二十八.



 父右大臣の喜びようは相当なもので、入内の日取りはあっという間に取り決められた。もうあと二日後まで入内の日が迫ったその日、椿は姉の殿舎である弘徽殿の局から、桐壺へと移ることになった。右大臣家から気の利いた女房達も呼び寄せられ、いよいよ椿の身の回りは華やかに時めいてゆく。

 桐壺に向かう渡殿を渡りながら、先頭を歩く安芸がにこにこと微笑みながら振り返った。

「桐壺は、今上の春宮時代に、長く咲子様がお使いでしたのよね」

「……そうね」

 椿は微笑んで応えようとしたが、上手く出来たか自信が無かった。表情を隠すように、手に持った扇で目元まで覆う。

「ご姉妹で同じ殿舎を使われるなんて、なにやら運命めいたものを感じますわね」

 安芸はまだにこにことしていて、椿はほっと息を漏らした。

「そうね……」

「私、これからも精一杯お仕えしますわ。本当に、晴れがましいことですわ」

 安芸はしゃんと背筋を伸ばし、自信に満ちた足取りで静々と先を歩いて行く。

(ああ……)

 安芸を、見習わなければいけない。これから自分の身に起きることは、本当に、めでたく晴れがましいことなのだから。ともすれば足元に落ちてしまう視線を戻し、安芸の背を見つめると、不意にその動きが止まった。

「兄さま!」

「……!」

 あまりに突然の事で、椿は軽いめまいを覚えた。渡殿の脇の階(きざはし)を降りた先に、青い直衣姿がひざまずいて礼をしている。心臓が、ぎゅっと痛いくらいに脈打ち、扇を持つ手に震えが走った。

「ご無礼いたします、三の姫さま。これより、この渡殿を帝がお渡りになります。しかしこのまま、姫様には知らぬ振りをして淑景舎(しげいさ:桐壺)へ向かっていただきたい。姫は帝と鉢合わせされますが、帝はご承知の事です。……どうか、驚かれた振りをなさってください」

「……」

「まぁ、兄さま、あの……」

「姫と一言二言、言葉を交わしたいと。……よくある、お戯れです。安芸、姫の代わりに受け答えするように」

「えぇっ、私がですか」

「そうだ。大丈夫、気候の事やお互いのご機嫌の事など、挨拶程度の事しかお話にはならないよ。ただ、くれぐれも姫の声を直にお聞かせになるような事の無いように。姫はこれから春宮へ入内する御身なのだから、これまで以上に気を使わなければならないのだ」

「……まぁ、でも私なんか……」

 安芸はちらちらと後ろの気配を伺った。椿の後ろには、安芸よりも年配の、右大臣家から寄こされた、しっかりした女房が付いてきているのだ。

「安芸、あたくしの代返をお願いするのは、あなた以外考えられないわ。……お願いね」

 これは椿の本心だ。古株の女房などでは、椿の意思を無視して、思っても見ない都合の良い返事を返しかねない。椿は過去に経験があったのだった。

「まぁ、は、はい。姫さま。私、頑張ります」

 隆文はほっとため息をついて立ち上がると、もう一度礼をした。

「では、私はこれで。これから帝と合流します。……このことを伝えたことは、どうか内密に」

「……」

 扇の陰で椿がうなずくと、直ぐに隆文は踵を返し、足早に去っていった。安芸がごくりと生唾を飲む音が聞こえる。

 すぐに、渡殿の向こうから華やいだざわめきが聞こえてきた。



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