っぽく感じられる。
「几帳など必要あるまい、なぁ、姫。おい、女房、これを取ってくれ」
「ちょ、ちょっと……! 私はそんなの許してないわよ!!」
かっとなって叫ぶと、伊予の介は意外そうな顔をした。
「……ふーん、結婚話を白紙に戻すってのは本気なのか」
伊予の介はちらりと几帳越しに楓を見下ろした。その表情から、ありありと、見下されているのを感じる。
「……っ」
「なぁ姫、悪いことは言わんから考え直した方がいい、備前の守の姪御だとはいえ、いつまで面倒を見てもらうつもりだ? 姪御っていったって、北の方の妹の子だそうじゃないか。俺は知ってるんだぜ、あの北の方が浮気してるのをさ」
「なっ、あんた何言ってんの!?」
伯母を侮辱するような発言が許せず、思わず楓は怒鳴っていた。なんて失礼な奴だろう、一瞬でも美丈夫だなどと考えた自分が情けなく、怒りがこみ上げる。
当然、隣の間で浮気相手の張本人・頭の中将が冷や汗を流しているなどとは知る由も無い。
「ぷっ……。あっはっは、あんた本当に姫として育てられてるのか? 見事な言葉遣いだなぁ、おい」
「余計なお世話よっ」
「なぁ、そんなんじゃ他所の貴族の男にゃ見向きもされないぜ? 悪いことは言わんから、俺にしとけって」
「ふ、ふざけんなっ! 私は誰とも結婚なんかしないのっ!!」
楓は怒鳴りながら、ばんっと扇を床に叩き付けた。
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