十三.
「いい加減、春宮は望み薄だと思うよ……」
御簾を降ろした庇の前、簀子縁にちょこんと座った兄は、無作法にも胡坐をかいてふらふらと身体を揺らしていた。
「……そう言われても、あたくしにはどうにもならないわ」
「いい加減諦めればいいのに。それで、美季(よしき)とさぁ……」
「だから、あたくしに決められる事ではないでしょう? 父上にお聞きになったらどう?」
「なんでだよ。お前、自分のことだろ? 自分の意思は無い訳? 春宮が駄目だったら、もうあとは誰だっていいじゃないか。最近は文だってたくさん来てるんだからさ、お前が好きな公達を選べばいいんだよ」
「……でも、父上は、いつでも春宮に入内できるように備えて、決して他の公達に返歌などしてはいけないと、言ってるわ」
「あの内大臣様だって諦めたんだよ? もう、無理だって」
椿だって知っている。春宮妃入内の話はどうも上手くいきそうに無いという事。それは、隆文が言っていた通りだった。先日、父右大臣にとっては政敵でもある、内大臣家の姫君が春宮の元へ入内するという話が振って湧いたように持ち上がった。しかし春宮はそれをも強硬に跳ねつけて、姫を別の公達と結婚させてしまったのだ。
本当は椿も、そうなるのでは、と密かに思っている。このまま入内話は流れて、内大臣の姫のように……別の公達と結婚する事になるのでは、と。
しかし例えそうなったとしても、兄の言うように誰でも良いという訳にはいかない。最近では、入内話が流れそうな気配を察知した公達たちから、椿の元へ文が届けられている。それは身分の釣り合う家柄の良い公達たちばかりであるが……その中に、椿が選びたい人は居ないのだ。
「だから美季と……」
「……あたくし、左兵衛佐さまには、興味ありませんっ」
「うっわ、きついなぁ、お前……」
兄はぎょっとした顔で背筋を伸ばし、庭先を振り返った。白い砂の敷き詰められた庭には弱い風が吹いていて、真っ赤に色づいた紅葉の葉がはらはらと舞っている。
「……兄上?」
真っ赤に染まった紅葉の後ろ、竹垣の裏で、今、何か動く気配があった。風に揺られた動きではなく、不自然に枝が揺れている。
「……っ」
兄はさっと顔を青ざめさせて、斜め上の方に視線を泳がせている。
「あの、竹垣の裏に……誰か居るわね? ……左兵衛佐さま?」
「……」
青ざめて俯き、しばらくじっとしていたが、兄はそのうち意を決したのか顔をあげた。
「……ごめん。……ちょっとだけでも垣間見れたらいいなぁって……言うからさ……」
椿は深いため息をついた。
「……」
「ねぇ、駄目? ちょっとだけでもさ、声でもかけて……」
「もう良い、高成!」
兄が言いかけたのを遮るようにして、竹垣の裏から公達が姿を現した。兄よりもだいぶ背が高く、肩幅も広い立派な公達である。
「わぁ、美季、出てきちゃったの?」
「……」
椿が唖然として瞬きしていると、公達は簀子縁の側近くまでやって来て、庭に膝を着いた。
「ご無礼いたしました、姫。何度も文を差し上げているので、名前はご存知でしょう、俺は、左兵衛佐・美季です」
そう言って上げた顔は、まだどこかあどけなさが残っているが、切れ長の目元が涼しく凛々しい顔立ちをしていた。
「……申し訳ない事をしました。……つい、高成にそそのかされて……」
「! お、おい美季、そそのかしたとか言うなよ、僕はお前のために……っ」
「とにかく申し訳ない! 姫の気持ちが俺に無いことは分かりました。……もう、こんな真似は、しません」
「……」
何と返事を返して良いか分からず黙り込んでいると、左兵衛佐はじっと椿のいる御簾を凝視して、それからすっと立ち上がった。
「今日は、帰ります。……また、文を、送っても……?」
「……それは」
どうせならもうはっきりと、言ってしまったほうが良いのかも知れない。椿は左兵衛佐を受け入れるつもりは全く無いのだから。
しかし左兵衛佐は酷く不安そうに眉をひそめこちらを見つめていて、椿は胸が痛んだ。
「お、送っていただいても……あたくし、誰にも返事はいたしません。……左兵衛佐様は、昔から何度も文を送ってくださって……申し訳ないのですけど……」
たどたどしく答えると、左兵衛佐は御簾を睨むように強い眼差しを送ってきた。
「春宮妃入内のお話のせいですか? ……それとも、他に好きな男でも?」
「……っ」
椿はぎくりと胸が騒いだ。どちらも、あたっている。
「おい、美季……っ」
椿が困惑しているのを察した兄が左兵衛佐に声をかける。はっとした左兵衛佐は傷ついた表情を隠すようにふっと顔を背け、こちらに背を向けた。
「……すみません、本当に。帰ります」
ばたばたと走って行ってしまう。
「お、おい……っ! もぉー、椿、いいじゃん、文くらいさぁ……っ。待てよ、美季!」
兄は恨みがましく椿に言うと、慌てて立ち上がって階(きざはし)を駆け下り、左兵衛佐の後を追った。
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