じめての。 〜キス〜


――はじめてのキスは雨の匂いがしてた。



今日は朝から雨が降っている。

教室の外の空はどんより暗い、厚い雲。
しとしとしとしと、降っている。

放課後の教室は、湿気のせいでヘンな匂いがしてる。
床を踏む上履きも、きゅぅきゅぅ言って、やな感じ。

はぁ…憂鬱だ。
こんなに気分が沈んでるのは、きっと雨のせいだ。
数学が赤点だったのも、雨のせいだ。
居残りなのも、雨のせい。

…。
……。
………1人だけ居残りなんて……。

情けなすぎて、思わず涙が出そうになった。
…頼りにしてた真奈美は「ドラマが私を呼んでいる…」なんて薄情なセリフだけ残してさっさと帰っちゃったし。…なんて儚い友情…!?

もうもう、数字なんて、見たくなーーい!

思わず机に突っ伏した、その時。


「こら。ちゃんとやってる?」

「うわぁぁっ!」

誰も居ないはずの教室で、突然声をかけられた。
びっくりしたあたしは思わずイスから立ち上がってしまう。

「き、た、たか、たか…」

目の前に現れたのは、……あたしの、彼。
大好きな。
つき合って10日と半分の、…北野、…貴志くん。

「何?喜多方ラーメンでも食べたいって?」

にやり、と笑って彼は言った。
お、親父ギャグだ…

「ほんっと、ちゃんと呼んでくれないよな、亜矢は」

最後の『亜矢は』にちょっと力がこもってる。

名前で呼んでいい?って聞かれたのは、もう一週間も前の事。
呼ばれるたびにドキドキしてるあたしとはウラハラに、彼は平気で呼んでるみたい。
超、自然だ。
引き換え、あたしは。『貴志くん』って呼ぼうとして、連続失敗記録更新中。ただ今の記録30回。
とうとう「喜多方ラーメン」になってしまった…、とほ。

「で?どうなの?居残りの成果は」

「うぅ…」
ちくちく、刺さる。
き……貴志くんはちょっと意地悪だ。

机の上には、ようやく半分まで進んだ、赤点者向け特別仕様のプリント。
これを職員室へ持っていかないと帰れないんだ。

北野くんは、あたしの前の席のイスを引くと、後ろ向きに座った。
プリントを持って、頬杖ついて、じーっと見てる。

…彼は数学得意なんだよなー…
あぁ。恥ずかしい。
また間違ってたらどうしよう…

…。
…それにしてもプリント見つめてる横顔がかっこいいんですけど…
…なんだろ、こう、普段はスポーツマンっぽくてカッコイイんだけど、いつもと違って、知的な感じで、こう…、凛々しいっていうか!ああ!もうとにかく好きだ!!!
胸の辺りがきゅぅ〜っって締まる、この感じ。こんな気持ちにさせるのは、あなただけです…!!

「すごいじゃん」

あたしがついウットリモードに入ってたら、彼は顔を上げて言った。
「え?」
ドギマギしながら、聞き返す。

「合ってるよ」
彼はニッと笑った。

「ほ、ホント!?」
あたしは心底ホッとした。
――のもつかの間。

「1問だけ」

彼の笑顔はとっても意地悪だった…。。



それから、彼に教えてもらって、なんとかプリントを片付けた。
ようやく昇降口から出てみると、外はもう真っ暗。
…もともと雨だから暗かったんだけど…もう夜だ。

「ごめんね、せっかく、早く帰れる日だったのに…」

北野くんはサッカー部。今日は雨だから、練習もちょっと筋トレするくらいで、早く帰れるはずだったんだ。
それなのに…。

「ははっ、全然、構わないよ」

彼は靴を履きながら、機嫌よさそうに笑ってくれた。
本当に気にしてはいないみたい。
それで、「行こう」って言って、彼は傘を広げた。
紺色の傘。

「…あれ?」
あたしは自分の手に持ってる水色の傘を、広げようとして……手を止めた。

「”あれ?”って言うなよ。…こーゆーのって、やだ?」

彼は、少し拗ねたような口調でそう言って、視線を逸らしてしまった。

紺色の傘の、左側。
…空いてるんだもん…、1人分。
差し出された、傘。………相合傘…?

「うううう、うううん!」
思いっきり首を横に振る。

「お邪魔します!」
つい片手を上げて言ったら、また大笑いされてしまった。




この間のデートよりも、ずっと近い位置を歩いている。
手をつなぐよりも、近い距離。
話す声が、酷く、近い。
…息がかかりそうなくらい。

左肩はもうすっかり濡れちゃってるけど、全然、気にならなかった。



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