四.



「そ、そんなの駄目よっ!!」

 椿は思わず立ち上がっていた。

「ひ、姫……?」

 隆文がぎょっとして見あげているが、お構いなしに椿は叫んだ。

「だって、だって隆文が居なくなったら、あたくし誰と遊んだらいいの!?」

「それは……安芸(あき)が居るではないですか」

「安芸が居るのは当たり前よっ、いっつも一緒に居るんですもの! ほ、他に遊んでくれる人よっ」

「そう言われましても……とにかく落ち着いて座りませんか」

「嫌っ」

 椿はじわじわと目に涙が溜まったのを隠すようにそっぽを向いた。隆文が居なくなるなど、考えたことも無かったのだ。

「しかし姫、私はいつまでも姫と遊んで差しあげる事は出来ないのですよ。姫ももう九歳におなりでしょう。大臣(おとど)は寛容な方ですが、そろそろ私のような従者とこうして直接会うのは控えなければなりません」

「……っ。だって、嫌なんだもの……っ」

 とうとう椿はぽろぽろと泣き出してしまった。

「姫さま……っ!?」

 普段めったに涙を見せることのない椿が泣き出したのに驚いたのか、安芸までつられたように泣きはじめた。

「姫……、安芸まで……」

 二人の子供があんあん泣いて、隆文が途方にくれているところ、庇に人の気配がして、数人の女房を引き連れた右大臣が姿を現した。

「おや、これはどうしたね」

「大臣……」

 隆文は慌てて平伏する。右大臣はすっと眉をひそめた。

「厳しく叱りつけでもしたのかい」

「いえ、それが……」

 事の顛末を説明すると、右大臣はうんうんと頷きながら椿の頭を撫でた。

「そうかそうか、椿はまだ隆文に側に居て欲しいんだね」

 ようやく涙の収まった椿がこっくりとうなずく。

「どうだろう隆文、今しばらくこの邸を出るのは待ってもらえんか」

「え……」

「大体、住む家はどうするつもりだい」

「は……それが、頭の弁(とうのべん)殿より、四条の万里小路あたりに、使っていない屋敷があるとかで、それを昇進祝いに頂ける事に……」

「ほお、お前は随分あの頭の弁に気に入られているのだな。……ふむ、お前から言うのでは角が立つだろう、頭の弁には私から言っておこう」

「え」

「この話は断るように」

「し、しかし……!」

 隆文にしてみれば、もう姫君の乳母である母も亡くなっている今、いつまでも右大臣邸に身を寄せているのは心苦しく、また、独り立ち出来るまたとない機会であったのだ。……しかし。

「なんだ、我が家に留まるのが不服かね」

 右大臣の目は笑っておらず、隆文は冷や汗を流して平伏するしかなかった。

「……いえ、もったいなく、ありがたい事にございます……」

 右大臣は満足げに笑い、椿をひょいと抱き上げた。

「おお、重くなった、重くなった。……良かったな、椿、隆文は家に居てくれるそうだよ」

「本当?」

 椿は疑わしげに隆文を見た。隆文は顔をあげ、降参とばかりに頷いた。

「……はい、本当ですよ、姫……」

 椿はぱっと顔を輝かせる。

「まぁ、良かった。じゃあ、これからも遊んでくれるのね」

「……はい」

 しぶしぶ、と言った風情だが、椿は気にせずに嬉しげに笑った。大臣もそれを見て笑いつつ、ついでのように隆文に声をかけた。

「それじゃあ隆文、今日からお前の部屋を北の対の広い部屋に移そう。それに、そうだ、正式に我が家の家司(けいし)として働いてくれるか」

「家司……ですか」

 大臣家ともなれば、家政を取り仕切る政所(まんどころ)があり、そこには何人もの家司が勤めているのだ。

「まぁ、蔵人の方も忙しいだろうから、そっちが主体で構わんよ」

 隆文は小さく聞こえないほどのため息をひそかに漏らした。

「……仰せのままに」



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