二十三.
(春宮が、どうして)
ほぼ入内は決まったと言え、いきなり部屋に踏み込んでくるなど、あり得ない。いや、春宮の身であれば許される振る舞いでもあろうが、それはあまりに酷い事だ。
春宮は確かに外見は美しかった。しかし聞かされていたような優しさなど感じられない。
……椿は几帳の中、息を潜めて春宮の気配を伺った。
「左兵衛佐」
春宮の発した声は低く、怒気を含んでいるように聞こえた。……恐ろしい。
「お前、何故ここに来た」
「……」
左兵衛佐はただ平伏して冷や汗を流していた。これから春宮へ入内しようという姫の下に、挨拶とはいえ会いに来た事を咎めようというのだろうか。
「そ、それは、僕が」
兄・右馬の頭が口を開いた。
「妹に挨拶に来るのに、一緒に連れて来ました。……何か、悪かったでしょうか」
春宮はすっと視線をずらし兄を見据えた。
「なんで一緒に連れてこようと思ったんだ」
「それは、その。僕と左兵衛佐は仲良しですから……」
兄にも春宮の意図が分からないらしい。酷く困惑している。春宮はふっと口元を歪ませた。
「はっ、そうじゃないだろ。左兵衛佐は昔からこの右大臣の三の姫に恋慕していたそうじゃないか。お前、引き合わせたんじゃないのか?」
「……っ」
兄は絶句し、左兵衛佐も伏したまま、身動きできずに居る。
春宮が何故これほど怒っているのか、椿には理解できなかった。
(だって、春宮は桜君さま一筋で、あたくしの事なんて……)
「三の姫」
几帳の向こう、春宮の目がこちらに向けられた。
「は……は、い」
恐ろしさで、返事の声も震える。
「文を受け取ってたんじゃないのか、この男から」
「……っ」
文は受け取っていた。しかし入内は決定していた訳でもなく、求婚の文は他にも山ほど届いていた。咎められるのはお門違いというものだ。
「で、でも……それは」
「受け取ってたんだろ?」
言い訳しようとする言葉も遮られて、椿は俯いた。
「……は、い」
春宮はふっと笑った。怒りで笑っているように見えた。
「じゃあ、この文をどう思う」
春宮は膝を突くと、叩きつけるようにして一通の文を床に広げた。
――かくばかり 恋ひつつあらずは 石木にも ならましものを 物思はずして
(こんなにも恋に苦しむのなら、いっそ石木にでもなってしまいたい……)
貴女と御子の事を思うと、夜も眠れません。御子の父は……どなたなのか。
今はただ、お身体を大切に。
激しさを秘めた歌。しかしその手跡は素朴で、真面目な人柄を思わせる、穏やかなもので……。
椿は息を呑んで左兵衛佐を見た。彼は驚愕し、眉間にしわを寄せたまま文を凝視して、動かなかった。
「おい、美季……、これ」
兄がおずおずと口を開き、左兵衛佐を見た。兄も左兵衛佐の手跡には見覚えがあるのだろう。左兵衛佐はただゆっくり首を横に振った。
「いや……俺は、このような文は……」
青ざめた顔で文を見つめたまま絶句する。
「三の姫」
春宮は胡坐をかくと、ずっと文を几帳へ近づけた。
「この手跡に、見覚えは?」
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