二十四.



「……」

 言葉を紡ぐことが出来なかった。桜君のお相手が、この、左兵衛佐だというのだろうか。椿はただ文を見つめ、まだ驚愕の表情を浮かべている左兵衛佐と見比べた。

 返事をしない椿にじれたように、春宮は口を開く。

「姫。……この手跡は、ここに居る、左兵衛佐のものじゃないのか!?」

「……分かりません。……似て、いるとは、思いますが……」

 恐ろしさに震えながら、やっとそれだけ口にすると、春宮は直ぐに左兵衛佐の方を振り返った。

「左兵衛佐! お前……っ、いつからだ!! いつ、あ……桜の君とっ」

 掴み掛からんばかりの勢いで、左兵衛佐に詰め寄る。

「……いや、俺……私には、身に、覚えがなく。……そ、その文は宣耀殿様宛なのですか……」

 左兵衛佐はただ困惑しきった表情を浮かべていて、嘘をついているようには見えない。それでも春宮は左兵衛佐に詰め寄り手首を掴んだ。

「……本当の事を言ってくれ。……事を公にして詮議すれば、お前は流罪だ。……だがそれはしない。もし事が公になれば、桜君はもう女御としてはいられない。……だから真実がどうであれ、俺はこの事を公にする気は無い。ただ知りたいんだ。間違いならそれでいい。本当の事を……」

 必死に言う春宮は、左兵衛佐に縋るようだった。

「……私には、分かりません。私は、宣耀殿へ伺った事もありません。宣耀殿様と通じるようなことは、決して」

「……っ」

 春宮は左兵衛佐から顔を背けた。

「じゃあ、この文はなんなんだよ……っ! なんで桜の君は何にも言わないんだ……!!」

 駄々っ子のように叫んで、掴んでいた手を振り払うように離した。

 身を刺すような沈黙が流れるなか、兄・右馬の頭がおずおずと口を開いた。

「よ、美季は……左兵衛佐は、元服してからずっと、三の君一筋でした。他の姫に文を送ることも無かったんです。よりによって、女御様に恋慕するなんて……あり得ません」

「……その、想い人の三の姫様が、春宮へ入内されるというお話があがりましたね」

 いつの間にか、御簾の内側に青直衣の公達がたたずんでいた。椿には、懐かしく慕わしく、恋しい人。

(隆文……!)

「文を撥ね付けられたのも、すべては春宮妃入内のため。……逆恨みに、春宮の寵妃である宣耀殿様に近づかれたのでは」

 隆文の涼しげな声は、しかし恐ろしい言葉を発していた。

「隆文……いつからそこに」

 兄が驚いてつぶやく。春宮も驚いた顔で隆文を見た。

「……何を言う!」

 左兵衛佐は激昂して立ち上がった。

「六位の蔵人風情が、適当な事を言うな!」

 隆文はふっと笑みを浮かべ、頭を下げた。

「失礼をいたしました、左兵衛佐殿。……私はただ、可能性を述べただけにございます。……平に、ご容赦を」

「貴様……っ!」

「待て!」

 殴りかかって行きそうな左兵衛佐の袖を捕まえて止めたのは、春宮だった。

「隆文……、このこと、他言するなよ」

「もちろんです」

「俺は……、妃は一人と決めた。決めたせいで、朝廷に何度も波紋を呼んだ。この文も、俺を桜の君から遠ざけるための陰謀かもしれない」

 足元の文に目を落とし、ため息を付く。

「……少し、考えないと、いけないな」

 春宮は独り言のように呟き、左兵衛佐を放した。そのまま出て行こうとするのを、隆文が止めた。

「お待ちを。じきに、右の大臣が参られます」

「何?」

「皆様おそろいの方が喜ばれるでしょう」

「俺は、会いたくない。ここを訪ねた事が分かったら、何言われるか……」

「もう、直ぐに見えますので、出て行かれては鉢合わせます。お座りになって……安芸、灯を用意してくれるか」

「あ、はい」

 安芸が灯を取りにさがって行き、隆文が促すと、春宮は憮然としながら上座へ座った。

 左兵衛佐も気まずそうに隆文が用意した席へ座る。

「几帳を少し、ずらしましょう。姫」

「あ……ええ」

 このままでは春宮の位置から姿が見られてしまいそうだったので、椿は扇を開いて顔を隠し、促されるまま移動した。

 すぐに大臣のやってくる足音が聞こえてきた。

「あ、文を……!」

 春宮の慌てた声がして、椿は急いで足元のそれを拾い上げた。



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