十二.



 椿にはとても、拒むことなど出来なかった。几帳の下へ僅かに差し込まれた文を取り上げて、胸に掻き抱く。嬉しさと切なさが同時に込み上げて胸が苦しかった。

「姫……ありがとうございます」

「あの……み、見ても、いい……?」

 ふっと隆文は笑顔を浮かべる。

「どうぞ?」

 椿は震える指で文を広げた。



 ――はねかづら 今する妹を 夢に見て 心の内に 恋ひ渡るかも

 (羽鬘の髪飾りをつけた幼いあなたが、夢に出てきました。その頃からずっと、心の内に恋心を秘めていたのです)



「……っ」

 吐息が漏れる。くらくらと熱に浮かされたような心地がして、座っているのも辛かった。

「……姫?」

 脇息にしがみつくようにして動かない椿を心配して、隆文が声をかけてくる。

 知らなかった。……知らなかった。隆文がそんな風に思っていたなんて、ちっとも。

(なんて返せばいいの……?)

 歌を。返歌を詠もうと思考をめぐらせたが、何も浮かばない。嬉しい気持ちを詠んで良いのか。それとも……拒絶しなければいけないのか。

「姫……お返事は、下さらなくて結構です。……今は、まだ」

「え……」

「ただ、私の気持ちを知っていて欲しかったのです」

「で、でも……」

 きっと、応える事は出来ない。きっと許される事はない。きっと……ずっと。

「姫。……私は、姫の事が好きなのです……」

 衝撃が、痛くて、苦しくて、……嬉しくて。涙がこぼれそうだった。

「でも隆文……あたくしは」

「お返事は、なさらないで」

「……」

 椿は口をつぐんで、混乱したまま隆文を見つめる。

「……どうかこの事は、内密に。大臣はもとより……安芸にも」

 言える訳が無い。六位の家令から文を受け取って喜びに震えている事など、誰にも言えない。

「……分かったわ」

 隆文はにっこりと微笑んで、深く礼をした。

「では……これで」

 立ち上がり、静かに下がって行く。

 足音が消えると、椿はじっと文を眺めた。震える指でその文字をなぞる。

「どうしたらいいの……」

 長いため息が漏れた。





 しかしそれから隆文は、何も椿に言っては来なかった。文の返事は返しておらず、隆文もまた新たな文を持ってくることは無かった。

 相変わらず、十日ごとの琵琶指南の折にだけ顔を見せ、それ以外はたずねても来ない。

 夢だったのではないかと思われるほど、何事も無かったような隆文の態度に、椿は不安を覚えた。しかし二階厨子の奥底に、料紙で包んで隠した文はいつもそこにあって、それが夢ではないと教えてくれた。

 父がやっきになって進めようとしている春宮妃入内の話も一向に進展せず、やがて季節は夏を過ぎ、秋へと移り変わった。



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